アート=皆が当たり前だと思って空気を読んで従っている常識に対する問題提起
読んでみたけど、私無意識でも街中の彫刻とか好きで見てたなと思った。日本に居た時もイサム・ノグチ巡礼したし。これ読んで更に彫刻を見る解像度上がった気がする。やっぱり美術好きだと美術の本場に住むことから得られるものが多い。
アメリカが経済の中心になった時にアートもアメリカが台頭するようになったのは、経済とアートは関わりが深いんだな。
プロテスタントで美術は発展しづらく、カトリックで美術は発展しやすいんだやっぱり。私美術が好きで美術視点で世界の国に興味を持つんだけど、イギリスに興味持てなかったのはそれが関係あるだろうなと思った。イギリスの建築魅力的だと思わない。イギリスの植民地国のイギリス風建築とかも微妙だなと思ってしまう。イギリスの魅力は知ってるしそこじゃないんだろうけど。
だからヨーロッパ好きだけど、特にカトリック文化圏を偏愛してるな。だから北欧もドイツもイマイチ興味無い。でも南ドイツのミュンヘンとかはカトリックなんだ。
堀越 啓(ほりこし・けい)
株式会社SDアート 代表取締役彫刻家と交流がある家で育ち、彫刻家・佐藤忠良氏より命名される。上智大学経済学部卒業後、事業企画等の事業戦略策定などを経験。2012年4月SDアートに入社し、2015年代表取締役に就任。ピカソに彫刻を教えた彫刻家「フリオ・ゴンサレス展」や、風と水の彫刻家「新宮晋の宇宙船」展、富山県立美術館のシンボル彫刻設置、「真鶴町・石の彫刻祭」などのプロジェクトを手掛ける。2022年4月より、SDアート企画による「生誕110年 傑作誕生・佐藤忠良」展が全国美術館を巡回。彫刻を中心とした美術展の企画や、アートプロジェクトを数々手がけている。また、オンラインサロン「ロジカルアート」を主宰し、主にビジネスパーソンや経営者に向けて、美術の読み解き方のセミナーを実施。著書「論理的美術鑑賞」(翔泳社)は、韓国や中国でも翻訳・出版されている。
「この方程式に則ると彫刻を鑑賞するポイントが見えてきます。それが、以下です。
なぜ、その素材で制作したのか?
なぜ、その大きさで制作したのか?
なぜ、その高さで設置したのか?
なぜ、その場所に設置したのか?」
—『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』堀越 啓著
「コンスタンティン・ブランクーシ( 1876年2月 19日 ~ 1957年3月 16日)は、ルーマニア出身の彫刻家で、パリを拠点にして活躍しました。彼を一言で言えば、「抽象彫刻の始祖」と位置付けられます。彼の言葉で、彼の彫刻をよく表している言葉だなと思うのが「事物の本当の意味をとらえようとすると、形態はどうしても単純にならざるを得ないのだ」という言葉でしょう。」
—『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』堀越 啓著
「彫刻と言えば、「カタチ」という言葉が浮かんできます。私たちは、日常で数多くのカタチを目にしています。そして、このカタチに対して「美しい」とか「醜い」といった感覚を抱きます。例えば、富士山や白神山地、屋久島といった自然の風景のカタチもあるでしょう。もしくは、厳島神社、姫路城、国立西洋美術館といった人の手が入った造形物というカタチもあるでしょう。これらは全て世界遺産ですが、自然だけではなく、人の手が入り時間が経ったことにより、時の試練を超えて残っている「時間的価値」の美しさとしてのカタチを感じることもあるでしょう。いずれにせよ、これらの「カタチ」には、人間が美しいと感じる何かが含まれています。」
—『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』堀越 啓著
「この他人軸とは、他人や社会、世間から与えられた判断基準のことです。例えば、それは、「良い大学に入って、大企業に就職すべき」という観念だったり、「女性なんだから」「男性なんだから」といった決めつけだったり、はたまた「人に優しくしなければならない」といった一見良さそうな観念まで、世の中は、思い込みと決めつけにあふれています。そして、それにみんな「何となく、そうしておいた方がいいかな」と流されています。自分の選択を他人に委ね、空気に委ねてしまう。これが、他人軸で生きるということです。アーティストとして生きる、ということは、この固定観念を特定し、ひっくり返したり、曖昧にしながら、新しい「カタチ」を提案していくことに他ならないのです。」
—『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』堀越 啓著
「このような態度を別の言葉で言うならば「問題提起」です。良いアーティストの条件の一つとしてあげられるのが、問題提起する作品です。マルセル・デュシャンや、パブロ・ピカソといった偉大なるアーティストたちを見るとわかるのですが、みんなが当たり前と思っていること(固定観念)に対して、「それは違う」とひっくり返したり、「本当に?」と根幹を揺るがしてしまう人たちです。このようにあらゆる境界線を曖昧にして、拡げていくことで、アート自身の存在意義すら曖昧にして、拡大して増殖していっている。これがアーティストとして生きるということなのです。」
—『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』堀越 啓著
「インターネットで情報が容易に取得できるようになった現代、本が以前ほど読まれなくなっているとのこと、非常に残念に思います。一方で、やはりこれだけ多くの方が関わってくださり、一つの作品が出来上がることの尊さに、感謝が込み上げてくるとともに、本の素晴らしさを再認識しています。そして、一つの作品を世に出していくという途方もないエネルギーの結晶という点で、本もまた、アート作品であると深く感じています。このエネルギーの結晶に触れてくださった方々に心から感謝すると共に、その結果、人生が少しでも豊かになるきっかけになれば、著者としてこんなに嬉しいことはありません。「本が人生を豊かにする」。人生で何度も本に助けられてきた私は、この言葉を信じています。そして、この本が、そのような存在となれば大変嬉しく思います。」
—『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』堀越 啓著