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仏像鑑賞が始まったのは、実は近代以降である。明治初期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐、すべてに軍が優先された戦時下、レジャーに沸く高度経済成長期から、“仏像ブーム”の現代まで、人々はさまざまな思いで仏像と向き合ってきた。本書では、岡倉天心、和辻哲郎、土門拳、白洲正子、みうらじゅんなど各時代の、“知識人”を通して、日本人の感性の変化をたどる。劇的に変わった日本の宗教と美のあり方が明らかに。
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Posted by ブクログ
あるとき、ふと「なぜ人は美術館では仏像に手を合わせないのか。この展示が終わり、仏像が寺に戻ったとき、人々はたちまちこの仏像の前で手を合わせるだろうに。」と思った。そのとき私は"場"が大切なのだと考えていたが、それは的外れであり、実際は本書のいうところの信仰と芸術の問題とする方が...続きを読むスマートである。 本書で特に良いと思った部分は白洲正子の話である。彼女は清廉な民衆感覚を持っている。加えて、その馬力とあっけらかんとした様は、学者の議論にも何食わぬ顔で分け入って持論を叩きつけてゆけるような凄みがある。「わたしの古寺巡礼」という本があるところにも、「わたしにはわたしの見方、わたしの歩き方があるのよ」と言っているような気がして頼もしい。古寺巡礼という教典のような作品があっても、それをそっと横に置いて「自分の目で見てこよう」と歩き出すその胆力と姿勢を私も見習いたい。
著者もあとがきで述べているが、たしかに現在数多くある仏像の本のなかで、このように日本人と仏像の関係をテーマにしたものはわたしは読んだことがなかった。 とても興味深く、また読みやすい本でした。 仏像を取り巻く歴史や環境、人々の思いはさまざまに変わっていくのに、仏像は変わることなくそこにあり続け、受け...続きを読む止めてくれる…そんなところもたくさんの人を惹きつける魅力のひとつなんでしょうね。 (ひとつだけツッコミを入れるなら、坂口安吾の写真w なぜその写真使った…)
仏像を「見る」側について。 宗教と美術について、これほど明解に記してくれている著はなかったように思う。
<目次> 序章 仏像巡りの基層 第1章 日本美術史の構築と仏教~明治期 第2章 教養と古寺巡礼~大正期 第3章 戦時下の宗教復興~昭和戦前期 第4章 仏像写真の時代~昭和戦後期① 第5章 観光と宗教の交錯~昭和戦後期② 終章 仏像巡りの現在 <内容> 「仏像」と銘打っているが、ど...続きを読むちらかと言えば、仏像巡りや観光と宗教観の変遷の近現代史、と言ったところか?フェノロサ、小川一真、和辻哲郎、亀井勝一郎、土門拳や入江泰吉、最後はみうらじゅんといとうせいこうが登場する。自分は「観光」に特化して、仏像好きなのだが、そこに神々しさを見つけるくらいでいいと思っている。著者とはちょっと違うかな?
●仏像が美術品と見なされるようになったのは近代になってからである。本書では、どのような過程で仏像が美術品と見なされるにいたったのかを解説している。
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