ジェイ・ルービンの作品一覧
「ジェイ・ルービン」の「能十番―新しい能の読み方―」「村上春樹と私―日本の文学と文化に心を奪われた理由」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
能はよくわからないと思っていた。
NHK教育で放送しているのを見たことはあったと思うけれども、当時は「ゆっくりとした歌と舞」という程度にしか受け取れず、チャンネルを変えていた。まず最初に能に興味を持ったのは、オードリー若林さんが世阿弥の能楽論『風姿花伝』をウッチャンナンチャンの南原清隆さんに勧められて読んだという話を聞いたところからだったと思う。『風姿花伝』はパラパラとめくっただけで、積ん読になっている。次は、いとうせいこうさんが能を現代語に訳し、それをさらに英語に訳す連載が『新潮』でされていると知ったときだった。その書籍化がこの本である。
能を「読むもの」「文学」として楽しむ、とは考えたことがなかったのだが、この本で実際に読んでみると物語としてかなり好みだった。特にシテ自身が囚われている無念さや妄執を語る内容の『忠度』『善知鳥』『藤戸』『山姥』が記憶に残った。
原文、日本語訳を読み、英語訳については原文・日本語訳でお気に入りの箇所を探して部分的に読んだ。
『忠度』では、シテである忠度の和歌に対する深い愛情や、念願叶って自身の歌が千載集に掲載されたが、朝敵であるため「詠み人知らず」とされていることへの嘆きと執心について、なんだかたくさんすくい上げる感情がある。そして『行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし』という句がとても美しい。物語の最後で部分的に引かれて、結句の部分が『花こそ主なりけれ』と変形しているのだが、桜の木の根元に忠度が眠っていることを受けて『花こそ主、それが私である』という現代語訳になっていて、泣いた。
『善知鳥』と『藤戸』のシテが、共通して「痩男の面」を着用することが、いとうせいこうさんの師匠である安田登さんから指摘されたという話が興味深い。どちらも亡くなったあとも苦しむ亡霊がシテであり、それを訴えながらワキの前から消えていく無念さがせつない。特に『善知鳥』 の最後は壮絶。『安き隙なき身の苦しみを、助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧と、言うかと思へば失せにけり。』
『山姥』は前半の沸々と湯が煮えていくような盛り上がりと、後シテになってからの全部がいい。山姥が語る禅の哲学も魅力的なのだが、山姥に一段と気持ちが乗っかるのは、鬼として社会の周縁に追いやられ表層的なイメージだけで語られることを恨む「自意識」と、本来の姿や行いを認めてもらい世に広めてほしいという「承認欲求」、このふたつの「妄執」を自ら認識し苦しんでいることに共鳴してしまうからなのでは……と考えている。「都に帰りて、世語(よがたり)にせさせ給へと、思ふはなほも妄執か(p213)」。読んでいて少し苦しくなる。
あと、『海人』のコメントにあった『鬼や天狗のような怪物、神体といった人間以外の異類を扱う五番目物は、「恐怖」というより「オー(awe)」、「畏敬」に軸を置く』(意訳)という解釈に心を惹かれた。「畏敬の念」という言葉には宗教性を感じているので、五番目物でなにか読みたいものを探してみようと思った。
巻末の鼎談・対談を先に読むと、より原文の情緒のような部分を感じ取ることができそうな気がする。柴田元幸さんを交えた鼎談は新潮に掲載されたものを読んでいたけど、後半のゴスペラーズ酒井さんといとうせいこうさんの対談もすごくよかった。意味が圧縮されている掛詞について、欧米のラップでは分けて重ねて韻を踏むが、掛詞はそれを一回で済ませる。一文の中で読み取る快楽を選択している、言葉が供え物になっている。掛詞の韻によって景色がフェイドイン・フェイドアウトしながら変化していく絵巻物のようなイメージ。地謡、シテ、ワキが入り交じり、それが誰の発言なのか明確にすることを必要とせず、互いが溶け合って大筋を運んでいく、安田登さんが「共話」と言う構造……など。
今は「古典芸能でないと摂取できない栄養分」について考えている。明確に「こういうことです」とは書いていないけど、古典が持つ土着的な文化や慣習の表現を、「時代の断絶を超えて、あるいは含めて楽しむ」ときに起こる感情の動きのようなところを言っているのかな。
能の舞台を見に行きたいと思いつつ、結局まだ行っていない。月イチで放送されるEテレの『古典芸能への招待』や毎週木曜日の『FM能楽堂』など、能に触れる機会はゼロではないのだが、やっぱりこの本に収録されている演目から入りたいと思っている。あと、漫画『シテの花』も能への興味の一因であることは残しておきたい。
Posted by ブクログ
著者は村上春樹氏の翻訳者なので2015年に出版された小説と村上作品の雰囲気が似ているのはある意味当然、好ましく思っていた。
ところが『日々の光』(初めての小説)は、村上春樹との交流が始まる前、既に完成していたと知り驚く。生まれも育ちも違う二人だけど出会うべくして出会ったのか。
ほかにも運命の引き合わせのような数々の出会い、家族愛、友情などについて ルービン氏の誠実な人柄と仕事に対する真摯な姿が伝わるエッセイ。
もともと漱石や芥川など、日本文学の研究と翻訳者だった著者と村上春樹の公私に渡る付き合いの深さは、村上作品にも少なからぬ影響を及ぼしたはず。息子さんと音楽の出会いも素晴らしい。感謝と尊敬の気持ちで読み終えた。