福尾匠のレビュー一覧

  • 置き配的

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    この手の現代思想本で困るのは、前提とする思想の概念等を求められる水準まで把握、理解できていないため、思考の流れを浅くしか理解できていないと思われる点だと思う。私の勉強不足。
    それを差し置いても、一読の価値があると思った。テーマも方向性も身近で、置き去りにされるようなことはない。

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    2026年01月28日
  • 置き配的

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    コロナ禍以降顕著になった、現代を渦巻く息苦しい「置き配的」(置き配的、とは換喩的でありコミュニケーションのフリをした内向きのパフォーマンス)な世の中に抵抗する方法を模索する一冊。

    今の世の中を鋭く観察しておりとても面白いが、前提知識がないとイメージするのが難しい部分も多く上手く読み進めなかったのが悔しい。もう一周して理解を深めたい。

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    2025年12月07日
  • 眼がスクリーンになるとき

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    『眼がスクリーンになるとき』。タイトルに引かれて久々に哲学関連の本を読んだ。良書だったので感想を書かずにはいられない。難解で知られるドゥールーズ『シネマ』の入門書であると同時に、「創造」についての本でもある。

    何を隠そう僕は学生時代に『シネマ』を読んだものの1ミリも理解できなかった人間だ。何が書いてあったか全く覚えていない。でも、平易な文からいつ間にか哲学書になっていく文体で、最後まで読み通すことができた。哲学の入門書は退屈なことが多いけど、読み終えたときにカタルシスが得られる。1992年生まれで現在大学院生の著者、なんとこれがデビュー作だという。

    本のタイトルになっている「眼がスクリーン

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    2019年03月11日
  • 置き配的

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    難しかったけど、なるほどね〜と唸ってしまう文で溢れていた。

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    「伝える」ことは「言っておく」ことになる。

    誤解には誤解だと言えばいい。しかしこういう誤解が可能ですよねと言われても、究極的にはそうですねとしか言いようがない。

    感想はいまや、「もしも私に語彙力があったなら伝えられただろうもの」という、反実仮想を介してしかその存在を認められないかのようだ。

    結局親密さというのは、自分が忘れている自分のことを相手が覚えていて、相手が忘れている相手のことを自分が覚えていて、その思い出のすれ違いの積み重ねなんじゃないかと思う。

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    2026年01月26日
  • 眼がスクリーンになるとき

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    内容は難解だけど数回読めばわかるようになる。
    問題は『シネマ』を読まないと『シネマ』の議論と福尾の解釈との見分けがつきづらいこと…
    この本を手掛かりに『シネマ』も読むかあ

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    2022年11月21日
  • 眼がスクリーンになるとき

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    (01)
    本書も,映画の本でもなく,映画史の研究でもない.何の本なのか,といえば,著者が冒頭でいうように,ドゥルーズ「シネマ」(*02)の解説書ではあるが,おそらく「シネマ」の詳細な解説が読めてよかったという読書体験にはならないはずである.
    終盤のモチーフとなる仮構や偽といった話題へと接続しつつ,偽造や模倣,そして新しさや芸術,哲学といった問題が,ドゥルーズ「シネマ1」及び「シネマ2」から注意的に,注目的に引かれ,取り扱われる.これらの問題系は本書のさまざまな読み方の方途のひとつを示しているように感じる.
    本書の真面目な通読を試みた読者はこんな疑問を残すかもしれない.「で?」「だから?」「著者

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    2018年08月13日
  • 眼がスクリーンになるとき

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    ただ見るとは。
    映画はモンタージュの集合体であり、それ自体が隠喩であると信じていた自分には、あまりにも逆説的な出だしで困惑した。だが、映画は映画でありスクリーンであり自分が見ている世界でもある。目の前で流れている存在そのものが自分の眼であると考えるのも面白い。

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    2021年02月12日