碧海寿広の作品一覧
「碧海寿広」の「科学化する仏教 瞑想と心身の近現代」「考える親鸞―「私は間違っている」から始まる思想―(新潮選書)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「碧海寿広」の「科学化する仏教 瞑想と心身の近現代」「考える親鸞―「私は間違っている」から始まる思想―(新潮選書)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
あるとき、ふと「なぜ人は美術館では仏像に手を合わせないのか。この展示が終わり、仏像が寺に戻ったとき、人々はたちまちこの仏像の前で手を合わせるだろうに。」と思った。そのとき私は"場"が大切なのだと考えていたが、それは的外れであり、実際は本書のいうところの信仰と芸術の問題とする方がスマートである。
本書で特に良いと思った部分は白洲正子の話である。彼女は清廉な民衆感覚を持っている。加えて、その馬力とあっけらかんとした様は、学者の議論にも何食わぬ顔で分け入って持論を叩きつけてゆけるような凄みがある。「わたしの古寺巡礼」という本があるところにも、「わたしにはわたしの見方、わたしの
Posted by ブクログ
何かでの紹介を踏まえて読書
さすがの本で非常に奥深くて面白い。一度読んだだけでは全然理解しきれないが。
近代の本で読みやすいのも良い。
メモ
・禅は中国人の心がインド人の思想に触れた後に生み出したものの一つ
・詫びの真の意味は貧poverty。時代の流行に乗る人々の一員にはならないということ
・不完全の美。古めかしさや原始的な粗野さを伴う時、さびがかすかに見えてくる。ある芸術の対象が歴史的な時代感を表面的にでも示していれば、そこにはさびがある。
・さびの文字通りの意味は寂しさや孤独だが、ある茶人は次のとおり表現している。見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
・禅と武士の人生の間に