渡辺一郎の作品一覧
「渡辺一郎」の「伊能忠敬の日本地図」「五輪書」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「渡辺一郎」の「伊能忠敬の日本地図」「五輪書」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
単なる剣術の指南書にとどまらず、現代のビジネスや組織論にもそのまま通じる、極めて実践的な哲学書だった。
特に印象に残ったのは「観見の目付け」と「拍子」の概念だ。目の前の表面的な事象(見)に惑わされず、一歩引いて全体像や本質(観)を捉えるという教えはリスクの兆候や事象の深層を見極めるための視点として非常に示唆に富んでいる。
また、状況に合わせて柔軟に対応する「水」の教えや、他者のやり方を客観視して自らの立ち位置を知る「風」の視点は、仕事を進めていく上での強力な指針になると感じた。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」という言葉が示す通り、地道な基本の反復があって初めて、何事にもとらわれない「空」の境地に至ることができる。多くの気づきを与えてくれる一冊。手元に置いて定期的に読み返したい。
Posted by ブクログ
おそらく一番詳しい伊能忠敬と伊能地図に関する解説書。
1929年に完全に置き換わるまで使われ続けた地図。
1821年完成、大日本沿海輿地全図、大図214枚、中図8枚、小図3枚。
最初は伊能忠敬が個人で始めた測量だったがだんだんと認められ幕府の事業となった。相当な苦労と犠牲があって作られたもの。伊能忠敬は1818年突然死去したが地図を上程するまで死は伏せられ、伊能の名前で上程された。
第1次測量1800年、蝦夷地。ほぼ私費で歩測。北海道の根室半島の別海まで。
第2次測量1801年、本州東岸、伊豆半島から下北半島まで。間縄での測量、緯度1度=28.2里と算定。
第3次測量1802年、羽越。青森の竜飛岬から新潟の直江津まで。費用をほぼ全額支給される準幕府事業に昇格。
第4次測量1803年、東海北陸。沼津から熱田、敦賀、能登半島、佐渡など。
第5次測量1805年、畿内・中国地方。忠敬は小普請組に登用され幕府の直轄事業に。途中忠敬はおこりにかかり停滞、隊規も乱れる。
第6次測量1808年、四国・大和路
第7-8次測量1809年九州、1811年屋久島・種子島・五島列島。副隊長の坂部がチフスで死亡。風待ち等でかなり日数がかかった。
第9-10次測量1815年、伊豆七島と江戸府内