私の旅とは全く違うスタイルのミギーさん。しかしながら「旅がなければ死んでいた」を読みながら、共に笑い、共に焦り、共に感動しながら旅をしている気分になった最高の1冊!こんなにハードな、そして自分のあるがままの心に寄り添う旅。しばし感動で呆然とした。終盤、犬顔さんとのロマンスには「こんな素敵なことが待っていたなんて!」と身悶えしながら読んだ。旅に関する本は数多読んできたが、間違いなくベスト3に入る1冊。
【心に残ったこと】
○旅をしたり、生活したり、生きてたりする中で、見たもの感じたものを気に入ったなら伝えたいなと思った。本書の中で「私たちの存在、文化を知ってもらいたいんだ」というバダッド村のおじいさんの言葉が胸に響いた。
○日本でいつも物分かりの良い人を演じてきた自分。大体物わかりを良くして生きてきたのは、一体誰のためだったのか。
○ムスタンで農業の研究を重ね、不毛の大地に豊かな実りをもたらした近藤亭さん。「ムスタンで作物が育つようになったのは近藤さん達のおかげ。国民全員が、王様同様に尊敬しています」これほどまでに尊敬される生き方もある。自分の生き方はどうだったか?自分のためにしか生きてこなかったから、とても小さくて恥ずかしく思えてくる。「人の役に立ちたい」ということが、結局はただの欲でしかなかったとしても、これから自分の人生で何ができるかを考えなければと心に誓った。
○限りなく湧いて出る欲…尽きないその欲への対処法。(byムスタンの僧侶ツェリン)シンプルな方法。1日2回「自分の人生」について考えてみる。長い時間でなくて良い。朝起きたときとか、夜寝る前とか、ちょっとの時間で大丈夫。「自分にとって、よく生きる」とは何か。「あなたの本当の成功」とは何か。毎日考えてみる、ただそれだけ。
そもそも自分の望む幸せとは何だったのか。生きる指針を、自分の中に持ち合わせていないのだから、その先に迷うのは当たり前の事。目的地がわからないのに、そこに行けるわけがない。私はどこに向かって生きていきたいのか。それを考えるのは今からでも遅くないと教えてくれるツェリン。この日を境に坂田さんは自分の人生の行き先を思うようになった。
○(チベットの気づき)私は、すでに、すべてを持っていて、幸せだったのだ。言葉の上では「きっと自分は恵まれている、きっと自分は幸せなはずだ」と思っていたが、それでも何かが足りないと思い続けてきた。足りないのは、外の何かではなく「自分」だった。旅立ち前に失恋した時「気持ちを粗末にされた」と悲しんでいたが、これは自分が今まで他人にしてきたことが返ってきたのだと、後になってから気づいた。だからこそ、もう人の気持ちを粗末にして生きるような事はやめようと誓った。もし次に大切な人に出会うことができたら、今度はうんと大切にしようと心に決める。カイラス山に「大切なものを守れるように、もっと優しく、強くなれるように見守ってほしい」と願った。ふらふらとさまよっていた心が、誓いの碇を下ろしたことで地に足がつくようになり、大地をつかんで踏ん張れるような、そんな力強い感覚に満たされる。
○ダライ・ラマ法王は「歴史は作られている。だからそれを信じてはいけない。自分で見たもの、感じたものを信じなさい」と言った。自分が見たもの、感じたものこそが真実なんだ。それを少しでも他のみんなに伝えて欲しい。それは、チベット人の願いなんだよ。
○自然の大きさを感じ、己の小ささを知る事は、なんと気持ちの良いことだろう。私がどんなに死にかけようが、涙で溺れていようが、お構いなしに地球は回っているし、太陽が昇っては沈んでいく。巨大で巨大なドット絵の、ちっぽけすぎる点の1つ。圧倒的な世界の中で、小さな自分は、どこまでも自由だったのだ。