金融危機前後の期間にイングランド銀行総裁を務めた著者による、政治経済の大局的視点からの金融政策の諸問題と、持続可能な経済システム構築に向けた提言の書。極めて長大でスケールも大きく、読み進めるうちに見当識を失いそうになるが、全編を通じて「不均衡」「根源的な不確実性」「囚人のジレンマ」「信頼」の四つの概念が軸になっておりブレがなく、理路整然とした論調は読んでいて清々しい。現在の先進国の金融政策が持続可能でないばかりか、新たな危機の火種になりかねないというのは自分の直観に沿うところでもあり、それを極めて精緻に言語化してくれているという意味で稀有な書だった。将来に向けた提言は主に金融政策上のルール構築に関するものであり中銀総裁らしさが出ていたが、終章を読む限り意外にサプライサイダー的な視点をも持ち合わせた人物なのだなと感じた。
それにしても、あらゆる金融政策に通じ、知識も経験も豊富なはずの筆者であっても、貨幣制度や金融システムが「錬金術」なのではないかという、ある種素朴な疑問を抱いていることが新鮮だった。かえって生半可な知識しかない一般人の方が貨幣に価値があるのは当たり前だと考え、政府や中銀に盲目的な信頼を置いているように見えるのは何とも奇妙なことだ。
(以下要約)
はじめに
紙幣は金や貴金属と完全な代替性を有し、銀行は短期的資金(預金)を長期的資産(投資)にノーリスクで変換できる。産業革命以来、経済活動の与件とされてきたこれらの命題は、実は「錬金術」でしかない。本書は、正に金融危機前夜からEU債務危機にかけて現職だった元イングランド銀行総裁が、「不均衡」「根源的な不確実性」「囚人のジレンマ」「信頼」の四つの概念を軸に、現代の金融・貨幣システムが決定的な欠陥を内包したものであることを解き明かそうとする試みである。
第1章 良い帰結、悪い帰結、危険な帰結
’70年代以降の西側世界で、中央銀行の独立・資本移動自由化・金融自由化という「実験」が推進された結果、物価・為替レート・金融の安定という「グレート・スタビリティー」(良い帰結)が実現した。しかし一方で、硬直化した為替レートの弊害として新興国とヨーロッパの間の貿易収支の不均衡が生じ、新興国側の過大な貯蓄により長期金利が低下し資産価格が上昇(悪い帰結)した。さらに、金融自由化により銀行のレバレッジが極度に高まった結果、ある銀行の問題が銀行全体に伝播し金融システムが破綻した(危険な帰結)。
このカタストロフィを防ぐにはヨーロッパ側での利上げによる過剰支出の抑制が必要だったが、単独での利上げは自国経済の低迷を招くため行動に移せなかった(囚人のジレンマ)。また新興国では過剰貯蓄が放置されたため世界的に金利が低下し、国外低イールドプロジェクトへの投資が促された(対外インバランス)。また貿易赤字となったアメリカ・イギリスでは内需を刺激し総需要の落ち込みをカバーすべく金融緩和が行われた結果、支出が持続不可能な水準にまで増加した(内的インバランス)。この図式は、新興国から先進国への資本移転にほかならず、これまでとはまるで逆の流れであった。この外的インバランスが拡大する過程で、まず金融機関のBSに対する信認が失われ、金融危機が表面化した。
先進国の金融緩和は、支出を将来から現在に前倒しさせ短期的に成長を押し上げるが、将来需要が先食いされる結果、長期的には経済は低成長を招く効果を持つ(政策のパラドックス)。これこそが現在の低金利にも関わらず需要が低迷している原因に他ならないのであり、我々はこの状況を説明するナラティブを入手し将来世代にこの痛みを負わせないようにする責務を負っている。
第2章 善と悪―われわれは通貨を信じる
平時においては、貨幣は民間銀行により負債の形で供給される。しかし、それを裏付ける資産とのバランス次第では、インフレや金融危機を発生させるリスクを孕む。貨幣の創造は私的になされるべきか、公的になされるべきか?
流動性に対する需要が変動する「危機」時には、民間では応需できない貨幣需要に対し、公的セクターが緊急貨幣を供給するなどして対応すべき。金などにはないこの融通性が、貨幣のもつ利点となる。しかし、このことの裏返しとして、「公的セクターは貨幣価値を維持する」という信頼が得られることが必要条件だ。
ノーベル賞受賞学者アロー/ドブルーが提唱する「大域的オークション」が行われる決定論的世界では、「根源的な不確実性」がないため貨幣は必要とされない。この世界が実現性を欠くのは、事前の契約が履行されるという「信頼」を担保する手段がない(「悪こそあらゆる貨幣の根拠である)」)ためであり、また「根源的な不確実性」に対応する手段がないためである。これらの手段こそ、貨幣が担っている公共的な役割なのだ。では、なぜ公的部門はこの公共財を手放し、民間の管理下などに置いたのだろう?
第3章 失われた健全さ―錬金術と銀行業
金融危機を引き起こした民間銀行・公的セクターは「信じがたいほど愚かで無能」だったのか。民間銀行には「大きすぎて潰せない」というモラルハザードが作用し、過剰なリスクを取りに行くインセンティブが生じていた。各プレーヤーがこの短期的インセンティブに「反応」し、自分一人が最適行動を取ると相対的に不利な立場に陥るため協調的行動を取らないという「囚人のジレンマ」に陥ったため、金融危機が生じたのではないか。
銀行は短期性負債を長期性負債に(満期変換)、安全資産をリスク資産に(リスク変換)変換する機能を持つ。これこそが銀行の「錬金術」であり、支払い能力に対する信認を前提として成り立つ機能である。信認が揺らぎ取り付けが生じるリスクは、これまで分散融資によりヘッジ可能とされてきた。しかし、劇的変動期には貸出先は同方向に負の影響を受け、また預金の取り付けも起こる(銀行の支払い能力への信認の低下)ため、現在では深刻な脆弱性を内包したシステムだといえる。ただ、題が流動性にあるのか支払い能力にあるのかは、銀行外部からは判断できない。それでは、危機に対応するためにはどのようなシステムが必要なのか。
第4章 根源的な不確実性―金融市場が存在する意味
現代マクロ経済学の根底には、不確実性は既知の確率を使ってコントロール可能という諒解がある。しかし経済学者フランク・ナイトの定義によれば、過去の経験を基に定義が可能な「リスク」とは異なり、「不確実性」は定義はおろか想像することすら不可能な事象である。従って人々の「不確実性」への反応は、伝統的経済学の期待効用理論に基づく「最適化」ではない。また行動経済学で論じられるように「不合理」的にふるまうのでもない。人々は、心理学でいう「カテゴリー化」「ヒューリスティックス」「ナラティブ」という経験則を基に、新しい現実に合理的に「対処」しているのだ。
金融市場は現在と将来をつなぎ、必要な情報を参加者に提供する重要な場だ。デリバティブという金融商品が拡大すると、将来を楽観視する空気の中で、人々はこれを購入することで不確実性に対する保険を得たと思い込み、また流動性が常に市場に存在するとの幻想を抱いた。しかし不確実性が存在する場合、参加者たちの「対処戦略」は不規則にしかも大きく振れる。この不安定さが資本主義経済の本質なのであり、そしてこの不安定さに備える手段こそが、十分な信認により支えられた「貨幣」なのである。
第5章 英雄と悪漢―中央銀行の役割
各国の中央銀行はの役割は、一つは平時にその価値を安定させ得るペースで貨幣を供給すること(物価安定)、もう一つは危機発生時に将来の購買力を貯蔵するのに十分なペースで貨幣を供給すること(流動性の供給)だ。
「長い目で見れば私たちはみな死んでいる」とのケインズの言葉通り、政策担当者には長期を犠牲にし短期的な経済刺激策をとるインセンティブが働く。このため独立した中銀による裁量的な各種政策が試みられているが、ここで問題となるのは「根源的な不確実性」が存在するため、貨幣を管理するうえで将来起こりうる課題を事前に把握することが困難なため、各種金融政策が奏功しないケースが多いことだ。
* 「テイラールール」…中央銀行には長期的な物価水準の不確実性を極小化するための権限が与えられているが、不確実性が根源的であるまさにその理由により、長期にわたり妥当なルールなど存在しない
* 「インフレ目標」…一定の裁量をもつ中銀に説明責任を持たせるべく導入され、ヒューリスティックとしての作用が期待されたが、予測の困難性により効果が上がっていない
* 「マクロプルーデンス規制(銀行貸出や資産価格に影響する政策)」…中央銀行の権限の肥大化を懸念する声あり
* 「フォワードガイダンス」…市場の将来期待に働きかける政策だが、予測の不確実性により奏功していない
* 「非伝統的金融政策/量的緩和」…危機時には貨幣需要が大きく且つ予測不可能な形で変動するためこれに対し「緊急貨幣」を供給するものだが、金利がゼロまで下がると貨幣と長期国債が同値となってしまい効果がない。
* 「中銀がインフレを放置することを宣言」…時間的非整合性により、市場が将来的なインフレ抑制を見越してしまうため効果が期待できない
「ロンバード街」を著したウォルター・バジョットによれば、中央銀行は「最後の貸し手」を担うべきである。銀行は長期資産と短期債務を交換するため危機の債務償還時には脆弱であり、このシステム脆弱性を補完するのが「緊急貨幣」だ。しかしこれは流動性の欠乏には対処できても、直近の金融危機のように問題が錬金術に起因する「支払い能力」にある場合は意味をなさない。「モラルハザード」の誘発や「ユダの接吻」となり得るなどの欠点もあるため制度設計には慎重さが求められるが、貨幣供給の収縮を妨げる意味でも「緊急貨幣」の供給は重要である。問題は、経済が良いときと悪いときで整合的な首尾一貫した統一的枠組みがないことだ。銀行は良いときに中銀に担保を差し入れ、悪い時に短期の流動性を確保できるようにする、そういった制度設計が必要だ。そのために中銀に必要とされるのは「正統性」である。
第6章 結婚と離婚―貨幣と国家
貨幣と国家は分かちがたく結合している。EUのように共通通貨を導入し独自の金融政策が不能になれば、競争力に格差が生まれ(成長率=期待インフレ率が国ごとに違うため、実質金利に差が生じる)財政状態が悪化する同盟国が生じる。国債は暴落するが為替政策で対処できないため、貿易赤字には政府支出減少・増税による引き締めで輸入を減らすしかないのだ(「内的減価」)。これに対するESM(欧州安定化メカニズム)での国債買い入れがユーロ高を招き、フランスなどで失業が増加するなどの悪循環を招いている。EUは最早、失業率を高止まりさせて競争力を取り戻すか、貿易黒字国でインフレを起こし内部競争力格差を解消するか、大規模な財政移転を施すかなどの道しか残されていない。政治的・国家的な統合を迂回し通貨のみを統合すれば、経済的な痛みが増すのだ。
湾岸戦争当時イラクでは、サダム・フセインの公式政府(南部)とクルド人保護地区(北部)で同一通貨「ディナール」が存在していたが、公式政府は経済制裁のため大量の新紙幣を印刷した一方、北部ではそのまま旧紙幣が増刷されないまま流通した。10年後、フセイン失脚後には後者の価値は前者の300倍にも達していた。この事例が興味深いのは、二者の差が経済政策によらず、専ら政治的要因にのみ起因していたことだ。またスコットランド独立支持派の「ポンド化」の主張からも、通貨が国家の規定を強く受けていることが示唆される。
貨幣の価値は金融政策に依存するが、それを規定している望ましいインフレ率に対する合意はまさに政治的なものなのだ。
第7章 健全さを取り戻す―貨幣と銀行の改革
民間銀行だけでなく、中央銀行も負債(紙幣)に見合うだけの資産(金)を持っていないという意味では錬金術に手を染めている。錬金術が土台となっている社会は、自分たちが合理性を書いていると認めているようなものだ。錬金術を終わらせるためにはどのようなシステムが必要なのか。
バーゼル規制(最低自己資本規制)、リングフェンス(投資銀行業務の分離)など、民間銀行の自己資本の過小化を防ぐ手法がとられているが、人々の「ナラティブ(行動指針となるストーリー)」を一瞬で変化させてしまう、根源的な不確実性を前提にすれば十分とは言えない。平時の資産価値に応じたリスクウェイトで必要自己資本が算定されているが、金融危機時にはこのリスクウェイトが意味をなさなくなってしまうからだ。それよりは単純なヒューリスティックスに基づくレバレッジ比率を指標として用いる方がよく、無用な複雑化が社会に大きな負荷をかけてしまっている。
世界恐慌後、預金の100%を裏付ける流動資産を準備として民間銀行に強制的に保有させる「シカゴプラン」が提唱された。これによれば、既存の銀行機能は決済業務のみを行う「ナローバンク」と、低流動性のリスクアセットを扱う「ワイドバンク」に分離される。こうすれば取り付け騒ぎが防げるうえ、実体経済への貸し付けは貨幣の創造ではなく株式や長期負債の発行で行われることになり、貨幣は真の公共財として公的セクターの管理下に戻ることになる。しかしこれをそのまま実行に移すと混乱が生じるため、現実的には、公的セクターが民間銀行から担保を取得したうえでリスク保険を提供するという方法が検討されることとなる。
著者が提唱するのは、「どんなときも頼りになる質店(PFAS:The Pawnbroker for All Seasons)」としての中銀の役割だ。即ち、民間銀行の保有する資産につきその種類ごとにヘアカット率(担保掛目)を適用し、中銀が緊急融資できる貨幣額を事前に決めておく。これが民間銀行の「実効流動資産」となり、同時にこれが「実効流動負債」を上回るよう、10~20年のスパンで段階的に規制が敷かれる、というもの。こうすれば緊急融資に伴うモラルハザードと負の烙印効果が防げるなどの利点があるばかりか、ヘアカット率が実質的な保険料となり、また錬金術に対する課税ともなるのだ。
こうして、貨幣の役割のうち「流動性の供給」についてはPFASで代用できる可能性が開かれる。では他の2つの機能、「決済機能」と「価値測定機能」はどうだろう。すでにブロックチェーンやフロントランニング等のテクノロジーの進歩により、貨幣を介さず直接資産をやり取りすることが理論的には可能だ。しかし根源的な不確実性のために、将来の購買力を貯蔵する手段として、流動性への需要は決してなくならないだろう。
第8章 修復と傲慢―世界経済の現在地点
金融危機後、世界がそれ以前の姿を取り戻せないのはなぜか。それは、危機そのものを引き起こした不均衡の結果である。ではなぜ危機が起こると長期不均衡が続くのか。
ケインズは心理と期待の役割を重視したがために、根源的な不確実性による市場の非効率を認識していた(新古典派は合理的「最適化」行動を前提としたためこの点を見落とした)。一般に「根源的な不確実性」が存在する世界では、将来に対する期待をやりとりする市場がないため、家計や企業は将来の需要をもとに現在の支出を決定できない(調整問題)。現在の貯蓄増加は将来の支出増加を意味するため、理論的には投資が増えて消費の落ち込みをカバーする。しかしこの調整問題のために、将来の財に対する需要が増えるというシグナルを生産者が受け取れず投資不足に陥り総需要低迷を招く。これは囚人のジレンマの一例であり、これを防ぐには政府のイニシアティブによる集団行動が必要だ。ケインズは賃金カットと労働需要の非連動も同様の理論で説明するが、現在みられる金融政策と支出の関係も説明可能だ。即ちマイナス金利が将来の不確実性を増幅し、これに備えて支出を減らすという矛盾が起きてしまっているのだ。これまでケインジアンと新古典派は「モノ」の経済に比重を置きすぎていた。根源的な不確実性が存在する世界では、「何が起こるかわからない」ということに備えて富を蓄えておく機会を提供するという市場の機能が重要となる。一方、新古典派の合理的期待は不確実性に対し「対処」するのみでこれを記述する数式はない。ニューケインジアンモデルでは、価格と賃金のニュースに対する反応は硬直的であり、一方でインフレ目標には完全に反応的とされるが、金融危機時には妥当しなかった。これら旧来からの理論に対し、経済モデルに「政治経済」変数を導入すべきとする考え方がある。長期の政治的安定から来る過信が過剰負債を招き金融市場がクラッシュするというものだ(ハイマン・ミンスキー)。
しかし著者は、合理的期待の前提を捨てることは科学としての経済学の信頼性を損ないかねないというリスクを認めながら、「不確実性に対する合理的な反応」を前提に考えるべきと説く。ファジイな予算制約線を基に、賢明なナラティブを反映したヒューリスティックを用いて投資や支出を決定する、そのような主体を前提にすべきだとするのだ。だとすると、前述の調整問題に基づくケインジアン的下降局面とは異なり、現在の支出は持続不能であるという「ナラティブ変更型」の下方局面では、支出を増加させるのではなく、支出を持続可能な水準に抑えて貯蓄するという行動に方向づけることが必要ということになる。
なぜ経済的主体はそろって長期の低金利が続くなかで成長が持続すると考えていたのか。資産価格が上昇しても帰属家賃が上昇するため、資産効果は錯覚でしかない。現実に起こったことは、実質金利低下により、今日の支出と明日の支出との選択が歪められ、米英での内的インバランスが増幅してしまったことだ。世界恐慌時に積極的な経済安定化策がとられなかったにもかかわらず不況が自然治癒したのは、価格と賃金が弾力的に低下し、実質貨幣ストックが増大したからだが、リセッションの種類により取るべき政策は異なる。
* 信認の欠如によるケインズ型リセッション…将来の総支出の予想に対する信認を回復する
* 中央銀行によるインフレ抑制型リセッション…インフレ期待が下がり次第金利を通常に戻す
* ナラティブ修正型リセッション…支出が新しい生涯予算制約線に一致するよう、経済的均衡を移動させる
イングランド銀行は金融危機前の「グレートスタビリティ」期、ゼロ成長よりは二速経済のほうがましとして、利上げをせず内的・対外インバランスを放置した。他の国も金利を上げ比較的小さいリセッションを甘受していれば、市場参加者のナラティブが変更され大リセッションは避けられた可能性がある。しかし囚人のジレンマにより、どの国も率先して足元の景気を冷やすインセンティブがなかったのだ。
第9章 大胆な悲観主義―囚人のジレンマと迫りくる危機
次なる危機に対してはどのような対策があるだろう。実質金利がゼロに近いままでは支出と貯蓄のインバランスは防げず、危機の再来は免れえない。一方で回復は弱いままだ。どうしたら成長を取り戻せるのか。
低金利の裏返しとして債務が膨張している。国家債務のためデフォルト直前となっている国家に対して債務免除すべきか。第二次大戦後の西ドイツに対し、返済額を貿易黒字の一定割合に抑制するとの協定が締結された。今日のEUでは通貨協定のために債務国に貿易赤字が生じているため、期限延長による問題先送りが肝要となる。債権者は債権全額がいずれ弁済されるとの幻想を捨て、新たな危機の発生を防ぐ努力をすべきだ。そして、各国は近隣窮乏化政策である低金利競争(囚人のジレンマ)から脱し、IMFの機能強化や通貨スワップで通貨危機が起こるリスクをヘッジするべきである。
現在、長期潜在成長率の低下が通説となっているが、イノベーションは「根源的に予測不可能」であるため、将来飛躍的な進歩が生ずる可能性はある。労働生産性も各国一律で下がっているわけではない。人口も長期的に増加に転ずる可能性はある。悲観論が存するのは需要の低迷が続いているからだが、それならば、自国のみに短期的なリセッションが起こることをを恐れるあまり、将来の需要を先食いする低金利政策を継続する「囚人のジレンマ」を脱し、持続可能な支出と貯蓄の「新しい均衡」を見出す努力をすべきだ。具体的には、生産性を高めるためのサプライサイダー的プログラム(規制緩和)を実行して将来の期待所得を押し上げること、そして為替レートを需要と生産の持続可能性を高める方向(貿易促進、変動為替相場制)に導くことである。将来を正しく悲観して思い切った手を打つ「大胆な悲観主義」に基づく政策実行により、永らく続いてきた「錬金術」に終焉がもたらされることを希求しながら、本書は結ばれる。