岩内章太郎の作品一覧
「岩内章太郎」の「本質観取の教科書 みんなの納得を生み出す対話」「新しい哲学の教科書 現代実在論入門」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
他者の視点や判断に身を委ねるうち、〈私〉という自己イメージが曖昧になってくる感覚を覚える人は多いだろう。その〈私〉を取り戻すためには、逆説的だが、自分が自由にできる〈私〉という自己イメージを手放す必要がある、というのが本書の主張。全般的にやや繰り返しが多く少々くどい感じがするが、認識論、現象学、経験論などを幅広くカバーしている割には論旨が一貫しており、おかげで理解がしやすい。自身の身の上話から本書が始まるのも共感できる(本書の要諦を体現しているとも言える)。
かつて社会を支えていた共同体が果つるところで立ち現れた〈終わりなき日常〉(宮台真司)では、当該共同体で必要とされるコミュニケーション能力なき者は、ひたすらに自己の快楽のみを追求するしかない。すると、間主体的な批評の対象となるような「物語」よりも、それを構成するフェティッシュな個々の「要素」のみに着目し、共通理解を拒むかのような「自己のエロス」に閉じこもる〈動物化〉(東浩紀)が生じる。そのような「なんでもあり」の状況では、人間は克服すべき課題や障壁を見失い、理想や欲望の所在が不明瞭となる〈退屈〉(國府功一郎)に苛まれることとなる。
著者はこれらの背景に〈善への意志〉、すなわちもう一度他者との関係性の中で普遍性倫理を取り戻そうとする回帰的な欲望の作動を見る。マルクス・ガブリエルの新実在論を引き合いに、ポストモダン的構築主義に倦厭した人々が、自らの自由を手放し外部規範に隷属することを欲しているのだと喝破しつつ、これが自らの〈内なる声〉に耳を傾けることなく他者の評価に拘泥する、現代人の病理の根源であると指摘する。
この「自己の放逐と他者への依存がもたらす空疎さ」に対処すべく著者が提唱するのが、経験論哲学の系統を継ぐ〈新デカルト主義〉だ。畢竟、〈私〉は現象学的な「見え」から脱却することができない。〈私〉は〈私〉の自由には必ずしもならないのだ。そうであればとにかくこの「見え」から出発し、同じく個々の「見え」に依拠するしかない他者の認識を認めた上で間主観的な合意を探っていくしかない。その際重要になるのは、物事に対する判断を一旦保留するピュロン主義の〈エポケー〉である。複数の真実が暫定的に共存しているという状況を認め、安易な臆見を差し控える。そこにあるのは自己の認識能力の限界に対する強い自覚であり、これがデカルトの提唱した〈方法論的懐疑〉に通ずるというのだ。
自己と他者の認識が高々現象学的な「見え」に依存するという意味において対等である、という前提にたてば、「真実はいかなるものであるのか」という問いはその基盤が揺らいでくる。それよりは「私とあなたの認識がどのような意識体験から生じたのかを検討し、対話を通じて共通点を探ろうではないか。そのためには時間が必要だから即断は避け、問題を単なる信念対立から本質洞察に昇華させよう」と著者は提唱するのだ。
私の主観的・現象学的「見え」ではなく、外部の〈善のパッケージ〉に判断を委ねてしまうと、理性と情動に訴えかけてくる陰謀論に容易く取り込まれてしまう。そうではなく、この〈私〉がどう感じどう考えるかを観照し、同型の認識が他者でも成り立っていることを認めた上で共通理解を探る。その際、〈私〉が感じた違和感や摩擦が外部的対象の成立を担保しているのだから、そのようなネガティブネスから目を逸らしてはならないというのだ。
面白いと思ったのは、サイバースペースでやりがちな〈私〉のドレスアップを続けるうち、どうしても改変できないものが残るのだが、それこそが〈私〉のコアである可能性に言及していること。なるほどと思った。