本書はそのタイトルにふさわしく「はじめて」プラトンに触れる読者にうってつけの一冊である。今までに出ていたプラトン入門はプラトンの対話篇の概説であったり、学説的なことを扱うものが多かったのだが、本書はプラトンの対話篇が何を目指し何を問いかけているのかを具体的な読み解きを通して提示してくれる本である。
文字通り初めから終わりまである種の緊張の伴った叙述で、長年のプラトン講義での生き生きとした読解の様子がうかがえる贅沢な一冊である。対話篇の特徴、そして読者に求められる対話の姿勢は「いかに複数の声を自らの内に響かせながら読み進めることができるか」にあることを本書は明らかにしている。プラトンが対話篇という叙述形式を選んだのはただ一方的に何かを伝えることをではなく、自らの内に響く反論を提示しながら読者の中でその声がこだまするように仕向けるためであり、読者もまたプラトンが問いかけている問題と取り組むことを促されるのである。
本書で印象的なのは、今までの入門書では正面から論じられることの少なかった「魂」がプラトンの思想においていかに生きることと密接にかかわるのかを具体的に紐解いていることである。ほかのプラトン入門で「魂の配慮」という言葉は聞きなれていて、それが大事だということは伝わっては来る。しかし本書ほどに具体的な読解を通して、肉付けされ生き生きと書かれているものはないのではないかと思う。徳を巡る一連の考察の中で、アクラシアの問題を不倫という事象を取り上げて説明されたことには意表を突かれた。無抑制の例としてよく持ち出されるのは甘いものを我慢できるかといったことが定番と言ってよいのだが、不倫という事象が提示されてその考察の奥行きががらりと変わった。それほどに生きることと深く結びつく形で考えることを本書は促しており、従来のアクラシアの問題で指摘されてこなかった感情の問題が俎上にあげられる。
プラトンの対話篇を貫く主題は結語にかけて明らかになるのだが、それはパイデイアにある。この一語にプラトン人間論の目的が凝縮されていくのであるが、その考察の中で私たちが今どのような時代を生きているのかにも気づかせてくれる。評者にとって印象的であったのは、レオ・シュトラウスを起点としたネオコンについての考察の中で、アラン・ブルームが一時期熱烈に評価されたにもかかわらずなぜ今その熱気がないのか、そしてイエーガーの大著パイデイアが何を目指したのかといった事柄の一端が窺えたことである。本書は生き生きとプラトン読解の現場を垣間見させ、読者をプラトンとの対話へと導くとともに、今どのような思想風景の中を生きているのかを知らせてくれる本なのである。
この『はじめてのプラトン』を読んで、読者もまたプラトンを読みたくなること必至である。そして汲めども尽きぬプラトンとの対話へと導かれるのである。