明石和康
1952年生まれ。76年、東京大学文学部西洋史学科卒業。同年、時事通信社入社、外信部配属。サンパウロ特派員、パリ特派員、ワシントン支局長、外信部長、英文部長、広島支社長、国際室長、解説委員長を経て、現在、解説委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『国際情勢に強くなる英語キーワード 岩波ジュニア新書』より
「私はパリ特派員をしていた一九八九年に「ベルリンの壁」崩壊による東ヨーロッパの民主化に遭遇し、その後のドイツ統一、ヨーロッパ統合推進を目の当たりにしました。とはいえ、五二年生まれの私にとっては、東西冷戦は生まれた頃からの「既成事実」でしたし、まさか東ヨーロッパ諸国で次々に共産党政権が崩壊して民主化が起き、ソ連までが崩壊するとは想像すらできませんでした。世界中の人がそうだったのです。ただし、フランスで仕事をしていて感じたことの一つは、例えば、同じカトリックのポーランドに対するフランス人の親近感はかなり強いことでした。「ベルリンの壁」崩壊前のポーランドは、それこそ「鉄のカーテン」の向こう側にあったわけですから、フランス人にとっても「遠い国」だったに違いありません。それでも、第二次大戦後の「東西分断」はあくまでも、長いヨーロッパの歴史の中ではほんの一瞬にすぎない短期的、一時的な期間なのだという意識を少なくとも知識人は持っていたようです。だからこそ、西ヨーロッパの人々は「ベルリンの壁」崩壊後の東ヨーロッパ民主化をむしろ歓迎すべき出来事として、積極的にこの大変動を新しいヨーロッパ構築に生かそうとしたのだと思います。」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
「経済・通貨同盟に関しては、ユーロが一九九九年一月一日を期して決済通貨として導入されました。この時点では、まだ実際に通貨として出回っていたわけではなく、三年後の二〇〇二年一月一日から紙幣と硬貨が流通し出したのです。皆さんが今、ヨーロッパを旅行すると、大半の国ではユーロを使うことになります。私が現役の特派員としてヨーロッパで仕事をしていた頃は、フランスから外国に出張するたびに、フランス通貨のフランから現地通貨にお金を換えるのが最初の仕事でした。しかし、ユーロを使用しているユーロ圏と呼ばれる国々では、通貨交換が不要です。自分の住んでいる国と同じ通貨のユーロが使えるのです。経済的視点で見ると、この効率の良さは格別です。 EUの統合、ヨーロッパの一体化を肌で感じるのは、ユーロを手にした時かもしれません。」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
「共産党支配下の東ドイツで育ったメルケル首相は、自由と民主主義の大切さと「統合」の重要性を体感している指導者です。アデナウアーの一四年、コールの一八年にはまだ及びませんが、三期一二年を満了まで勤め上げれば、ゲアハルト・シュレーダー前首相(四四年─。社会民主党。在任一九九八年─二〇〇五年)を上回る長期政権になります。」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
「反 EUを掲げる政党が支持を伸ばしているのはイギリスだけではありません。フランスでは、反移民を主に訴えてきた極右政党の国民戦線( F N)が、一三年一〇月に南西部ブリニョールで行われた地方選挙の補選で最大野党である国民運動連合( UMP)を破って候補を当選させました。与党社会党は極右の勝利を恐れて、支持者に UMP候補に投票するよう呼び掛けたのに、それでも F Nの方が強かったのです。 FNのマリーヌ・ルペン党首は一二年五月に行われた大統領選で、極右候補としては過去最高の得票率一八%で三位に入っています。 FNの伸張は、フランス政治の今後に大きな影響を与えるでしょう。 」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
「EUの柱の存在であるドイツでさえも、一三年九月の総選挙で、ユーロからの離脱を訴える新党「ドイツのための選択肢」が四・七%の得票率を獲得して注目されました。ドイツでは得票率が五%に達しないと議会に議席を持てないため、この新党は議会への進出を阻まれましたが、過小評価できない存在です。同じ総選挙では、第二次大戦後に一貫して議席を確保し、「ベルリンの壁」崩壊時など激変期に党首のゲンシャー外相が活躍するなど存在感を示した自民党( FDP)が、得票率四・八%しか獲得できずに戦後初めて議席を失いました。「ドイツのための選択肢」の伸張が FDPの議席喪失を生んだのだとすれば、ドイツ世論にも変化の兆しが見えるのです。ユーロ危機を背景にして、 EUの拡大と深化に批判的な動きが政党レベルで各国国民の間に広がってきたのは、これまでにない政治的、社会的試練です。ヨーロッパはこれをどう乗り越えていくのでしょうか。」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
「この本では、第二次世界大戦以降のヨーロッパ統合がどれほど独仏両国の首脳の努力で進められてきたかを見てきました。その流れで見ると、ドイツは東西両独の統一による負担増やリーマン・ショックに象徴される二〇〇〇年代後半の国際的な経済危機の中で徐々に地力を発揮し、ヨーロッパの盟主としての立場を強化しつつあります。その半面、フランスはシラク以来三代の大統領が、ドイツの歴代首相に匹敵するリーダーシップを発揮してきたかというと、いささか疑問です。「独仏枢軸」と呼ばれたほどの強い連携が、単一通貨導入や政治統合の加速化を進め、ギリシャ危機に始まったユーロ危機を何とか一段落させるまで持ってきました。ですから、次の段階で「統合」の果実がもっと得られるような推進力を発揮するのは、独仏の次世代指導者の責務でしょう。フランスが経済を回復軌道に乗せ、かつてのように雄大なビジョンを提示して、ドイツを引っ張っていけるような輝きを取り戻した時、ヨーロッパ統合は次の大きな飛躍を遂げると願ってやみません。」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
「私は学生時代にフランス近代を中心とするヨーロッパの歴史を学びました。戦争を含めたダイナミックな展開に面白さを感じる半面、当時(一九七〇年代)のヨーロッパにはあまり魅力を感じていませんでした。理由の一つには、石油ショックの影響もあり、ヨーロッパ経済が低迷して、活力がそれほどあるように思えなかったことがあります。チャーチルやドゴールといったカリスマ的な指導者の時代が終わっていた点も、興味をかき立てられなかった理由かもしれません。 ところが、時事通信社でパリ特派員の仕事を命じられて、八九年四月に初めてヨーロッパの地を踏んだ時、まず感じたのは、市場統合に向かうヨーロッパの活気あふれる姿でした。ワインや文化に関してはよく知られているフランスが、ミッテラン大統領の下で、ヨーロッパ統合に意欲的に取り組んでいるのを知り、政治にビジョンを持って臨み、巧みな外交を繰り広げるそのリーダーシップに新鮮な驚きを感じたのです。」
—『ヨーロッパがわかる-起源から統合への道のり (岩波ジュニア新書)』明石 和康著
【関連年表】 前 8 世紀頃 ギリシャに都市国家(ポリス)が出現.アテネ,スパルタなどが発展 前 776 年 第 1 回古代オリンピック開催 前 8 世紀頃 ローマ建国 前 509 年 ローマ,共和政に移行 前 500 年同 449 年 ペルシャ戦争 前 490 年 マラトンの戦い 前 431 年404 年 ペロポネソス戦争(アテネとスパルタの戦い) 前 100 年 カエサル誕生 前 58 年同 50 年 ガリア戦争 前 49 年 1 月 10 日 カエサル,ルビコン川を渡河する際に「サイは投げられた」と発言 前 45 年 カエサルがユリウス暦を制定 前 44 年 2 月 カエサル,終身独裁官に 前 44 年 3 月 15 日 カエサル暗殺 前 31 年 アクティウムの海戦(オクタビアヌスがアントニウス,クレオパトラの連合軍を破る) 前 27 年 オクタビアヌスにアウグストゥスの称号.ローマで事実上の帝政開始 前 7 年から同 4 年頃 イエス・キリスト誕生 30 年頃 キリスト処刑 64 年 ネロ帝の時代にローマで大火.多くのキリスト教徒が殺害される 96 年180 年 ローマ帝国,五賢帝時代.トラヤヌス帝(在位 53 年頃117 年)時代に帝国領土が最大に 313 年 ミラノ勅令でキリスト教公認 330 年 コンスタンティヌス帝,ローマ帝国の首都をローマからビザンチンに移し,コンスタンティノープルと改名 375 年 ゲルマン人の大移動開始 392 年 テオドシウス帝時代にキリスト教を国教に 395 年 テオドシウス帝死去でローマ帝国は東西に分裂 476 年 西ローマ帝国滅亡 496 年 フランク王クロービスがキリスト教に改宗 711 年 イスラム教徒がイベリア半島に進出し,西ゴート王国滅亡 732 年 フランク王国のカール・マルテル,トゥール・ポワティエの戦いでイスラム軍を撃退 752 年 マルテルの子ピピンがカロリング朝開始 756 年頃 ピピンの寄進でローマ教皇領が成立 800 年 シャルルマーニュが西ローマ帝国皇帝の戴冠式 843 年 ヴェルダン条約でフランク王国が 3 分割 870 年 メルセン条約で中部フランク王国の北部地域が東西フランクに吸収.後のドイツ,フランス,イタリアの原型に 962 年 東フランクのオットー1 世が神聖ローマ帝国初代皇帝に 1066 年 ノルマンジー公ウィリアムがイングランド征服(ノルマンの征服) 1077 年 カノッサの屈辱 1096 年1270 年 7 回にわたる十字軍遠征 1215 年 イギリスでマグナ・カルタ(大憲章)を発布 1309 年77 年 ローマ教皇の「バビロン捕囚」(南仏アビニョンに教皇庁が移転) 1399 年1453 年 イギリスとフランスの百年戦争 1429 年 百年戦争のオルレアンをめぐる攻防戦.ジャンヌ・ダルクが活躍 1452 年 ハプスブルク家のフリードリヒ 3 世が神聖ローマ皇帝に 1453 年 東ローマ帝国,オスマン・トルコの侵入で滅亡.コンスタンティノープルはイスタンブールに改名 1480 年 モスクワ大公国のイワン 3 世,タタール軍の侵入阻止 1492 年 1 月 イベリア半島南部のグラナダ陥落し,イスラム支配に終止符 同年 10 月 コロンブスが西インド諸島を発見 1494 年 スペインとポルトガルがトルデシリャス条約 1517 年 マルティン・ルターの宗教改革始まる 1534 年 イギリス国教会成立 1555 年 アウクスブルクの宗教和議 1562 年98 年 フランスでユグノー戦争 1571 年 レパント沖の海戦でスペイン艦隊がオスマン・トルコ海軍に圧勝 1580 年 スペイン,ポルトガルを併合 1581 年 ネーデルラント(オランダ)がスペインから独立宣言 1582 年 ローマ法王グレゴリウス 13 世がユリウス暦を修正してグレゴリウス暦に. 1598 年 フランスでナントの勅令 1600 年 イギリス,東インド会社を設立 1602 年 オランダ,東インド会社を設立 1618 年48 年 ドイツで三十年戦争 1642 年49 年 イギリスでピューリタン革命(49 年に国王チャールズ 1 世処刑) 1648 年 ウェストファリア条約.スイスとネーデルラントが独立 1685 年 ルイ 14 世,ナントの勅令を廃止 1688 年 イギリスで名誉革命 1707 年 イギリスがスコットランド併合.大ブリテン王国に 1740 年48 年 オーストリア継承戦争 1756 年63 年 七年戦争 1789 年 フランス革命 1792 年 フランス国民公会,共和政を宣言(第 1 共和制) 1793 年 ルイ 16 世処刑 1794 年 テルミドールの反動(ロベスピエール処刑) 1804 年 フランスでナポレオンの第 1 帝政発足.ナポレオン法典制定 1805 年 トラファルガー沖の海戦でイギリスのネルソン提督率いる艦隊がナポレオン軍を破る 1806 年 ナポレオン,ドイツにライン同盟設立.神聖ローマ帝国が消滅 1812 年 ナポレオン,ロシア遠征で敗北 1814 年 ナポレオン退位,エルバ島へ 1814 年15 年 ウィーン会議 1815 年 ナポレオン復活.ワーテルローの戦いで敗れ,大西洋のセントヘレナ島に 1825 年 イギリスで鉄道開業 1848 年 フランスで二月革命.第 2 共和制発足 1852 年 フランスで第 2 帝政.ナポレオン 3 世が皇帝に 1853 年56 年 クリミア戦争 1861 年 イタリア王国誕生.ロシアで農奴解放令 1862 年 ビスマルク,プロイセンの首相に就任 1866 年 普墺戦争 1867 年 北ドイツ連邦発足.オーストリア・ハンガリー二重帝国成立 1870 年 普仏戦争でドイツ勝利.フランスで第 3 共和制発足 1871 年 ドイツ帝国発足.ビスマルクが初代宰相に 1877 年78 年 露土戦争 1878 年 ベルリン条約でオーストリア・ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを行政管理下に.ルーマニア,モンテネグロ,セルビアが独立 1882 年 ドイツ,オーストリア,イタリアが三国同盟 1891 年 露仏同盟成立 1902 年 日英同盟成立(23 年まで) 1904 年 英仏協商成立 1904 年05 年 日露戦争 1907 年 英露協商成立 1908 年 オーストリア・ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合 1914 年 6 月 オーストリア皇太子,ボスニアの首都サラエボでセルビア人青年に暗殺される 1914 年 7 月 第一次世界大戦勃発 1916 年 ヴェルダンの戦いで独仏合わせて 100 万人近い死傷者 1917 年 ロシア革命でソ連樹立 1918 年 11 月 第一次世界大戦終結 1919 年 ベルサイユ条約締結.ドイツでワイマール共和国発足 1920 年 国際連盟設立(常任理事国は当初,イギリス,フランス,日本,イタリアの 4 カ国.米国は未加盟.26 年ドイツ,34 年にソ連が加盟して常任理事国に.日本とドイツは 33 年に脱退) 1924 年 ドイツの賠償金負担を減らすドーズ案 1925 年 ロカルノ条約成立 1926 年 ドイツ,国際連盟に加盟 1928 年 不戦条約締結 1929 年 米で株価大暴落,大恐慌始まる 1930 年 ブリアン仏外相,ヨーロッパ連合構想の覚書を 26 カ国に送付.ドイツの賠償金負担を減らすヤング案 1933 年 ヒトラー,ドイツ首相に.フランクリン・ルーズベルト,米大統領に 1934 年 ヒトラー,第三帝国総統に 1938 年 3 月 ドイツ,オーストリアを併合 1938 年 9 月 イギリスのチェンバレン首相,ヒトラーとミュンヘンで会談し,チェコスロバキアのズデーテン地方の割譲に同意 1939 年 8 月 独ソが不可侵条約締結 1939 年 9 月 1 日 ドイツ軍,ポーランドに電撃侵攻し,第二次世界大戦勃発 1940 年 5 月 イギリスでチャーチルが首相に 1940 年 6 月 ドイツ軍,パリ占領 1940 年 7 月 ナチスに協力するヴィシー政府がフランスで成立.ドゴールらのレジスタンス運動始まる 1940 年 9 月 日独伊が三国同盟 1941 年 6 月 ドイツ,不可侵条約を破棄してソ連に侵攻 1941 年 12 月 スターリンのソ連がドイツ軍に反攻開始.日本がハワイの真珠湾を攻撃し,米国が参戦 1943 年 10 月 ベネルクス通貨協定締結 1944 年 6 月 連合軍,ノルマンジー上陸作戦 1944 年 9 月 ベネルクス関税協定締結 1945 年 4 月 ヒトラーが自殺 1945 年 5 月 ドイツが降伏 1945 年 8 月 日本が降伏 1945 年 10 月 国際連合(国連)発足.フランスで第 4 共和制発足 1946 年 3 月 チャーチル,ヨーロッパに「鉄のカーテン」が降ろされていると演説 1946 年 9 月 チャーチル,ヨーロッパ合衆国形成を訴える演説 1947 年 3 月 ソ連「封じ込め」のトルーマン・ドクトリン発表 1947 年 6 月 ヨーロッパ経済援助のマーシャル・プラン発表 1948 年 6 月 ソ連がベルリン封鎖 1949 年 1 月 ソ連と東ヨーロッパ諸国,経済相互援助会議(コメコン)を設立 1949 年 4 月 北大西洋条約機構(NATO)発足 1949 年 9 月 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立.アデナウアーが首相に(63 年まで) 1949 年 10 月 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立 1950 年 5 月 フランスのシューマン外相,欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)構想を発表 1950 年 6 月 朝鮮戦争勃発(~53 年 7 月) 1951 年 4 月 パリ条約で ECSC 設立決まる 1952 年 7 月 ECSC が発足 1955 年 5 月 西ドイツが NATO 加盟.ワルシャワ条約機構創設 1956 年 ハンガリー動乱にソ連が軍事介入 1957 年 3 月 ローマ条約で欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(ユーラトム)の設立決まる 1958 年 1 月 1 日 EECとユーラトム発足 1958 年 9 月 フランスで第 5 共和制発足,ドゴール大統領登場(12 月) 1959 年 イギリスなど 7 カ国が欧州自由貿易連合(EFTA)結成 1960 年 フランスが原爆実験に成功 1961 年 8 月 「ベルリンの壁」構築 1962 年 アルジェリア,フランスから独立 1963 年 1 月 ドゴール,イギリスの EEC 加盟を拒否.独仏協力条約(エリゼ条約)に調印 1964 年 フランスが中国(中華人民共和国)承認 1966 年 2 月 フランス,NATO の軍事機構から脱退 1967 年 1 月 1 日 EEC,ユーラトム,ECSC が一体化して欧州共同体(EC)が発足 1967 年 11 月 ドゴール,イギリスの EC 加盟申請を拒否 1968 年 7 月 EC 関税同盟(域内関税撤廃と域外共通関税)が完成 1968 年 8 月 ワルシャワ条約機構,「プラハの春」(人間の顔をした社会主義)を進めたチェコスロバキアに軍事介入 1969 年 4 月 ドゴール大統領退陣 1970 年 ブラント西独首相,ワルシャワのゲットー跡でひざまずいて献花 1972 年 東西ドイツが基本条約,ともに国連加盟 1973 年 イギリス,アイルランド,デンマークが EC に加盟し,9 カ国に.第 1 次石油ショック.東西ドイツが国連加盟 1974 年 フランスでジスカールデスタン大統領就任.ドイツでシュミット政権発足 1975 年 全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議がヘルシンキ宣言採択.第 1 回先進諸国首脳会議(サミット),フランスのランブイエ城で開催(日本含む 6 カ国) 1977 年 チェコスロバキアで反体制知識人が「憲章 77」発表 1978 年 ローマ法王にポーランド出身のヨハネ・パウロ 2 世.イタリア出身以外の法王は 455 年ぶり 1979 年 第 2 次石油ショック 1980 年 ポーランドで自主管理労組「連帯」(ワレサ委員長)結成 1981 年 米国でレーガン大統領就任.フランスでミッテラン大統領就任.ギリシャが EC に加盟 1982 年 西ドイツでコール政権発足 1984 年 ミッテラン大統領とコール首相がヴェルダンの戦場跡で独仏不戦の誓い 1985 年 ソ連でゴルバチョフが共産党書記長に(90 年から大統領).EC の欧州委員長にドロール就任 1986 年 フランスでコアビタシオン(保革共存)政権発足(~88 年),シラクが首相に.スペインとポルトガルが EC 加盟(計 12 カ国に) 1988 年 ゴルバチョフが「制限主権論(ブレジネフ・ドクトリン)」を否定(新ベオグラード宣言) 1989 年 5 月 ハンガリーがオーストリアとの国境を開放 1989 年 6 月 ポーランド総選挙で「連帯」系候補が圧勝 1989 年 10 月 ハンガリーで新憲法施行,社会主義労働者党の支配に終止符.東ドイツのホーネッカー社会主義統一党書記長が退陣 1989 年 11 月 「ベルリンの壁」崩壊(9 日).チェコスロバキアで「ビロード革命」 1989 年 12 月 地中海のマルタでレーガン大統領とゴルバチョフ大統領が会談,冷戦終結.ミッテラン大統領,キエフでゴルバチョフ大統領と会談.ルーマニアでチャウシェスク大統領夫妻射殺.チェコスロバキアでハベルが大統領に 1990 年 8 月 2 日 イラク軍がクウェートを占領(湾岸危機) 1990 年 10 月 3 日 東西ドイツが再統一 1990 年 11 月 パリで全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議開催 1991 年 欧州復興開発銀行(EBRD)設立.湾岸戦争で米英仏などの多国籍軍がクウェートからイラク軍を駆逐(1 月2 月).EC がマーストリヒトで首脳会議(12 月).ソ連消滅(同月) 1992 年 デンマーク国民投票でマーストリヒト条約の批准否決(6 月).フランス国民投票でマーストリヒト条約辛うじて批准承認(9 月) 1993 年 EC の市場統合が完成.チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離.デンマーク,再度の国民投票でマーストリヒト条約を批准.マーストリヒト条約発効,欧州連合(EU)発足(11 月) 1995 年 オーストリア,フィンランド,スウェーデンが EC に加盟(計 15 カ国に).ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でデイトン合意.EU 通貨統合の単一通貨名称ユーロに決定(12 月). 1997 年 アムステルダム条約調印(99 年発効) 1998 年 6 月 欧州中央銀行(ECB)設立 1999 年 ユーロ,決済通貨として導入(1 月.11 カ国でスタート) 2001 年 ニース条約調印(03 年発効).ギリシャがユーロに参加 2002 年 ユーロ,紙幣と硬貨が流通(1 月) 2004 年 ポーランド,ハンガリー,チェコ,スロバキア,スロベニア,バルト三国(エストニア,ラトビア,リトアニア),マルタ,キプロスの 10 カ国が EU 加盟(25 カ国に).欧州憲法条約調印(未発効).EU の欧州委員長にバローゾ元ポルトガル首相 2005 年 欧州憲法条約,フランス(5 月)とオランダ(6 月)の国民投票で相次いで批准否決.ドイツ首相にメルケル就任 2007 年 ブルガリアとルーマニアが EU 加盟(27 カ国に).スロベニアがユーロに参加.フランス大統領にサルコジ就任(5 月).サブプライム危機でフランスの BNP パリバ銀行傘下のファンドが口座凍結(8 月).リスボン条約調印(09 年 12 月発効) 2008 年 マルタとキプロスがユーロに参加.米投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻(9 月 15 日.リーマンショック).第 1 回 20 カ国・地域(G20)首脳会議(ワシントン.11 月) 2009 年 スロバキアがユーロに参加.ギリシャ財政危機が表面化(10 月).EU「大統領」にファンロンパイ元ベルギー首相,EU「外相」にイギリスのアシュトン元欧州委員(12 月) 2010 年 EU,国際通貨基金(IMF)と合同で第 1 次ギリシャ支援策(5 月).ECB,南欧諸国の国債買い入れ(同) 2011 年 エストニアがユーロに参加 2012 年 EU,第 2 次ギリシャ支援策(3 月).ギリシャ再総選挙で緊縮派が勝利(6 月).ECB のドラギ総裁,「ユーロを守るためには何でもする」と発言(7 月),南欧諸国の国債無制限購入も宣言(9 月).欧州安定機構(ESM)創設(10 月) 2013 年 イギリスのキャメロン首相の国民投票発表(1 月).クロアチアが EU 加盟(7 月.28 カ国に).ドイツ総選挙でメルケル首相 3 選(9 月) 2014 年 ラトビアがユーロに参加(18 カ国に