まず、何よりも先に、惣司ろう先生のご冥福を申し上げます
これからの少女漫画を支えられるだけの地力を着実に培っていた、間違いない俊才の早すぎる死去に胸が痛む。一漫画家の死に、これほどまでのショックを受けたのは、目標にさせていただいていた小説家である、香月日輪先生の逝去以来である
少女漫画らしい、可愛ら
...続きを読むしげな画に支えられる恋愛ストーリーや、リリアの言動の中に、ありきたりな少女漫画にはない芯の強さを、この作品を読んでいて感じる事は多かったが、もしかして、それは自身の命を燃やすようにして描いていたのではないだろうか?
死者が何を想っているか、それは生者である私には言い当てられないが、きっと、自身の作品を完結させられずに逝ってしまった惣司先生はきっと、悔しかっただろう、単なる読み手でしかない私がこんなにも歯痒いのだから・・・・・・
漫画家には当然、全力で作品を生み出して欲しい。けれど、さすがに死期を早めかねない、危険すぎる執筆活動は正直なトコ、避けて欲しかった。一時、ペンを置き、治療だけに専念をし、体調を万全に戻せていたのなら、もしかして、先生自身が描きたかったラストを描いてから、思い残し一つなく逝けたのではないか、とすら思ってしまう、今更、遅い、と判っていてもだ
惣司先生は、自分が望む形で作品に幕を引けないのを承知し、覚悟し、悔しさも哀しさも飲み下して、最期の最期まで自分らしい、自分が描きたい作品を、私達のために描いてくれた
きっと、この『忘却の首と姫』を読めた事で見ている景色が一変したり、人生観や恋愛観がガラリと変わったりした読み手もいるだろう。そんな読み手が例え、一人だけだとしても、存在するならば、惣司先生が漫画家として生きた意味がある、私は綺麗事だと笑われても、そう思いたい・・・・・・先生の誇りを守ると言うより、惣司ろう先生のファンでいられる己の誉れに懸けて
この台詞を引用に選んだのは、惣司ろうって漫画家が亡くなった、その現実があるからこそ、受賞作に先生が籠めたキモチが、その時以上に読み手に強く伝わってくる、と思ったから
改めて言います
惣司ろう先生、漫画家として生きてくれてありがとうございました。ゆっくりと休んでください、次の機会に向けて