池田渓の作品一覧
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ユーザーレビュー
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東大進学を志す少年たちに一読して欲しい。
そしてそれでも東大を目指したらいい。
上が突き抜けてしまって不均質な集団は大変だ。
Posted by ブクログ
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テレビでは、'東大王'とか'さんまの東大方程式'とか東大を冠した番組の企画が多い。そこでは、世間一般の東大に対するイメージを助長ないし揶揄する試みがみえる。そんな中、東大に在籍した著者が、自身の経験や、東大に入ったがために、それぞれの思いの中で歩んでいる人生の軌跡に、当人たちとの取材を通して光を当て
...続きを読むている。東大といってもピンからキリまでいるが、金太郎飴的な理解に苦悩する人々がいる。幸せとは何かへの自問がある。他人との比較ではなく、過去の自分との比較、という言葉が救いになる気がする。
Posted by ブクログ
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親としては、我が子に絶対に死なれたくない。死にたくならないために、希望を失わずに生きていけるように、友達とか、音楽や絵とか、健康で生き生き生活出来るような自立の術を、学んでほしいなあ。
受験の勝者にならなくてもいいから!!
Posted by ブクログ
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東大生と言うと受験生0.25%の超エリートでほとんど能力差が無くフラットな世界を想像してたけどこれ程までに格差があるとは正直驚き。
本の中で著者が東大生は論理的に文章を書く事を徹底的に訓練されており且つ元々長けている、みたいなことを言われていたけど非常に文章が巧みでく◯◯だから◯◯みたいな原因と結論
...続きを読むが交互に展開されており一気に読んでしまった。
ここに挙げた東大生は極端な例も含んではいると思うけど現状を知れて参考になった。
Posted by ブクログ
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東大なんか入らなきゃよかった
誰も教えてくれなかった不都合な話
池田渓(いけだけい)氏による著作。
2020年9月26日第1刷発行。
池田渓氏は1982年兵庫県生まれ。東京大学農学部卒業。
東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程中退。
フリーランスの書籍ライター。共同事務所「スタジオ大四畳半」在
...続きを読む籍。
ある意味当たり前ではあるが、大学受験突破した後も人生は続く。
いやそれからの方が断然に長い。
学校や予備校、受験勉強で頭が一杯の時にはすぐには気が付きにくい人生の落とし穴を教えてくれる本。
内容は著者が東洋経済オンラインに掲載した記事をまとめたもののようだ。
ただ文系の大学院進学への警告などは他に水月昭道氏が古くから指摘しているし、霞が関の官僚の労働実態が酷すぎるという話も昔からあるにはあった。
メガバンクもついてもしかり。
一般人に比べれば多く本を読んできた身としてはそこまで斬新な話は無かった。
ただこういった大学受験後の、大学入学後を意識する事は大切で大学受験が一段落した方は是非読んでみると良い。
東大という冠を題名につけているが、ある程度の入試難易度以上の大学であれば全てに通じる話である。
個人的な注意点は前半に出てくる、東大の入試も基本的問題を確実に得点していけばクリアは実は容易と書いている。
合否ラインも6割ほどだと。
入試の倍率も3倍程度であると。
ここだけは注意した方が良い。
大半の人間にとってセンター試験レベルをはるかに凌駕する東大入試で6割以上得点することそのものがまず難しい。
また合格ラインであるセンター試験得点ライン(全教科ほぼ8割以上を取る)
を突破することも簡単な事では無い。
相当な努力を積み重ねてもなお突破出来ないのが東大入試というものだ。
集まる受験生の質がそもそも大半の大学とは異なる。
入試倍率3倍とは言え未だに超難関大学である。
(もちろん東大の中の教育が特別なわけでも何でもない。自分の身に合った適切な大学で勉学に励めばそれで良い。入学時に学部が決まっていないが故に東大だと希望する学部に進めないなどの問題もあるようだ)
その点だけは注意して読むと良い。
参考になった箇所を紹介していくと
東大は人生の幸福を決して約束などしてくれない。
毎年労働市場に供給される新卒の東大生は約3000人いるが、世の中には東証一部上場だけでも約2000社の企業がある。
国家公務員や士業(弁護士・公認会計士・行政書士など)を志す東大生が相当数いることを考えると、誰もが知っている企業、各業界で大手といわれる
企業、安定あるいは高待遇で人気とされる企業は数あれど、毎年のように東大生を採用できるような所は、やはり極一部といえる。
偏差値ヒエラルキーの頂点に位置する東大の場合、海外に出るというのでも無い限り「さらに上」という選択肢が無い。
東大生には「もっといい大学に行けたのに」ということがないのだ。
別の見方をすれば、合格ラインギリギリのものから東大生の平均ラインを
はるかに超える天才じみた連中までもが、いっしょくたに「東大生」というカテゴリーに押し込まれているのである。
3種類の東大生
天才型、秀才型、要領型
多くの大学が学部や学科別に合格者を決めるのに対して、東大では3年生で専門課程に進学する際にはじめて学部と学科が決まる。
これが有名な「進学振り分け(通称・進振り)」だ。
最近、「進学選択」に名称が変わったが、長年の慣例で未だに「進振り」と呼ばれている。
進振りでは、進学先の定員の枠内で、2年生前期までの成績の平均点の高い順に内定していく。
当然、人気のある学部・学科は合格最低点が高くなり、逆に、医学部看護学科のように、人気がなく、赤点さえ回避できていれば内定できる
「底割れ」学科もある。
文一は主に法学部、文二は主に経済学部、文三は主に文学部や教養学部、
理一は主に工学部・理学部、理二は主に農学部・薬学部・獣医学部、
理三は医学部に進学するが、もちろん成績が悪ければ、希望する学部・学科には進学できない。
例えば「動物のお医者さん」に憧れて理二に入学できても、希望どおり獣医学部に進学するには、教養課程の講義で平均70点以上を取り、
その年の獣医学部進学希望者の中の上位約20人(科類によって枠が決まっていて、
有利不利はある)に入っていなければならない。
逆に理三以外の学生でも、平均点で90点前後の好成績を取っていれば、医学部医学科に進学できる
(ただし、大学受験をやり直して改めて理三に入る方が難易度は低い)
要領型の東大生は期末試験で赤点を取り、また赤点を取らぬまでも希望の学部・学科へ進学するのに必要な点数を取れず、目標を見失い、
留年する。実は、東大は留年率が例年20%を超えている。
この日本の大学の中でも突出して高い留年率は、講義のレベルの高さに加え東大生同士の熾烈なつぶし合いが繰り広げられる進振りというシステムの負の側面を反映していると言えよう。
さて、講義についていけず落ちこぼれた学生は、入学して2年もすれば東大に入ったという高揚感も無くなり、日々を漫然と過ごすようになる。
大学からの学問は論理的な知識の積み重ねなので、最初の段階でつまずくとそこから先の講義がサッパリ分からなくなる。
高校までの勉強のように、分かりやすい参考書も教官からの手厚いフォローもない。
東大合格が人生の最大の目標だった人たちは、東大入学後は勉強の「べ」もしなくなる。使わなくなった受験の知識は急速に失われれ、やがて単純な微分積分すら出来なくなる。これが、いわゆる「東大までの人」というやつだ。
シケ対は東大生が自主的に作り、脈々と運営し続けてきたシステムで、正式名称を「試験対策委員会」という。
第二外国語ごとのクラス内に組織される、期末試験を乗り切る為の互助会だ。
どのようなシケプリを作成するかはその講義の担当者に任されているが、そこは散々受験勉強をやってきた東大生、授業のノートをまとめたり過去問を分析したりするのはお手の物だ。参考書のマニアも多く、
そのような「勉強のオタク」たちによって嬉々として作成されるシケプリは板書をただ写し取っただけにとどまらず、難解な講義を噛み砕いて解説し
過去問に加えて予想問題まで付いていることもあり、試験で効率よく点を取るのに非常に役立つものとなっている。
シケプリは往々にして教官の授業よりよっぽど分かりやすい。
東大の教官は研究者ではあっても教育者ではないことが多く、それを公言するものもいる。そういう教官の講義スキルは、ビジネスとして物を教える予備校講師などの足元にもおよばず、とにかく不親切で分かりにくい。
ちなみに、シケ対やシケプリとは別に、時代錯誤社という学内文芸サークルが毎年4月に「教員教務逆評定」というサッシを300円前後で販売している。
学生へのアンケートをもとに、駒場キャンパスで教鞭を取る教員と授業を大仏、仏、鬼、大鬼の4段階で総合評価しており、これを参考にして点を取りやすい授業を選択する学生は多い。
少しは世間を知れば、「学歴など無数にあるパラメーターのひとつでしかない」
という至極まっとうな事実に気づき、先に書いたような歪んだ価値観は正されていくものだ。普通の人なら、それくらいの修正力はある。
歪んだ価値観=学歴カースト
僕たちが出身大学を問われた時に「一応、東大です」と言うのは、自分のことを東大に見合うだけの人間だと思っていないからだ。
「東大卒」のレッテルを上書きするほどの成果を仕事や趣味の活動であげ、その実績がまわりにも認知された時、僕たちははじめて「東大」の呪縛から解き放たれるのだろう。しかし、それは並大抵のことでは果たされない。
それほど、この呪いは強力だ。
面白いのは、ぼくのようにキャリアの積み上げに失敗した東大の同級生たちがぼくが通るなら自分も通るだろうと考えて、続々とぼくの通っている大学の医学部に進学してきていることです。大学の中で期せずして同窓会というか派閥のようなものができつつあります。所属しているゼミの教授からはうちは君たちが人生を再出発するためにやたらと便利に使うような場所じゃないんだぞと言われていますけど
キャリアの積み上げに失敗した東大卒業生にとって、地方大学の医学部は人生の再生工場といった所だろうか。
(この辺は実感がある。自分もかつて受験勉強していた時期、2003年頃通っていた予備校の英語講師で東大文学部卒、和歌山県立医科大学に通っている珍しい経歴の人がいた。東大卒で国立医学部入り直すという
パターンはぼちぼちあるのだろうなと)
Posted by ブクログ
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