大学で英文学の授業の教材として読んだ思い出の本が、同様に思い出深い村上春樹に訳されるという幸せ。
以前読んだ村上春樹と柴田元幸の対談本「本当の翻訳の話をしよう」で話題に出てたのがきっかけで手に入れてみた。
授業で学んだから内容は多少覚えていたとは言え、20年以上前に読んでから読み直してもいなかったので、ふんわりとした記憶しかなかった。
耳の聞こえない主人公のシンガーさんが、町の人々から色々なことを相談されるけど、相手は一方的に話すだけで別に探偵的なことをするわけでもない。
そしてある日悩みを聞かされまくった主人公は自殺してしまう。
そして町の人々は後悔する。
といった感じ。
読み直した結果、結構大事なところが間違っていた。
記憶ではシンガーの死を知って、俺達は彼のことを何も知ろうとしなかった…!とみんなで嘆いてたように思ったけど、全くそんなことはなかった。「なんで突然死んでしまったんだろう」とか言ってるだけ。最初から最後まで、みんな自分本位だった。そういう意味でもみんな孤独だったな。
あと、完全に忘れていたけどシンガーの親友のおデブさんがいて、最初は仲良く暮らしているけど徐々に精神がおかしくなり、ついには病院送りになってしまう。でもシンガーさんは変わらず彼を愛し、病院にも良く面会しに行って、お土産も渡し、でも結構ぞんざいに扱われ、最後には連絡もないまま亡くなってしまい、それが原因でシンガーさんも自殺してしまう。
だから、町の人達の悩みという陰の気がシンガーさんに溜まってそれのせいで、ということは全然なかった。むしろ、シンガーさんは町の人達、なんか良くわからんけどやたらと話しかけてくるなぁ、まあええけど、くらいの軽いテンションだった。なのに町の人達はシンガーさんだけが分かってくれてる!みたいな感じだったし、終始すれ違い。
シンガーさんが主人公というより、町の人達と含めてマルチ主人公という形だった。貧乏だけどがんばってる女の子は、読むまでは忘れてたけど、読み直したら思い出した。いたいた。
でもレストランの主人や、テンションが終始おかしいパワータイプの男性、あと苦労人過ぎる黒人の医者という他の主人公たちはあまり覚えてなかったわ…
そして主人公たちはまだ良いが、海外小説あるあるとして名前がわかりにくい!そもそも名付けが有名人の名前から取ってるカール・マルクスというキャラクターがいるのに、他の登場人物が資本論のマルクスの話をしたりする。そして普通にあだ名で呼んだりもする。誰が誰だー?
あと、キャラ同士の関係性もいまいち理解できなかった。血の繋がった家族なのか、使用人の家族なのかもう分からんぜ!まあ、ストーリーにはあまり関係ないから良いけど!
女の子主人公のミック、音楽好きでピアノも学び始め、作曲までできるという、才能がありそうな雰囲気なのに色々な運命のいたずらで普通に働き始め、そのまま音楽のことを忘れてしまっていく。うーん、切ない。
しかし、銃を遊びで触って暴発させて好きな女の子を射殺しかけてしまう弟は、それのせいで一家の生活が壊滅したのに反省どころか女の子を逆恨みしており、非常にリアルな子ども描写だが、ミックを応援する読者としては悲しくなってしまう。
で、翻訳作品としてだが、割と翻訳感が残っていたのもあり、個人的には余り好みではなかった。翻訳作品の常識としては、読みやすくするためだとしても下手に意訳を含めてしまうのはNGというものがあるらしいが、いや、読みやすさでしょ。
ただ、村上春樹流翻訳のやり方は、結構意訳というか、文の順番や構成を変えたりというのはしてるらしい。
しかも、村上春樹作品というバイアスがかかってしまっている気がする。自分はまだ原作を読んでからこの翻訳を読んでいるので、オリジナルの印象が残ってる気がするけど、翻訳版を最初に読む人はもう、村上春樹作品の第一印象がついてしまうのではないか。
例えば、まるで〜みたいに構文がしっかり出てくる。
p122
まるでブラシできれいにこすられ、長いあいだ洗面器の水に浸けられていたみたいに。
いや、別に村上春樹専売ということはもちろん無いんだけど、でも村上作品にまるでみたいにが出てくると、やっぱりな、と思ってしまうのだった。
というか、前から思ってたけど別に村上春樹翻訳作品、ものすごく良いかとというと特にそんなことはない。
普通に翻訳感は残ってるし、更にやっぱり村上作品だというノイズが乗ってしまう。
もちろん、シンガーさんがやれやれと言ったりスパゲッティを茹で始めるなんてことはないし、プロだし、自分の好きな作品しか訳さない人だから、そこで自分の色をつけることは絶対ないとは言え、とはいえ村上春樹っぽさが出ないはずもないので。
悪いとかではいっさい無いし、翻訳するななんてことはないんだけど、なかなか難しい。
どうでもいいけど、原題の「The Heart is a Lonely Hunter」という響きが頭に染み付いているからか、タイトルは四節あるような印象があり、「心は孤独な狩人」、ではなく「心は〇〇で孤独な狩人」という形で脳裏に浮かびがちだった。あと主人公がシンガーじゃなくてハンターと覚えがち。