著者は現役の画家。夕刻には絵筆を置き、ひとっ風呂浴び、いそいそと晩酌に臨む。その晩酌は3時間に及ぶとか。晩酌を豊かなひとときにするために、その準備は朝、妻との2時間の散策の際、「今夜は何を食べよ?」という語らいから始まる。著者曰く「寝ても覚めても頭の中は食うことばかり」が渦巻く御仁。確かに台所に立つ
...続きを読むことうん十年だけに、そのレパートリーは広い。
野菜とにんにくを煮込んだだけのやさしいスープ、せっかちな酒呑みのための3分おつまみアレコレ、不味いマグロを美味しく食べる方法、コーンビーフホットサンド、まずいまぐろのうまい食べ方、バナナフランベ、めざしの炙り方、鰹出汁をきかせたカレー鍋など料理の大まかな手順がエッセイの中に溶け込んでいる。料理に大事なのは、分量ではなく塩加減と火加減と言い切る。
そう、本書の醍醐味は、著者の日々の暮らしの中の大部分を占める「食べることの愉しみ」実現に向け、著者が嬉々として取り組む様子が味わいのある筆致で描かれている。その象徴が、食卓の傍らに置かれた「火鉢」。
著者は語る。「夏は羊肉やとうもろこしを焼き、冬は小鍋をかけて湯豆腐やとり鍋などをやる。よほど忙しいときでないかぎり炭火の隣に座り、2,3時間酒を飲む。それが我が家の晩ごはん」。システムキッチンやル・クルーゼがあるわけではない。小さいけど行き届いた台所に夫婦で立ち、冷蔵庫の3段の棚は各々食材を置き場所が決められ、それらを使い込んだ調理器具で作る。七輪では旬の食材を焼き、炙り、煮込み、酒を燗にする。
著者は決して風流を気取ったり、文明社会へのアンチテーゼとか原発反対と言ったイデオロギーさなんてものは微塵もない。炭火生活は四半世紀にわたり20代後半からやっているから、かなりの年季が入ってる。
著者は坦懐する。「画家になったものの絵はほとんど売れず貧乏をしていたが、料理をしていたおかげか心が荒んで貧しい気持ちにならなかった」というから、著者の場合、仕事のない不安や貧乏や寂しさや惨めさを乗り越えるためにあった料理は、癒しであり、励ましであった。
確かに一日なんてあっという間だけど、その一日には大きく立ちはだかる山が待ち構えている。それをどうにかこうにか乗り越え、晩酌に辿り着く。著者は、まず風呂につかり、炭火を眺めながら盃を傾ける。愉楽の宴の幕開け。今日の全力に乾杯し、明日への活力をゆっくりと蓄えていく。
今風に言えば「リア充」な暮らしそのもの。平たく言えば「豊かな暮らし」が紙面から立ち昇る。手元にある食材が足りてなければ、「無きゃ、無いなりに」が夫婦の合言葉。足ることを知り、いかに日々の暮らしを愉しむか…を、教えてくれる一冊。