コナン・ドイルは自身の本領を歴史小説とみて、ホームズ譚が受けるのを嫌がったというのは有名な話だ。『緋色の習作』も『四つのサイン』も犯人が復讐を誓う動機となった昔話が長々と語られるが、それが歴史小説家の矜恃なのであろう。しかしシャーロック・ホームズというキャラクターが生きるのはもっと直截なストーリー
...続きを読むテリングなのであって、2つの長編のあと、ドイルがホームズもの短編を連載したのが、ホームズ人気に火をつけたのは当然のことと言える。
そうしてまとめられたのが『シャーロック・ホームズの冒険』である。「ボヘミアの醜聞」「赤毛連盟」「まだらの紐」「ぶな屋敷」など名高い作品が並ぶ1ダース。日本語の「冒険」は「探検」に近いニュアンスがあるが、アドヴェンチャーは「異常な事件・経験」といった訳があり、そちらの方に近いのだろう。が、今回訳者は訳題まで変えようとはしていない。個々の短編も、新潮社版の延原謙訳の題名を極力踏襲したという。
『緋色の習作』と『四つのサイン』をこなして、『冒険』を読むことは「ストランド」誌のホームズ連載に熱狂した当時の読者の気分を再体験するようなものだ。もちろん、もうわれわれは「まだらの紐」が「真鱈の干物」(これは確か横田順彌によるパロディ)でなく、何であるのか知っていて読むのだけれど。
ホームズ譚がワトスン医師の目を通して描かれるというのは、一話完結の連載という発表形式を考えてのことだったようだが、そのような記述形式をとる以上、『四つのサイン』でワトスンを結婚させたのは失敗だった。記録者がベーカー街から引っ越してしまったのだから。そこで、ワトスンの手記は過去に遡り、二人の同居時代の事件を語るなどという方策を採り始める。ホームズの活躍を私ワトスンが記録したものの中で、これほど奇妙なものはまたとないだろう、云々かんぬんと書き起こし、謎が提示され、それを解決するホームズの活躍が語られる。
しかしこのような形式をドイルはまっとうな文学と認めがたい気持ちになっていったのだろう。ヘタをすれば、事件に関する依頼者の自己陳述に、調査に出かけたホームズの報告ばかりで終わってしまう。例えば「緑柱石の宝冠」。彼は、自身が、探偵小説という分野を創出する一角を担っていたことには気づいていなかったのだ。
名言をひとつ、「ぶな屋敷」から。「どんな危険かわかれば、それはもう危険ではないのです」、集団的自衛権論争に一石を投じ……ないか。