芥川賞受賞作である「abさんご」と著者が二十六歳の時のデビュー作、他に二編の合計四編の短編が「リヴァーシブル形式」で掲載されている。
「リヴァーシブル形式」がどういうものかは、本屋さんで手に取って確認してください。
まずデビュー作である「毬」。
そしてその「毬」と同じ少女が主人公である「タミエの花」と「虹」の三篇。
少女の名前は「タミエ」。
けっして良い子ではない……というよりも今だと「問題児」扱いされるのかな。
読んでいるうちに僕なんかはこの「タミエ」にどうしようもなくシンパシーを感じてしまった。
なんとなく「タミエ」のことが理解出来てしまうように感じられるし、特に「タミエの花」における、自分の世界を必死に守ろうとするタミエの姿には共感できた。
そんな心理状態で「虹」を読んだから、けっこう衝撃は大きかった。
タミエが思い出した幼少時の出来事。
果してこの出来事を知ってからも、タミエに対してシンパシーを抱き続けることが出来るかどうか。
三篇ともとても面白く読めた。
さて受賞作の「abさんご」。
ネットで検索してみると「難解」だの「読みづらい」だの「読者に不親切」だの「こんなのが芥川賞?」なんて書き込みが結構見受けられた。
結論から先に言ってしまえば、少なくとも僕にとっては難解でも読みづらくもなかった。
確かに「実験作」ではあると思う。
かぎかっこや固有名詞を使用せず、漢字もかなり開いてひらがなを多用する。
しかも縦書きではなく横書きで掲載する。
そんなあたりは「実験作」だな、と思える。
でも決して読みづらくはなかった。
ひらがなをいちいち頭の中で漢字に変換して云々している方もいるみたいだけど、僕なんかは前後の文章から意味が解れば、いちいち漢字になんか変換することなどしなかった。
横書きの文書にしたって、ネット上では殆どが横書きだし。
問題は「固有名詞」を使用していない、ってことにあるのかな、なんてことを感じた。
例えば単語で「蚊帳」と書けば一言で済むところを、文章で三行費やして表現していたり、「傘」と書けば一言で済むところを「天からふるものをしのぐどうぐ」と表現していたりする。
このあたり、読む人によってはとてもうっとおしく感じるのかも知れない。
あるいは回りくどく感じ、それが結果として「読者に対して不親切」あるいは「著者の独りよがり」という印象となるのかも知れないな、と推測してみたりする。
僕なんかはこういう表現をされると、「はて、これは一体何を意味しているんだろ」と、ああだこうだと考えることが出来て非常に楽しい。
あるいは「こういう言い回しも出来るんだ」と新しい文体を獲得できて得した気になったりもする。
「読者に不親切」どころか「著者のサービス精神満載のプレゼント」みたいに思えてしまうのだ。
この受け取り方の違いがこの作品の評価を大きく分けているのかも知れない
もちろん、どちらの受け取り方が良い、悪いではない。
ましてはどちらが正解でどちらが不正解なんてことではない。
ただ、「ちょっとこの表現は強引に結びつけすぎなんじゃないかな」なんて思える箇所も正直あったりもした。
きちんとしたストーリーも存在している。
読み始めは少し曖昧模糊としているだろうが、読み進めるうちに明確なストーリーは浮き出てくる。
ただ、浮き出てくる前に「読みづらい」ということで放棄されてしまう可能性もあるのかなと思う。
それと時間軸が結構幅広くあっちいったりこっちいったりする。
しかも視点はこの物語を語る人物の一人称なのだけれど、この人物の幼年期を回想したりする場面では、あえて俯瞰した三人称的な視線を使用したりしている。
このあたりのブレ(いやいや、ブレじゃないんだけどね)も、読んでいて難解な印象を与えてしまうのかもしれない。
そういえば「abさんご」ってどういう意味なんだろう・
aとbがさんごのように分岐しているってことなのだろうか。
そしてどちらを選ぶか。
まるで人生の岐路を表しているのかもしれない。
当作品の冒頭ではaもbも選択されない。
当作品の最後ではaからもbからもさまざまな匂いがあふれよせてくる。
ちなみにこの最後の箇所、泣きそうになってしまった。
自分なりに色々と分析らしいこともしてみた(柄にもなく、ですね)。
それだけ、色々なことを考えさせてくれた。
いずれにしても、非常にクセのある作品だと思う。
だから評価もかなり大きく分かれると思う。
僕にとっては、これは非常に面白い作品だった。
前にも書いたけど、決して難解な作品でも読みづらい作品でもなかった。
少なくとも「実験作」ではあるが「前衛作品」だとは思えなかった。