「あのひとのしていることを見てください。
私はあのような悪いことはしません。
だから私はいいひとです」
人は常に他者の醜さを探し、それを責めることを執拗に求めている。その理由は、自分が善良であることを証明する、最も簡単で、最も素早い方法だからではないだろうかと思う———といった考察は全くその通りだと共感しました。
「他者を貶めても自分の価値が上がるわけではない」と、いつか誰かの言葉で読んだものでしたが、あの言葉が人気を得たということはつまり、他者を責めて容易に自分が周囲に評価されようとする願望が裏付けにあることを、それとなく証明していたようなものですから。
被害者意識から脱することこ...続きを読む そ、能動的に生きることこそ、この世界で幸福に生きるための第一歩。宮沢賢治・銀河鉄道の「幸福への一歩ずつ」とはこのことを指していたのかもしれません。
AntifaやBLMが、ソロスチルドレンに等しい存在であることは、これまでも資金の流れなどを追っている資料等で知っておりましたが、そもそもその原型となるKKKの存在は、今回の本を通して初めて知ることとなりました。キャンディスさんのおじいさんの牧歌的な自然信仰と、卑しい悪意に負けない勇気ある姿は、何かと他責にしてしまいがちな現代(令和6年現在)日本人にも参考になるものがあるのではないでしょうか。
とはいえ、これだけは絶対に自分のせいじゃない!と言いたくなる気持ちもすごくよくわかりますので、因果関係をはっきりさせた上で、あいつが悪いから俺は何もしない!あいつが弁償しないのにどうして俺からやってやらねばならんのだ!と意地張って、拗ねているのではなく、そうだ俺は確かに何も悪くなどない、悪くなどないが__自分に出来ることを淡々とやろう、ぐらいの心算(こころづもり)で良いのだと思います。
そして、左翼思想とリベラルは本来は別のもの。その当たり前の事実を大勢の人が忘れてしまっている___という件も大いに納得しました。
左翼とは、ある特定の目的や命題を実現することが全てであり、決して個人の人権や自由を最大の課題とはしていないから。目的のためならば個人の自由は簡単に失われる。それは過去に、そして今にも、共産主義の実態が教えてくれている。といった旨にも同意です。
特に、現代版フェミニズムと、蘇った亡霊・KKK(クークラックスクラン)の危険な一致ぶりには驚かされました。BLMやAntifaの暴力的な行為や、「ソロス金出せ」のプラカードに見られる、背後による金銭関係のなんとも言われぬ後ろ暗さとは、もともとKKKが由来していたのだなぁと、歴史の教養がひとつまた高まりました。現在のアメリカにとっては、ディープステイトの一角と考えた方がわかりやすそうですが、より具体的にその根を辿ると、なるほどKKKであり、やはり「またおまえか、民主党!」と言いなくなるほどに、やはり民主党なのだなぁと……(苦笑)
つくづく、弱者救済を語る者には気をつけなくてはなりませんね。特に政治の場合、永遠に、有権者にはかわいそうな状態でいてもらわないと、彼らにとっての組織票がなくなってしまうのですから。その相関図を見抜いたとき、彼らは決して哀れな民を救うはずがないと分かります。民間においても、恐怖ビジネスは後を断ちません。嘘と暴力が基本にある政治と外交においては、さもありなん、でございます。
そして個人的に驚いたのが、マリク・セイント・ヒレール氏が体験した、女性の証言を無条件に信じる世論の残酷さを、あくまで裁判において、事実に基づき、原告のニッキー・ヨビーノ氏の虚偽報告、警察妨害を有罪判決とし、一年の懲役を与えた担当者の名前が———ウィリアム・“ホールデン”であったことです。
文学が好きな方なら、ホールデンと聴いて、とある主人公が思い浮かべられたのではないでしょうか。そう、そのホールデンです。サリンジャー氏が執筆した、邦題『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンです。彼は奔放でめちゃくちゃな言動が目立ちますが、生きていくために、心において大切なことは、決して見逃すまいと目を輝かせることがあります。その様が、家族との絆を分断しようとする、政府への依存を強めようとする歪な世論工作を睨む眼差し———ウィリアム・ホールデン氏を象徴しているかのように思えたのです。
家族は息苦しく、作法やしきたりが多く、そこから一度離れれば、あああれは束縛だったのだと、『誤解』してしまうものです。たしかに田舎の衆人環視は、噂話や億劫になるほどの厚かましさを感じることは少なくありません。まして同じ家に住む人なら尚更なことです。
それでも、
そう、それでも。
それでも家族は、近所の人々の存在は、助け合える尊いものなのです。
何故なら彼らから孤立したところで、結局個人の力など知れています。食べ物を作り出すことはもちろん、金銀を手のひらから魔法のように現せるわけでもありませんから、結局は、大きな組織に取り込まれることになるのです。さしあたっては銀行の融資を受けられるかどうかとなり、その銀行の基準がそもそも政府が掲げるお題目に敵うかどうかなのです。令和現代においては、まさしく、LGBTQイデオロギーや、SDGsなどの、嘘や偽善に過ぎないお題目を、そうと知りながら涙を流して従うか、あるいは本当に何も知らぬ阿呆になるか、はたまた阿呆を演じるかをしなくてはならないのです。
自分が心のままに生きていく豊かさを育むためには、いずれ独立していくそのときまで、やはり、家族や近所の人々の助けは、欠かせないものなのです。一度、政府に依存し、裏切られたとき、初めてその大切さに気がつくでしょう。
とはいえ、家庭内暴力や醜聞を鵜呑みにした近所の人の心ない態度なども、少なからず経験されたことがいるかもしれないことを思うと、もちろん私が勧める、助け合いの関係も、絶対ではないことをあらかじめお断りしておきます。
それでもあくまでそれは、「例外」なのです。多くの者にとっては、本来ならば、家族とご近所付き合いは、有益なものなのです。どうか、皆様が穏やかで幸せに生きられることを願います———
大学はもはや社会正義のために甘やかされた学生たちの遊園地となった。スマートフォンを使っていつでもアプリを楽しめるようになった今、私たちは自分たちの価値を見失い、より価値のある人間になるために、社会正義を実現しようとしている。その執着ぶりはもはや妄念であり、その妄念のために、自分たちを、事実とは異なるはずの犠牲者にしてしまう。先人たちが命をかけて守ったはずのものを、易々と壊してしまう。むしろそれを壊すことが正義だと信じてしまっている。
といった旨にもいたく同意します。福沢諭吉さんが、帝大から始まる秩序こそがやがて共産主義の温床となると警告し、早くから見抜いていたように、今やその敗戦既得権益の形骸と化した東大秩序は、まさに共産主義の、フランクフルト学派の、なんでもかんでも否定すれば社会正義になれると信じる、妄念の犠牲者を次から次へと生み出し続けていると言えるでしょう。その福沢諭吉さんの慶應義塾も、悪名高きハーバード大学と関わりが深いため、一抹の警戒は必要ですが、そうはいっても当時のハーバードは、さすがに今ほど、ガチガチで融通の効かない社会正義量産遊園地ではなかったろうと思います。そうでなければ、彼が交流を持とうとは考えないでしょうから。
アメリカ大統領選挙が間近に迫り、大勢の人々が、トランプ大統領の復活を心待ちにしています。なんとか、平穏無事に済むことを願います。そして、彼の政策によって締め出された不法移民は、今度は流れるように日本にたどり着くことになるでしょう。レプリコンワクチンのシェディングは相当に重体を引き起こしてしまうものとも噂されており、不法移民による暴動でもよし、賃金を稼げない無能な人間はシェディングで死すもよし、っと、国際金融資本の残酷な計算が目に浮かぶような状況が予想できます。
そんな時こそ、レプリコンを受け入れない、不法移民には合法の手続きをしてもらう、っと、トランプ大統領を見習う・・・までもなく、日本人として、しっかり帯を締める機会がやってきたと、覚悟するだけでいいのだろうと思います。