どこか楠木建と通じるところがある。と思って検索したら、やっぱり対談していた。久しぶりのヒット!面白かった。
・市場創造の4フェーズ
①問題開発:トイレでお尻を洗いたい!
②技術開発:温水器とポンプをつくろう!
③環境開発:トイレに電源をつなごう!
④認知開発:社会に良さを広めよう!
しかし実際には、四つのハードルを越えるプロセスの統合は、多くの組織内では、「別の部署がやること」という割り振りになってしまっていて、その構造に手をつけることは非常に難しくなってしまっています。そして、難しく、ほぼ不可能になってしまっていることこそが、まさに新しい市場を創造するような商品開発にとっては不可欠なことなのです。
この統合のための最初の鍵は、何よりもまず、「新しい問題の開発」です。それこそが新しい文化の開発の出発点です。しかし、多くの組織は得てして既存の問題意識に基づいて既存の製品の性能を改善することで手一杯になっていて、いま取り組んでいる既存の問題以外を課題として意識することも希薄になってはいなかったんでしょうか?そうであるならば、その取組みの対象自体を根こそぎ見直さなければなりません。
…「ある問題を発見してそれを解決する手段が商品になるような、生活上の新しい問題発明の可能性は世界に豊穣にある」ということなのでしょう。
…新しい問題を発明し、設定するときに望ましい手法と、その設定された問題を解決しようとして、その解決手段を開発し、磨きをかけるときに望ましい手法は全く違います。むしろ、真逆といってもよいでしょう。
答えを磨くのではなく、問いを立てること、それは、いわば優等生から教師の側に立場を変えることです。すでにある問題に後追いで対応するのではなく、自らが理想に照らして価値を評価する側に回る、その手法こそが問題の「発明」なのです。
経済的に貧しいときには、私たちは商品に経済性と機能性を求めます。靴ならまず丈夫で耐久性があり、寸法も狂いなく、値段もリーズナブルであると、その商品は評価されます。
やがて機能的な靴に満足すると、次におしゃれであることが求められます。商品に「意匠」の価値が求められるようになるのです。実はこのときにはすでに、額に汗して安く機能的なモノをつくっているだけでは、職人的価値観がマーケットから少しずつずれ始めています。
さらに消費者の好みが成熟すると、機能性、デザイン性だけではなく、思い入れの対象としての「ブランド」を求め始めます。あるときは知名度の高いロゴであったり、あるときはあこがれの著名人が利用しているという事実であったり、つまり、商品の持つ象徴性です。これは意匠の価値ともまた違った「記号」としての価値です。
…
もうちょっと硬い言い方をしますと、商品が最初に求められるのは、機能性、経済性といった科学的価値です。それが基本的な水準を満たし始めると、なおかつその商品が消費者の感覚に訴えかける美しさ、つまり芸術的価値が求められるようになります。そして、その商品の美しさがある水準に達すると、美しいだけでなく、その商品を使用している自分に価値があるかのような思いを満たすことが要求され、あこがれの対象と自己同一化できるような感覚も求められたりします。つまり、宗教的価値が求められるのです。
マーケティング用語で、私はあの人たちとは違う、だからあの人たちと同じものを買うのは避ける、という効果をスノッブ効果といいます。逆に、あの人達があの商品を買うなら、私も同じものを買ってあの集団と同じように思われたい、という効果をバンドワゴン効果といいます。
ハーレーの平均的なモデルが一台300万円ほどして、好みに任せてカスタムを加えると、また同じくらいの費用がかかるそうですが、できる人はそれをやってしまいます。なぜなら、「自分を一度気に入った見た目は、そうしなければ実現できない」からです。こうしたハーレーの価値のある部分が、単なる輸送力ではなく、完成刺激情報の部分だからです。情報というのは、つまり差異そのものであるがゆえに、それ自体がまさに「差別化要因」であって、他の要素ではおなじ「差別化」が絶対にできないからです。
…ライフネット生命社長の出口治明さんに出会ったときに、出口さんがおっしゃっていました。出口さんにとっての仕事は何かということを聞くと、それは世界経営計画のサブシステムである、と答えられたのでした。
つまり、この世界をどう理解し、何を変えたいと思い、自分はそこで何かできるか、何を分担するのかということなのだ、とおっしゃったわけです。
どういう世界が望ましくて、自分はそれにどうやって今の世界を近づけていきたいのか、そのために自分は何をしていくのか、そのツールとしてどんな商品を自分は開発するのか、という意識なくして何かしらの新しい価値を創造できるものでしょうか。
社会を観察していれば、いろいろな人がいろいろなことに困っている可能性が垣間見えます。ただ、たいていの人は、それにより掘り下げて取り組もうとはしません。しかし、何かが意識のアンテナに引っかかる、というタイプの人がいます。
…私は東京城東の下町をかなり取材してきましたが、そこで「ユニークアイデア経営者」と呼ばれるタイプには、親切で面倒見がいいという共通した性格があります。私が東京で一人暮らしをしていますと、「三宅さん、ご飯食べていきなさいよ」とか、「お正月はどうせ一人なんでしょ。だったら、元日からおせちを食べに家にいらっしゃいよ」とか、「何か暮らしで困っていることない?」などと、こちらが恐縮するほど気軽に誘ってくれます。
良く言えば親切、悪く言えばお節介にもなるのですが、そうやってふだんからいろいろなことに気を配っているので、新しい問題に気づきやすい。これはまずは人柄の問題です。学歴とは全然関係がありません。結局は他の人の悩みも、自分のことのように悩める性格というのが、新しい問題を開発できる必要条件なのです。
商品開発で打率が高い打者というのは、そういうネタにひっかかりやすいところにいて、潜在的な解決手段に近いところにいて、しかも情に厚い人だと思うのです。そしてさらに、その人が勇気を持ってそのネタを掘り下げることがやりやすい立場にいることが条件のようです。
自分と違う考えの人、自分と立場が違う人、自分と違う欲求を持っている人、自分と違う技術や経営資源を持っている人と、他者と他者として真っ向から交流し情報を取ってきてこそ、未整理の混沌の中から良い偶然を必然として発生させることができる。それを社内に持って帰ってきて、取り込んで、新しい市場創造につなげる、そういう生き方が確かにあるのです。
悪い意味で「計画的」な組織、それに属している人は、得てしてその逆ばかりやっています。会う前からどんなことを言いそうか事前に予想できる人、会う前からどんなことを言いそうか事前に予想できる人、会う前から会えばどういうメリットがあるかはっきり知れている人、つまり、目先の底の知れた打算の限りで、会いたくて会おうとしている人とばかり会うようになっています。
…
しかし、そういう「未知への畏れ」を失った組織、世界をわかったつもりになった組織は、新しい価値の創造に取り組めなくなります。問題の設定そのものを、書き換えなくなります。