紗季子さんの本を読んでいるといつもにんまりしてしまう。わたしは、彼女の表現がだいすきだ。
わたしがPodcastを聞いて、電流が走るくらい衝撃だった、”ショートケーキは背中から”が表題になっていてとても嬉しい。
あれ以来、わたしはショートケーキを背中から食べるようになってしまっている。恐るべし紗季子さま。
この本は、紗季子さんの食への熱量に負けないくらいの気持ちでわたしも挑みながら読んだ。気軽に読めるような気がして、実はこちらも気合いが入らないと、熱量にまかれて、あれは何だった…?って終わってしまうから。
やっぱり、食べてきたものを、おいしい、の一言で済ませずに、あらゆる観点で探究していて、わたしは紗季子さんの影響で、おいしい、以外の言葉で、食べものに対する自分の感情を表現したい、食べるという行為は毎日するからこそ大切にしたい、味は消えちゃうから思い出は残したい、と思うようになりました。ありがとうございます。
そして、何よりこの本の中で151ページ以降のコラムがわたしは大好物。
食べものそのもの、というより、食べものを通した人生、みたいなものが見えて、それがとてもすき。
だいたいの出来事は食べものと共にあるのだ。
食べものの話の中では、ブルボン王国の話がとてもすき。ブルボン最高。
コラムの中では、赤い扉の先に、がとてもすき。
これは吉本ばななさんと一緒に行かれたレストランとどこかでおっしゃっていた気がする。好きな人と好きな人が仲良くなってご飯に行って、そのレストランが、紗季子さんの過去と繋がっていくだなんて、奇跡にも程がある。わたしがTwitterでメンションしたからなのでは、とすら思っている(勝手に)
_φ(・_・メモ
・アイス混ぜないコールドストーンなんてそ!、プレゼント運ばないサンタくらい意味ないよ、、、
・大袈裟に味で感動できること。生きててよかった。そう思えるくらいの感動を味によって得ることは、いつしか私の特技になった…その力によって幾度となく日々を救われてきた実感がある。ただしそれは美味なるものを食べているだけでは生まれなかったはずだ。かつて衝撃的に不可解な味わいに接し、味覚のレンジが広がったからこそ見えるようになった世界。
・降りない。
今年できなかったことが来年できなくてもいい。歳とったぶんだけ成長しなくてもいい。ただただ日が昇って沈んで、また昇るまでの24じかんのなかで、素敵な景色を見たり、嬉しいことや悲しいことに出会ったり、エキュートに寄ったりしながら心を使って過ごしていけばいいのだ。終点はなし。目的地がなくたって、ただ生きていればいい。ぐるぐると回り続ける山手線の中でそんなふうに気づいた時、好きにやるか、と吹っ切れた気がした。
・お菓子を売るときの文句には、ついつい、ポジティブな言葉を添えてしまいがちだ。
でも、本当はそれだけではないんだよなあと思う。むしろ菓子は悲しみに寄り添うものである。私だってもうダメかもしれないと思うとき、心がぺしゃんこになっているとき、お菓子に救われたことがなん度もある。ハッピーだけじゃない。ハッピー、アンド、サッド。
・見えなかったものが見えるようになる。わからなかったことがわかるようになる。そうして手に入れていったきら星の、その一つ一つだけで尊いというのに、ある時思わぬきっかけで像を結んで浮かび上がったりもする。あの、わあ!星座出た!っていう感動を、私は食べもので一生やっている気がする。