【感想・ネタバレ】「黒い雨」訴訟のレビュー

あらすじ

【第66回JCJ賞受賞!】なぜ、被爆者たちは切り捨てられたのか――。

広島の原爆投下から70年以上を経て、ようやく語られ始めた真実の数々。
「黒い雨」による被ばく問題を記録した、初めてのノンフィクション。

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原爆投下直後、広島に降った「黒い雨」。
多くの人がその放射線を帯びた雨による深刻な健康被害に苦しめられていながら、「被爆者」と認めて救済する制度はなかった。
雨を浴びた住民らは国に援護を求めて訴訟提起したが、解決までの道のりは長く険しいものだった。
なぜ、国は黒い雨被爆者を切り捨てたのか――。

本書は当事者の歩みをたどるとともに、米軍の被害軽視に追従した国の怠慢、非科学的な態度をあぶり出していく。
戦後70年以上を経て、ようやく語られ始めた真実の数々。
「黒い雨」による被ばく問題、その訴訟の全容を記録した初めてのノンフィクション。

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なぜ、黒い雨被爆者は戦後七五年余りもの間、置き去りにされてきたのか。
そこには、被ばくの影響を訴える声を「切り捨てる」論理があった。
これに疑義を唱え、被ばくを巡る救済のあり方を問うたのが、「黒い雨」訴訟だった。
黒い雨被爆者がなぜ、どのように切り捨てられ、そして何を訴えて援護を勝ち得たのか。
本書は、黒い雨被爆者が「切り捨てられてきた」戦後を記録した、初めてのノンフィクションである。
その記録は長崎で、福島で、そして世界中で今も置き去りにされている放射線による被害者を救う道しるべになると確信している。
(「序章 終わらない戦後」より)

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Posted by ブクログ

「黒い雨」という言葉は知っていましたが、初めて詳細を知り、自分の知識の無さが、恥ずかしくなりました。

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2025年09月08日

Posted by ブクログ

7月14日午後3時、広島高等裁判所で下された判決は国の敗訴。これは原子爆弾が投下された広島に於いて、投下直後に所謂「黒い雨」を浴びた原告側が、その補償を求めて起こした裁判の二審の結果だ。一審の地裁においても原告の主張を認めた内容となっていたが、それまでの黒い雨が降ったとされる雨域外の住民に対しても被爆者として認めた判決は如何なるものだったのであろうか。本書は毎日新聞記者として黒い雨裁判を追い続けた筆者により、それらの経緯を記した内容となっている。主な争点としては、黒い雨がどこまで降っていたか(雨域)、症状と被曝をどう結びつけるか、の大きく2点となっている。前者においてはそれまで国が線引きした地域を遥かに超えて黒い雨が降ったという住民へのインタビューが基となっている。確かに国が定めた(卵形)地域は地形の考慮や気象条件などの考慮が欠けている様に感じるが、何より今となっては放射能も軽減されている事や80年近く(裁判時点では75年前後)時間が経過していることから、土壌の調査などを行なったところで正確性を追求するのは難しいだろう。また後者についても、日本人の多くが患う病気との因果関係については、放射線の影響が未だ正しく把握できていない現在において、はっきりとした断定は困難だ。だが、本書を読むことでそう言った認識から一歩進んで、これまで原子爆弾を投下された住民たちが抱えてきた不安について十分考慮しなければならない事を理解する。疑わしきは被害者の利益に、これは本書内で一貫した主張になっているが、正にそれが妥当であると理解する。
二審の高裁で敗訴した国であるが、当初は上告予定であったそうだ。だが時の政権を担う菅総理の「政治的判断」により、上告を諦める。これは内閣支持率の低下が影響していたと見られることが大きいが、被爆者の多くが本訴訟中にも亡くなっている事を踏まえ、早期の解決が必要だったと見られる。だが、この影響も大きいというのが国の見立てであり、福島原発の近隣住民や長崎原子爆弾被害者にも拡大していく流れになると予測する。実際に二審の判決後には、今回設定された雨域の更に外側の住人からの新たな訴えも起こっているようである。
一重に広島や長崎に原爆が投下された責任は誰にあるのか、そして福島原発を稼働させた責任についても今一度、しっかり確認していかなければならないと思い知らされる。戦争や原発設置は国が主導して行われてきたのは間違いない。だが、その国が民主的であればあるほどそれを支持した国民全員の責任でもある。勿論、原爆は落とした側の責任もある事は忘れてはならない。以前は70パーセント以上の国民が原爆投下は正しい行為だったと認識するアメリカで、近年、若年層(戦争世代やその子、孫よりも更に若い世代)では、その有効性や責任について考え直す国民も多いそうである。そして被団協がノーベル平和賞を受賞した様に、再び核のあり方が問われる時代に入ったと認識する。それにはロシアによるウクライナへの戦術核兵器使用をちらつかせる態度にも原因があると思うし、何より被爆者と同じ経験を今後の人類全てが負うべきでない、経験してはならないという国際社会の強いメッセージであると認識する。
本書「黒い雨」訴訟は核兵器について考える一つのきっかけになる。

0
2025年08月12日

Posted by ブクログ

1985年、気象学者の増田善信は、原水禁世界大会の分科会で、黒い雨原爆被害者の会事務局長・村上経行から指摘されて衝撃を受ける。
「増田さん、原爆の後の雨が、あんなきれいな卵形に降ると思いますか!」
当時、原爆の黒い雨に打たれたとして原爆手帳が交付されていたのは、宇田雨域と呼ばれる戦後間もない頃に作られた簡便な卵形の域内に限られていた。同じ家族でも、川を隔てた向こうとこちらでは手帳の交付基準が変わる。長女は認定されたが、母親と妹たちは交付されず、母親は原爆症と思われる病で亡くなるということも起きていた。
増田は「雷雨の様な激しい雨が降る時にこんなきれいにまとまって降ることは稀だ。気象学の常識じゃないか。それなのに、自分は得々と宇田雨域を発言に援用していた」と反省する。その場で村上に詫び、再調査を約束する。1989年増田雨域が発表されて、雨域は4倍にも広がった。

それでも国は認めなかった。
「科学的、合理的な根拠に乏しい」
と言って。
その後広島市による大規模調査を取り入れた大瀧雨域も2010年に発表された。
どんどん被ばく者が亡くなってゆく。村上さんも亡くなった。
しかし、2011年7月、福島原発事故あとの回答でさえ、国の態度は同様だった。
連絡会は、最後の手段、裁判に訴えることを決めた。

2015年、64人を原告に「黒い雨」訴訟が始まった。被ばくより70年が経っていた。今まで大きな壁となっていた1980年の「基本懇」報告書の議事録の開示求める。それによって、「今後の地域拡大を阻止しようとする厚生省の意図」が明らかになる。黒い雨小雨地域での高い残留放射能結果を、国が意図的に隠していたことも明らかになる。科学的根拠が乏しかったのは厚労省のほうだった。更には域外にいた原告全員が何らかの原爆症症状があることが明らかになる。地裁判決まで、原告副団長含めて16人が他界した。

2020年7月29日、訴訟は地裁で全面勝訴した。内部被曝も全面的に認めた。しかし国は控訴した。高裁は早くも2021年2月に結審。7月14日、上告を破棄した。7月26日、最後まで再上告にこだわっていた菅内閣は急転直下、上告を断念し、原告の手帳交付、原告以外の救済についても前向きな姿勢を見せた。しかし、高裁は明確に「疑わしきは救済」の方向を示したのに対して、国は未だに「疑わしきは切り捨て」の姿勢を崩していない。

ここまで手帳交付が遅れたのは、国の姿勢だけではなく当事者本人にも、直接被ばくではなく間接被ばくを軽視する面が、差別を恐れていた事もあって、あったことである。だから戦後30年経ってやっと黒い雨の会がたちあがったのである。そして、そこから勝利まで46年かかったのである。

もっとも、この間接被ばくが認められたことで、福島原発事故の被ばく者にも勇気を与えたし、根拠をも与えただろう。「黒い雨」訴訟の意義はその意味でも大きい。

あんなきれいな卵形に雨が降るのか?
わたしもその問いかけに、心底ドキッとした。宇田雨域が発表された直後から、声は出ていただろうに。いったいどれだけの人が、原爆症とされずに亡くなっていったのか。科学はその違和感を科学的根拠に変える作業であり、人なんだとつくづく思う。

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2024年08月18日

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