「白人社会で人間として扱われない、認知されない、他の有色人種のように差別してはいけないという意識以下の透明人間なアジア人」という感覚を持っている私は、自ら欧米に進出する日本人(アジア人)を「すげえなぁ。でも俺はこの見た目ほとんど同じ、話し言葉同じの1億2千万ぬるま湯に浸かったままゆったり暮らしていくぜ。わざわざ差別されに外国で暮らすなんてまっぴらごめん。なんで自分の肌の色や出身国をバカにされながら暮らさにゃならんのよ。」と思っていますが、どこにも逃げ場がない人ってインドだけでも数億人、世界全体では数十億人いるんですよね。(世界中の女性を考えれば少なくとも40億人)
さてこの本は私のような「インド?はて」という無知of無知が読むにはもってこい。
データと問題提起が下世話(現実的ともいう)という濃い味付けになってる。
全体は5章。
第1章はカースト違いの男女に起きた名誉殺人とアフターピルについて。解説では日本の教科書で習う単純なカーストとそれ以外のカーストを簡潔に説明してくれている。本来の内容から離れてしまうが、バラモンについて「神聖なものというより、穢れがより少ないもの、脆弱である」とある。
思い出したのは明治〜昭和初期皇室の「清」と「次」
天皇皇后は神であり神聖な存在であったものの、「清」と「次」、つまり穢れに対する神経は過敏を超えて少し病的なほど。今まで「へー大変」と思ってたけどよく考えたら天皇が神聖なら見るもの触るもの全て神聖になりそうなもんだけど、ほんの少しの穢れや本人にコントロール出来ないもの(例えば生理)ですら穢れと忌み嫌うって神聖というよりは穢れが少ないだけ、脆弱な神聖ともいえるんかなぁと。天皇だけじゃなく日本の神もそうかな。古くはファラオとかもそうかな。欧州の王侯貴族はそういうのあんまなさそう。あるんかな。
ありゃ全然関係ない話になったけど。
名誉殺人およびアフターピルはシンプルに暗い気分になる。解説最後の各カースト人口割合が90年間公表されてないこと、90年前ダリトが16.6%(2億人)もいたことなどを読むと、インドが経済大国になることはあっても、貧富格差は中国以上なのかも。
第2章はお手伝いさんの住む公営住宅から始まる。洗濯屋カースト、そのカーストを美化し由緒を創作し出す。様々な支援が出来てくると逆に後進であることを売り文句にするなど、どの時代どの地域でも人間は大体同じことをする。
時計やスーパーの値段すら読めない文盲、「夕焼けという文字を習って初めてその美しさを知った」文字のある世界文字のない世界。
第3章は地元の頭グルについて。
グルが裁く事案のひとつとして重婚の例が挙げられている。出産のため実家に戻る、夫から連絡途絶える、グルに相談、2番目の妻を正式に(持参金付き)迎えた後、妻という身分のまま離婚なしに金銭解決を探る みたいな。
常々「結婚とか土地とかマンションとか、自分でこれは俺のもんだーとか声を張り上げなきゃいけないようなもんは自分のものなんかじゃないよねぇ」とは思ってたけどさすがインド。皆結婚制度は重視するもののよりライトな運用。日本人の結婚感を壁とするなら、インド人はビニール紐とかだろうか。
精力的に活動するグル、血縁関係利用や相互依存がなくてはたちまち露頭に迷うインド社会で世俗的な繋がりを断ち切ったグル、つまり社会的に死んでるからこそ平等も大多数への利益も考えうるのだと。まぁ分かる。でも人間だから。金か異性か、どっちかがそこに溜まってるはずではと読み進めると最後の最後にグルの大理石の豪邸や新型iPhoneに言及。しかし「1人が使う金額なんてしれてるだろ」と地元有力者。
人間だからどこも同じはず。ただロシアやフィリピンはデフォルメして見えるだけならば、インドもそうかも。インドを「極めて人間的」とハマる人達は自身の「人間的部分」(言葉こそ人間というものの、ここでは生き物として動物としての自由奔放さ、ききすぎる融通)が増幅、もしくは拡大されたように展開する喜劇を楽しんでるのかな。
程度の差こそあれ大映ドラマや韓流ドラマを楽しむのと一緒か。
解説には「消えた女性」主に中国とインド。
第4章はダリト(不可触民)の民間神話から始まる。触れてはいけない人達は見て触って愉しむ人達。数千年の虐げられた生活で精神は壊れてしまっている。既得権益への執着、仲間への嘲笑。
ダリトを他の民族や特定地域出身者、性的マイノリティに置きかえても理解出来る。
ここでもインドの人達の人間らしさ(些細なルールすら合致しない複雑な社会)が全ページから滴り落ちる。床にシミ。
そう。この本は「残酷残忍なインドという国でレジリエンス(たくましさ)というか、インピューデンス(ふてぶてしさ)を持つ人達、それがどこからくるのかをインドの悪口にならないようにインド社会を説明解明していこうっていう本だから、これでいいのね。うん。
でも僕の読書力レベルだと手段のために書かれたインド社会や登場人物が喉にひっかかりすぎて、もう水も飲めないほど腫れている。
私は日本以外で生まれたなら成人前に道端で冷たくなって転がってるだろう。
第5章は運転手を軸にインドの「裁判文化」や「コネ」「汚職」などを語る。
中でも科学技術社会論研究者の「腐敗汚職の必要性」引用がおもろい。
曰く、白黒ではなくグレーでしかない世界を渡り歩く知恵のようなもんだと。
16個ほどの「インドの腐敗汚職を理解するためのポイント」も引用されてる。
全ては交渉可能で障害は乗り越えるためにある(賄賂のチャンス)でYESともNOとも言ってはならず(その中間に好機があるため)透明性など幻想で個人財産への攻撃と腐敗の擁護があり延期は金を生み権力は必要なく(権力を持つ誰かを知っていればいい)大臣ができることは秘書でもできて(秘書の方が上手い)迷宮は天国であり賄賂は払わない(誰かを知っていればいい)腐敗は財産に関するルールではなく財産としてのルールだ と。
読み終えて。
私は日本で所謂奴隷身分(労働者身分、一般人、働くことが当たり前)なのだが、ここで言われるような「クリームレイヤー」だったのかも知れない。私のような何の取り柄もなく身体も精神も強くない人間がなんとか中年まで生きながらえたのはこのぬるま湯のよう誰でも平等、誰でも生きていける優しい優しいお母さんの胸元のような日本のおかげなのだなぁ。実際日本で生きていくのって簡単だものね。特に男は。
インド、フィリピン、メキシコ、中国。。たとえアメリカであっても私は生きていけないだろう。
私が一生手にすることのないレジリエンス。
感じることが出来ました。