福尾匠のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
エッセイであり批評である、パンチの効いた言葉たちを浴びる
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この副題には、エッセイでないものは批評ではなく、批評でないものはエッセイではないという私のひとつの信念を込めている
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平和なときに「みんな」で考えるのは、戦争の準備だ。平和なときに「それぞれ」で考えるのは、今が平和であることを確認することだ。ふたつのことはすれ違っている。大人は器用にこのふたつを行ったり来たりするけど、ずっと迷っているだけだともいえる。
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社会的分断というのは、言葉の面から見れば、あらゆる言葉がその集団の内部ではミームとなり、外部からの、あるいは外部の集団への言葉がスパ -
Posted by ブクログ
『眼がスクリーンになるとき』。タイトルに引かれて久々に哲学関連の本を読んだ。良書だったので感想を書かずにはいられない。難解で知られるドゥールーズ『シネマ』の入門書であると同時に、「創造」についての本でもある。
何を隠そう僕は学生時代に『シネマ』を読んだものの1ミリも理解できなかった人間だ。何が書いてあったか全く覚えていない。でも、平易な文からいつ間にか哲学書になっていく文体で、最後まで読み通すことができた。哲学の入門書は退屈なことが多いけど、読み終えたときにカタルシスが得られる。1992年生まれで現在大学院生の著者、なんとこれがデビュー作だという。
本のタイトルになっている「眼がスクリーン -
Posted by ブクログ
ネタバレ筆者の考えや思考を全て自分のものとして噛み砕いて理解できたわけではない。きっともう一回読んだら別のところが印象に残る気がします。
一番印象に残ったのが「バイラルなものに対してその換喩としての個人を操作の対象とし、そしてその個人を置き配的なネットワークの末端=端末にすること」というフレーズ。
あくまで私の解釈だか、“バイラルなもの"は操作不可能な他者を指しており、それを換喩としてメタデータを操作(=批判)の対象とすることで、コミュニケーションが置き配的、個人を端末にする(=コミュニケーションが通知を鳴らす/通知が鳴ることが目的になる)ことなのかなと。
そして、それは蛙化現象の事例で -
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Posted by ブクログ
(01)
本書も,映画の本でもなく,映画史の研究でもない.何の本なのか,といえば,著者が冒頭でいうように,ドゥルーズ「シネマ」(*02)の解説書ではあるが,おそらく「シネマ」の詳細な解説が読めてよかったという読書体験にはならないはずである.
終盤のモチーフとなる仮構や偽といった話題へと接続しつつ,偽造や模倣,そして新しさや芸術,哲学といった問題が,ドゥルーズ「シネマ1」及び「シネマ2」から注意的に,注目的に引かれ,取り扱われる.これらの問題系は本書のさまざまな読み方の方途のひとつを示しているように感じる.
本書の真面目な通読を試みた読者はこんな疑問を残すかもしれない.「で?」「だから?」「著者 -
Posted by ブクログ
置き配とSNSにおける議論をアナロジーとして読み解くのはおもしろかった。
それまで対面でのコミュニケーション込で届けられていたものが、ただ玄関前に置かれ、そのことが証拠写真とともに配達完了の通知が来るだけに。
SNSでの議論も、コミュニケーションというよりも、言った、言ってやったという言質の確認になりつつある。
後半の議論が一読だけではうまく読み解けなかった。
もう1回くらい読んでみたい。
もしSNSの投稿の文字数がX(旧Twitter)のような140文字以内でなく、1000文字以上だったら、SNSはまったく違うコミュニケーションツールだっただろうというのが、印象に残った。
そもそも流行っ -