配信予定・最新刊

作品一覧

  • 置き配的
    NEW
    5.0
    1巻2,189円 (税込)
    コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった―― 「紀伊國屋じんぶん大賞2025 読者と選ぶ人文書ベスト30」の1位に輝いた気鋭の批評家が放つ最初にして最高の2020年代社会批評! 群像連載の「言葉と物」を単行本化。酷薄な現代を生き抜くための必読書! 「外出を自粛し、Zoomで会議をし、外ではマスクを着け、ドアの前に荷物が置かれるのに気づくより早く、スマホで通知を受け取る。個々人の環境や選択とはべつに、そのような生活がある種の典型となった社会のなかで、何が抑圧され、何が新たな希望として開かれているのか。そうした観点から、人々のありうべきコミュニケーションのかたちを問うこと、それがこの本のテーマです。(中略)  つまり、狭義の置き配が「届ける」ということの意味を変えたのだとすれば、置き配的なコミュニケーションにおいては「伝える」ということの意味が変わってしまったのだと言えます。そして現在、もっとも置き配的なコミュニケーションが幅を利かせている場所はSNS、とりわけツイッター(現X)でしょう。保守とリベラル、男性と女性、老人と若者、なんでもいいですが、読者のみなさんもいちどは、彼らの論争は本当に何かを論じ合っているのかと疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。 (中略)置き配的な社会を問うことは、書くことの意味を立ち上げなおすことにも直結するはずです。」(本文より)
  • ひとごと クリティカル・エッセイズ
    -
    1巻2,750円 (税込)
    すべて「じぶんごと」として考えることを迫られる時代に「ひとごと」そのものを思考する倫理を立ち上げる。気鋭の思想家がデビュー以来綴ってきた批評=エッセイが哲学へと結実する実践の書。 ◎伊藤亜紗氏推薦! 何かに魅入られる。その魔法の時間を引き伸ばすことが批評であったような時代に、本書は終わりを告げる。いったん魅入られたならば、魔法が去ったあとの醒めた体が何事かを語り出す。本書はそのことを証明する。 ◎内容 何かを発言することが通販サイトの商品ページに足跡を残すことと大差なくなってしまったこの時代に、〈書く〉ことの意味はいかにして立ち上げなおされるのか――『非美学』の若き哲学者による渾身の批評=エッセイ集。書き下ろし序文と巻末の著者解題も必読! -- 道徳も真理も腐りきっているとしたら、いったいひとは何を拠り所にして生きていけばよいのか。そんなものはない。しかしそれはたんに人生の厳しさであるだけでなく、楽しさや喜び、あるいは優しさの条件であるだろう。雑多な文章が収められたこの本に通底するのは、「ひとごと」との距離のうちにある、そのようなポジティブな条件の探究である。――本文より
  • 非美学 ジル・ドゥルーズの言葉と物
    -
    1巻2,970円 (税込)
    ドゥルーズにとって諸芸術はどんな意味を持つのか。美学を適用するための倫理を探りながら、日本批評の「否定神学批判」の射程距離をも探る。俊英による日本現代思想の新たな展開がここに! ◎千葉雅也氏絶賛! 博士論文をもとにした著作に、人々の価値観を根底から揺さぶろうとする気合いを込める――今や往年のあり方となりつつあるその禍々(まがまが)しいまでの熱意を、久しぶりに読んだ。芸術と哲学の距離。そして、ものごとの自律性を改めて肯定すること。何もかもをクリエイティブだと言って微笑むようなこの時代に、創造性とは何かをゼロから問い直す。 ◎内容 非美学は、批評の条件についての哲学的思考である。 非美学は他者から〈眼を逸らす〉ことの意味を思考する試みである。 -- 哲学を「概念の創造」として定義したドゥルーズにとって、芸術を通して概念を創造する批評とは何だったのか―― ドゥルーズに伏在する「言葉と物」の二元論から、今世紀の日本の批評を導いてきた「否定神学批判」の限界に迫る、 俊英による真の現代思想がここに! -- 他者から〈眼を逸らす〉ことの意味は、いかにして思考可能なのか? われわれの現代思想はここから始まる!
  • 眼がスクリーンになるとき
    4.0
    20世紀最大の哲学者、ジル・ドゥルーズが著した芸術と哲学をめぐる伝説的大著『シネマ』がわかる! 思想界に颯爽と現れた26歳の新鋭、衝撃のデビュー作! 映画という特殊な経験のシステムから立ちあがる、イメージがそれ以上でもそれ以下でもなく見たままで現れる地平、「眼がスクリーンになるとき」とはどのようなことか。 「たんに見る」ことの難しさと創造性をめぐって書かれた画期的入門書。 「映画とは何かを考え抜いたジル・ドゥルーズの伝説的著作『シネマ』が、本書によって、ついにわかる。『シネマ』のロジックを一歩一歩解きほぐす、目からウロコの超解読。そして、これは映画だけの話ではない。あらゆる芸術・文化を考えるのに役立つツールがここにある。」 ―――― 千葉雅也 『シネマ』は不幸なすれ違いを被ってきた、と著者は言う。哲学研究者からは「映画の本だから」、映画研究者からは「哲学の本だから」と、読まないでいる理由が用意されていたからだ。本書は「ゼロから読む」という副題のとおり、ジル・ドゥルーズの『シネマ』という書物の入門的な解説書である。したがって本書を読むにあたって、ドゥルーズについても、哲学についても、映画理論についても事前に知っておく必要はない。映画をどれだけ見たことがあるかということもまったく問題にならない。本書では映画作家、作品について可能な限り言及しない。つまり、ただ純粋に『シネマ』を読んでみたい、興味があるというひとにこそ、ぜひ手にとってほしい本である。 本書では、『シネマ』にとって、映画は、哲学の「フッテージ(footage)」、つまり「思考の素材=足場」であると捉えなおすことから議論を開始する。その映画というフッテージに、もうひとりの重要な哲学者アンリ・ベルクソンの哲学が流しこまれることで、映画は、「イメージ=映像による〈思考〉の実践」として立ち現れてくるのだ。『シネマ』と「映画」の関係、ドゥルーズとベルクソンの関係というふたつの問いは、哲学にとって「見る」ことと「読む」ことがいかにして概念の創造へと導かれるかということを指し示している。そのとき観客である私たちはどんな存在へと生成するのか。 本書は、「見る」ことと「読む」ことの復権を同時に実現するだろう。

ユーザーレビュー

  • 置き配的

    Posted by ブクログ

    コロナ禍以降顕著になった、現代を渦巻く息苦しい「置き配的」(置き配的、とはコミュニケーションのフリをした内向きのパフォーマンス)な世の中に抵抗する方法を模索する一冊。

    今の世の中を鋭く観察しておりとても面白いが、前提知識がないとイメージするのが難しい部分も多く上手く読み進めなかったのが悔しい。もう一周して理解を深めたい。

    0
    2025年12月07日
  • 眼がスクリーンになるとき

    Posted by ブクログ

    『眼がスクリーンになるとき』。タイトルに引かれて久々に哲学関連の本を読んだ。良書だったので感想を書かずにはいられない。難解で知られるドゥールーズ『シネマ』の入門書であると同時に、「創造」についての本でもある。

    何を隠そう僕は学生時代に『シネマ』を読んだものの1ミリも理解できなかった人間だ。何が書いてあったか全く覚えていない。でも、平易な文からいつ間にか哲学書になっていく文体で、最後まで読み通すことができた。哲学の入門書は退屈なことが多いけど、読み終えたときにカタルシスが得られる。1992年生まれで現在大学院生の著者、なんとこれがデビュー作だという。

    本のタイトルになっている「眼がスクリーン

    0
    2019年03月11日
  • 眼がスクリーンになるとき

    Posted by ブクログ

    内容は難解だけど数回読めばわかるようになる。
    問題は『シネマ』を読まないと『シネマ』の議論と福尾の解釈との見分けがつきづらいこと…
    この本を手掛かりに『シネマ』も読むかあ

    0
    2022年11月21日
  • 眼がスクリーンになるとき

    Posted by ブクログ

    (01)
    本書も,映画の本でもなく,映画史の研究でもない.何の本なのか,といえば,著者が冒頭でいうように,ドゥルーズ「シネマ」(*02)の解説書ではあるが,おそらく「シネマ」の詳細な解説が読めてよかったという読書体験にはならないはずである.
    終盤のモチーフとなる仮構や偽といった話題へと接続しつつ,偽造や模倣,そして新しさや芸術,哲学といった問題が,ドゥルーズ「シネマ1」及び「シネマ2」から注意的に,注目的に引かれ,取り扱われる.これらの問題系は本書のさまざまな読み方の方途のひとつを示しているように感じる.
    本書の真面目な通読を試みた読者はこんな疑問を残すかもしれない.「で?」「だから?」「著者

    0
    2018年08月13日
  • 眼がスクリーンになるとき

    Posted by ブクログ

    ただ見るとは。
    映画はモンタージュの集合体であり、それ自体が隠喩であると信じていた自分には、あまりにも逆説的な出だしで困惑した。だが、映画は映画でありスクリーンであり自分が見ている世界でもある。目の前で流れている存在そのものが自分の眼であると考えるのも面白い。

    0
    2021年02月12日

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