昭和天皇自身が、張作霖爆殺事件から終戦までの期間について語った記録。当時の様子が生々しく伝わってくる貴重な証言。
やはり興味深いのは、昭和天皇が立憲君主であったのか否かという点だろう。
天皇自身は自らを「立憲君主」と規定し、内閣の上奏するものはたとえ反対の意見を持っていても裁可、「もし己が好む所は裁
...続きを読む可し、好まざるところは裁可しないとすれば、之は専制君主と何等異る所はない」と述べている。
一方で、「閣議決定に対し、意見は云ふが、『ベトー(veto)』云はぬ事にした」という発言からは、拒否権はあるのだが発動しないだけという考え方も見て取れる(実際に「この時(二・二六事件)と終戦の時との二回丈けは積極的に自分の考を実行させた」と指示を出している)。
また、「(御前会議は)「全く形式的なもので、天皇に会議の空気を支配する決定権は、ない」という発言や、「(開戦が決定した際)反対しても無駄だと思つたから、一言も云はなかった」という発言からは、君主として自らの考えを実行させることのできないフラストレーションが感じられる。
このような天皇の微妙なポジションは、丸山真男が言う「無責任の体系」の根幹をなすものだったのだろうか。