作品一覧

  • 旅する神々

    旅する神々

    小説・文芸

    5.0
    1巻1,870円 (税込)
    五つの名を持つ大国主神の変幻自在な旅、浦島太郎のモデルとなった山幸彦の海神の宮訪問、吉備津神の温羅退治遠征、天照大御神の「永遠の宮所」を探し求める倭姫命の国覓ぎの旅、民俗行事にみえる仮面・仮装の神々の来訪――神は常在せず、古来、人びとの延長線上にあった。『古事記』をはじめ神話や行事に息づく奔放で多情多様な「旅する神」の姿に、日本独自の神々と人びとの関係をさぐり、原信仰を浮かび上がらせる。 「日本は、ついぞ宗教統制をさほどに大事とせず、多神教が共存を是としてきた。おもしろい、というしかない。そこでの神々も多様な性格があるが、それも絶対的ではない。時どきに変化もあり習合もあり、それがおもしろい。ということは、神々と人びとの自在な関係がおもしろい――」(「第一章」より) 序章 呼べば応える日本の神々 第一章 大国主神の旅 第二章 山幸彦の旅 第三章 吉備津彦の旅 第四章 倭姫命の旅 第五章 倭建命の旅 終章 招かれざる神々の来訪
  • シリーズ江戸学 江戸に学ぶ「おとな」の粋

    シリーズ江戸学 江戸に学ぶ「おとな」の粋

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻539円 (税込)
    上方では「すい」、江戸では「いき」。江戸時代には現代では忘れられた処世の術があった。信心、願掛け、旅、おしゃれ、遊びなどに通底する「粋」の心根に触れつつ、江戸人風の「おとな」にならう心得を伝授。
  • 聞書き 遊廓成駒屋

    聞書き 遊廓成駒屋

    小説・文芸

    4.6
    1巻924円 (税込)
    ある日、名古屋駅裏を歩いていた著者は、一軒の建物が取り壊されようとしている場に出くわす。それが中村遊廓の成駒屋だった。その場に残された家財道具を手掛かりに、著者は遊廓の実像を求めて、多くの人から聞取りを始める。大正から昭和の隆盛期、さらには売春防止法以後の関係者たちはどう生きていったのか。読書史上に残る名著文庫化。
  • 神主と村の民俗誌

    神主と村の民俗誌

    ビジネス・実用

    4.5
    1巻1,177円 (税込)
    氏神から産土神、株神を祀る。集落や同族、一家で神々を招くたびに役割を果たす神主の仕事とは? 祈祷・祭りと村の暮らしを描く。
  • まぐわう神々

    まぐわう神々

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻1,870円 (税込)
    記紀神話以前の原始信仰である「性神信仰」。近代では淫祀邪教廃絶の風潮にともない、ときに卑猥なものとして退けられたが、今も日本各地にはその痕跡が残っている。座産土偶や陰陽石、木彫りの男根像や金精神を祀る社、かつてあった夜ばい文化、地域で継承され続けている担ぎ出しや道祖神まつり、神楽やお田植――「まぐわい(婚い)」の遺産や祭事を訪ね歩き、古くからの豊穣と繁栄への祈りを紐解く民俗学。
  • 社をもたない神々
    値引きあり

    社をもたない神々

    小説・文芸

    3.5
    1巻935円 (税込)
    歳神・田の神・山の神・塞の神・地神・産神・産土神――ご先祖様たちが広大な自然や日々の営みから見出し、崇め祀り、連綿と子孫に託してきたものとは何か。 「我われの民俗学は、先学の落とした落穂を拾うようなもの」。師・宮本常一の言葉に導かれるように、日本各地に残る原初の多様なカミたちの足跡を探索。代々続く吉備・宇佐八幡神社の神主として、半世紀にわたり古神道(民間神道)を実践してきた著者が、いま急速に失われつつある「日本のかたち」を伝え残す。 序章――自然に宿る神々の群れ 第一章 歳神と田の神 第二章 原初に神体山あり 第三章 神宿る樹木とその森 第四章 境を守る「塞の神」 第五章 地神・産神と産土神 終章――まじないと流行神
  • しきたりの日本文化

    しきたりの日本文化

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻484円 (税込)
    喪中とはいつまでをいうのか。時代や社会の変化につれて、もとの意味や意義が薄れたり、変容してきた日本のしきたり。「私」「家」「共」「生」「死」という観点から、しきたりを日本文化として民俗学的に読み解く。
  • 日本人の原風景 風土と信心とたつきの道

    日本人の原風景 風土と信心とたつきの道

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻1,265円 (税込)
    山に富み、森林に覆われ、海に囲まれた列島。そこに棲む日本人は自然の恵みを享受し、生計を立て、カミに礼を尽くしては人生の節目とした。また、参詣・巡礼に言寄せた遊山や漂白・旅の渡世は、楽も苦も味わう深さをもたらした。 近世に固まったそうしたスタイルは、しかし高度経済成長期を境に変容を余儀なくされる。見失われた日本人の暮らしと人生の豊穣はどんな形だったのか。民俗学者がフィールド観察と研究の蓄積をもとに語る。
  • 日本のしきたり 冠婚葬祭・年中行事のなぜ?

    日本のしきたり 冠婚葬祭・年中行事のなぜ?

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻1,584円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 婚礼と葬送は、人の一生の中で最も大きな儀礼です。「冠婚葬祭」はいうなれば人類が共有する通過儀礼なのです。「なぜ、それを行うのか」を読みとっていただき、次世代へもそれを考える力を伝えていただきたいと思います。
  • 「まつり」の食文化

    「まつり」の食文化

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻1,320円 (税込)
    盆・正月、節供と節分、春祝いと秋祭りなど、かつては四季折々に多彩な行事が行われ、それにはハレの食事が伴っていた。祝い・祭りと食との結びつきの本来の意味を問い直し、失われた文化の原像を描く。
  • 酒の日本文化 知っておきたいお酒の話

    酒の日本文化 知っておきたいお酒の話

    ビジネス・実用

    3.0
    1巻517円 (税込)
    日本酒の原点は、神と「まつり」と酒宴にある。酒と肴の関係や酒宴のあり方の移り変わり、飲酒習慣の変化、醸造技術と食文化とのかかわりなど、お酒とその周辺の文化を豊富な民俗例とともにやさしく説く。
  • 神楽 神々をもてなす伎芸

    神楽 神々をもてなす伎芸

    ビジネス・実用

    -
    1巻2,200円 (税込)
    神楽は、日本の伝統文化のひとつである。伝統文化ではあるが、時々の変化を重ねながらも連綿と伝わってきた。もちろん、それは、その土地の人たちの思いがあってのこと。伝承のかたちは違うが、神楽好きの人たちの思いは全国に共通する。私たち日本人は、神楽好きの民族、といってもよいだろう。そうでなくては、数百以上もの神楽が存続するはずがないではないか。世界に類なき密度の「日本の神楽」。各地の神楽を取り上げ、写真とともに解説する。
  • 「おじぎ」の日本文化

    「おじぎ」の日本文化

    ビジネス・実用

    -
    1巻774円 (税込)
    何気ない身振りやしぐさにも、文化に根差した意味があるはず。 外国人にとってはいまだにやはり奇妙な動作にみえるという「おじぎ」。この「おじぎ」はどんな文化の脈絡ではじまり、いつどんな変容をとげてきたのか。「三三九度」をはじめ、日本人のしぐさに根付いている習俗儀礼や日本文化について、民俗学的な解明を行ってきた著者による、目からウロコの「おじぎ」文化発見。 たとえば、時代劇の大名行列では「下に、下に」の掛け声とともに庶民は道端に額をつけて土下座して控えるシーンがみられるが、このような伏す姿は実際にはありえず、片膝をつき頭を下げる片膝礼であった。こんな誤解はいったいどこから来たのか。 「型の日本文化」の代表例である、歌舞伎・相撲・柔道・茶道などで伝承される「おじぎ」の典型は座礼。この座礼の大元は真言密教の三礼(平伏・揖・釈)からきているとされ、神道儀礼の三礼(神前礼)も密教から派生したといわれ、のちの武家の礼法につながるが、では、いつ、どんな経緯でこのような礼法になったのか。 そのことを、古くは絵巻物や絵解きの絵画史料、近世では幕府の公的な礼法の記録、近代ではモース、シーボルトの記録や修身・しつけなどの学校教育、軍隊の礼法などから解明。そのなかから、「おじぎ」は人間関係という制度系だけではなく、じつは着物や建物などの装置系、とりわけ畳の普及とのかかわりがターニングポイントであったと解く。 たんなる挨拶や会釈ばかりではなく、「おじぎ」に込められた、日本文化との深い関係を鮮やかに読み解く。 ●本書は今は亡き司馬遼太郎が、著者に執筆のテーマとして「おじぎ」を書くことを強くすすめたことが端緒になっている。
  • おみやげ 贈答と旅の日本文化

    おみやげ 贈答と旅の日本文化

    ビジネス・実用

    -
    1巻2,420円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 神と人、人と人とをつなぐ証し──おみやげ。祭りの神人共食を起源とし、什器・食品・薬品・玩具など、時代とともに変化してきたおみやげに光をあて、観光業・運送業の発達をも視野に入れながら、そのやりとりに込めた人々の想いをたどる。

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  • 「旬」の日本文化

    「旬」の日本文化

    小説・文芸

    -
    1巻550円 (税込)
    俳句の季語に代表されるように、四季の移ろいに敏感な日本人。フキノトウに春、初鰹に夏、ススキに秋を感じ、正月には気持ちが改まる。民俗学的な視点から、食事や行事に映る「旬」の文化を読み解く。

ユーザーレビュー

  • 聞書き 遊廓成駒屋

    Posted by ブクログ

    2017年ちくま文庫。元は1989年講談社。
    昭和53年ころだろうか、たまたま通りかかった中村遊郭で家屋取り壊し現場に出くわし、捨てられていく民具を工事を中断させて搬出したところから始まる。神崎の遊郭調査。今でいう鵜飼病院の向いのところだ。知っている地名、場所が頻出。
    お秀さんをはじめ関係者からの長年に及ぶ広範囲な聞き取り。元娼妓に四国まで会いに行くが、ここでは話をせずに帰ってくる著者の控え目さが素晴らしい。
    少し前に朝日新聞で著者の経歴が連載されていたがそこでもお秀さんとの話や写真が載っていた。娼妓と取り巻く人々、近い過去、近い場所での様々な人生があった。

    0
    2024年08月30日
  • シリーズ江戸学 江戸に学ぶ「おとな」の粋

    Posted by ブクログ

    485

    神崎宣武
    1944生。民俗学者。旅の文化研究所所長、岡山県宇佐八幡神社宮司。著書に『「まつり」の食文化』角川選書、『酒の日本文化』『しきたりの日本文化』角川ソフィア文庫、『江戸の旅文化』岩波新書、『神さま、仏さま、ご先祖さま』小学館など多数。



    しかし、江戸の紀行文を総じてみると、案外と和歌が少ない。江戸時代に、その分野ですでに和歌の後退現象が生じている。というか、和歌が古典として格上げされたのである。  かわって 流行るのが俳句である。なかでも、芭蕉は、のちに俳聖といわれるほどに俳句を広く知らしめた。その芭蕉の俳句も、大半が旅先で詠まれたものである。

    「赤富士」や「浪裏」で知られる浮世絵師 葛飾北斎 は、自己の画技完成をなお探究した。『 富嶽 百景』にいう。

    川柳では、世情を憂い、世情を皮肉る。紀行文では、いうなれば、「あるく・みる・きく」、そして考える。随筆では、自分と自分をとりまく生活環境のあれこれを私感をもって綴る。いずれも、あらためて「自分さがし」をするのであり、「自分史」をまとめる作業となるだろう。

     私は、海外のフィールドワークにもよく出かけるので、成田空港を利用する機会が多い。飛び立つまでの暇な時間、もっぱらそこでの人間ウオッチングを楽しむようになった。いま、もっとも元気なのは熟年女性であり、もっとも覇気のないのが熟年男性であろう。熟年女性の場合、一人旅とおぼしき人も目立つ。さっそうとしている。グループ旅行とおぼしきは、華やいでいる。対して、熟年男性はというと、多くは出張か家族旅行。男の目からみても「 恰好 いい」という人をあまりみかけないのはなぜなのだろうか。

    旅は、ハレの行動様式には相違ないが、そのハレのなかにまたハレ的な行為とケ的な行為がある。そのメリハリは、当然のことである。が、現代の旅行では、とかくハレの連続を求めがちである。それは、交通の発達により旅行日程を短縮できるがゆえに、観光ポイントや宴会・パーティーなどをつめこむことになるからだ。また、多くの日本人が実際には時間的にも経済的にもさほどのゆとりがあるわけではなく、旅行に出た以上いっときに消費を重ねようとするからでもある。私の親しいアメリカ人女性は、日本人観先客を「多忙症」と評したほどだ。つまり、ハレの旅のなかで、たとえば読書とか音楽や美術鑑賞とか散歩や昼寝などのケ的な行為が十分にとりいれられていないわけだ。いきおい、その土地の風物や人情になじむまでには至らない。ただ、そこに足を運んだということにとどまりがちである。

    だが、旅のもうひとつの意義は、「世間を広げる」ことにある。ゆえに、「かわいい子には旅をさせろ」とか「旅は人生」といったのだ。  世間にはさまざまな人がおり、さまざまな暮らしがある。つまり、 分 さまざまということ。さまざまな土地や人びととの出会いによってあらためて自らの分を知る。それではじめて自らの再生をはかる、その転機にもなるだろう。そこではじめて旅は癒しの場となりうるのだ。

    「されば泊々土地、処の風俗によって、けしからぬ 塩梅 の違あるものなり。此等の事を 兼 而 心得 居 ねば、大に 了簡 違ふものなり。(中略) 実に 貴賤 共に旅行せぬ人ハ、 件 の 艱難 をしらずして、 唯 旅ハ楽、遊山の為にする様に心得居故、人情に 疎、人に対して 気随 多く、陰にて人に 笑 指さゝるゝこと多かるへし」

    重ねていうことになるが、「陰にて人に笑指さゝるゝこと」のない旅──それが大人の旅の第一条件である。そのうえで、ことさら気どらず、されど余裕をもってにんまりと世間を広くみる。大人の旅とは、粋な旅とは、そんなものではあるまいか、と思えるのである。

    もちろん、徒歩行の時代であるから日程が長期に及ぶ。現在、私たちの海外旅行における平均が七泊八日。その四倍にも五倍にもなる。であるから、毎日をハレ、ハレと連続することはできない。が、当時は「往きの精進 帰りの観音」といったように、目的を成就するまではつつましく旅するのが一般的であった。

    旅の目的地である伊勢に 逗留 中は、一転して豪勢な飲食となる。もちろん、これは、上州板鼻あたりを縄張りとしているなじみの御師のもてなしでもあったが、それにしても豪勢なものだ。

    あたりまえといえばあたりまえすぎることだが、近代以降、交通の発達や勤務形態などの変化のなかで、旅がせせこましくなった。時計(時間)に縛られ、ゆとりが失われてしまった。全体的に、現代の旅は、メリハリのない、いうなればハレハレ急行。何となくつまらないものになってしまったように思える。

    できるなら、スケジュールを細かく固定しないことだ。旅の楽しみのひとつは「出会い」。その出会いは、良き出会いは、日程がゆるやかでいかようにでも行動できる時間的余裕のなかにこそ生じるのである。

    ある共通の目的をもって親しい仲間同士で旅に出たとしても、その目的を果たしたあとの後半は、それぞれの興味や好奇心にそって別行動をとるのがよろしかろう。一緒に行動する楽しみと一人の楽しみ、それぞれの合理をつかいわけしたいものだ。連帯責任の強かった江戸時代でさえ、金井忠兵衛たち一行のように、共通の目的であった伊勢参宮をすませたあとは、個々のホンネの旅へと分散しているのである。タテマエとホンネの 対 の行動、そんな余裕をもててこその「江戸に学ぶ大人の旅」なのではあるまいか。

    江戸っ子、とくに 半纏、 股引 姿の職人たちは、「宵越しの銭は持たねえ」を信条とした、といわれる。金はなくてもせこせこしない。「金は天下のまわりもの」と、きっぷよくつかい、清貧思想を 標榜 していた。それを美学とした。

    落語には、じつにさまざまな「金」と「人」との関わりあいが登場する。  たとえば、『 文七元結』では、泣く泣く娘を吉原に売ってつくった大金を、身投げしようとしている人にあげてしまい、その金が戻ってくる段になっても、「一度懐から出た金は受けとれねえ」といって、けなげにも江戸っ子の意地をみせる。また、『水屋の富』の主人公は、 富籤 で千両当たるが、他人に盗まれはしないかと少しも気が休まらなくなる。ある日、ついに金を盗まれてしまうが、「ああ、これで心配ごとがなくなった」と胸をなでおろすのである。

     江戸っ子たちは、けっして浪費家だったのではない。副収入で上手に遊んでいたのである。それぞれの財布をはたいて好きに遊ぶ、そのかぎりにおいては誰に遠慮がいるものか。何よりも江戸という時代が、それを許容したのである。

    「女房をこわがるやつは金が出来」という川柳もある。遊びに誘われても女房の顔を思いだして断るような恐妻家は、さぞかし金がたまるだろう、という皮肉は、現代人にも相通じることではある。が、それを是とするか非とするかに時代の違いがある。

    そうした金銭に執着しないという伝統は、つい近年まで日本人のなかで受け継がれていたことでもある。もちろん、金銭の価値を認めたうえで、金銭的な問題をあらわにしたりこじらせることを恥としてきた。金銭的な苦労をしながらも、金銭に潔いことを美徳としてきたのだ。

    いいかえるならば、しつけは社会の 規範 づくりの一環にあり、個人の自由が優先する現代社会には無用の旧慣、というわけにもゆかないのである。

    かつて、しつけは、家庭ばかりでなく、地域社会でもきっちり行われていた。  たとえば、江戸時代。村落社会において、若者に対するしつけに重大な役目を果たしたのが年長の青年たちであった。その地域内での「若者 頭」、あるいは「若衆頭」、「若勢頭」。それが若年層をしつける役目を担っていたのである。

    隠居と 隠遁 とは違う。趣味 三昧 の生活であっても、ある部分で実社会とのつながりをもっていた。というか、それまでの人生の経験を存分にいかせる立場を得ることでもあった。なかには、隠居してのち、世に残る仕事を成した人もいる。

    よく知られるところでは、 伊能忠敬 である。彼は、一七歳で伊能家の養子となり、没落しかけた家業を再興し、名主として郷土の発展にも貢献した。そして、五〇歳で隠居。それから江戸に出て、天文学を学び、日本全土の測量を志したのである。七二歳までの一六年間で地球一周を超える行程を測量し、その全距離を自らの足で歩き通したというのだから、すごい。何を語らずとも、その後ろ姿が若者の指針になったに相違ない。

    江戸後期の出雲松江藩主であった松平治郷 は、五〇代で家督を譲り、以後は全国を食べ歩き、書画、和歌、茶道に親しむなど、優雅な隠居生活を送ったことで知られる。そのようすは、自著の『甲子夜話』に詳しい。ただ、着道楽や酒道楽にほど遠く、浪費はしなかった。未練がましく後継者に口を出すこともしなかった。だが、その存在感そのものが、藩をになう次代の若者を導いていたことは、その伝説のなかからも想像にかたくない。

     今日では、着物を着る機会が極端に減ってしまったが、着物こそ日本の気候風土にあった装いなのである。それについては、先にもふれたが、たとえば、着物の最大の特徴は、直線裁断のためからだにピッタリあわせることができず、着付けたときにもフワッと、どこかに無駄な隙間ができることである。そのうえ、 袖 付けの下、脇縫いの上の部分に 身 八ツ口 といわれるあきがあり、袖口も洋服に比べて広くとられている。つまり、通気がいいのである。だから、蒸し暑い日本の夏に適した装いといえる。夏にはとくに 浴衣 が重用された。浴衣は、江戸の町人社会で夏のくつろぎ着として広まったものである。浴衣を着て夕涼み、というのが夏の風情のひとつにもなっていた。

    香具師は行商人であり、その生活は旅にある。そして、かつての旅は、歩くことが前提であった。その場合、荷物は最小限にまとめるべきであった。荷運びのための馬や人夫を雇うことができる身分ならともかく、旅から旅へと巡り歩く小商人なら一般の旅人と同様に身軽であるにこしたことはない。そうでなくても、人間一人が運びうる荷物の量は知れている。しかし、行商人である以上、商品が要る。そうした場合の商品は、当然かぎられてくる。かさばらず重すぎず、保存がきいて、どこでも平均して売れる貴重品であることが条件となる。そのうえ、行く先々で資本をかけずに補給が可能なものでなくてはならない。そうなると、薬品類がもっとも有利な商品となるのである。何らかの漢方調製の法を知っている者が、その知識や技術を頼りに行商をして歩いたことに疑いをはさむ余地はない。

    つまり、リサイクルは、いまのような運動ではなく、生活システムの一部であったのだ。ゆえに、リサイクルに相当するような言葉さえなかった。みんながふつうにやつていることをあえて表現するためのとくべつな用語など、意味も必要もなかったのである。  私どもは、いわば先祖が築きあげた巧妙なリサイクル社会を戦後三〇年以上もかけて 叩きつぶし、簡便な使い捨て文化に切り替えようとしてきたのである。そのツケがいままわってきているのだ。現在、私どもが頭をかかえていることの多くは、ほんの三、四十年前まで残存していた「循環」の意識や制度を再構築すれば、解決できることもあるのでは、と思えるのである。

    ところで、死後、人びとはどのように葬られたのであろうか。  江戸時代の葬儀は、身分や経済力によって差があったが、その手順はほとんどかわらない。  文字どおり、夜を徹しての通夜を行い、翌日が葬儀。家の中で僧侶による読経がなされ、その後出棺となる。出棺後は、 門火、後火、送り火などといって、火を 焚く習俗が広くみられた。

    0
    2024年01月24日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

    Posted by ブクログ

    下手な小説よりもドラマチック!
    気の遠くなるような丁寧な
    聞き取り調査が、売買春の実態や
    そのまわりの人間関係を描き出す。
    著者も書いているが、
    個性的でアクの強い人たちと
    心を通わせる姿勢が、
    難しい主題をここまで魅力的な本に
    したのだと感じた。

    0
    2021年10月24日
  • 旅する神々

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    私自身の古事記についての知識が浅く、いまいち理解ができないところもあったがとても面白かった。

    時代とともに神々も進化していく、寛容な時代があったのだなととても癒された。

    吉備津彦命と倭建命の章は、元ネタをなんとなくだが知っていたので理解しながら読めて大変面白かった。
    古事記と日本書紀は完全に別物だと思っていたので、古事記がさらに編纂されたものが日本書記と知って驚いた。この辺りの知識をつけたい。

    山幸彦の章で、お産の立会いが昔はタブーだったと知り驚いたとともに、その理由が
    p92「妊婦の健康を維持するための隔離であった。家事からも夫の世話からも解放された。」とあり、現代でもタブーにした方が妊婦さん休めるのではないかな?と思ったりした。

    また、著者の遊廓成駒屋を拝読し人柄に惹かれこの本を手に取ったので、ひめを比売と書くことに興味が湧いた。なぜ売るの字が使われたのかしら。

    原始信仰から西洋では一神教に日本では自然信仰を残しつつ神仏習合と地域の来訪神の多様な信仰へ
    島国と島続きの違いなのかわからないがこの違いが気になっていたので、終章で西洋では土着の来訪神がキリスト教と融合して伝わったのではないかとあり、なるほどなと思った
    伝わる宗教もその土地や国との相性によるのかな?と思ったり

    古事記をちゃんと理解してからもう一度読もうと思う。

    0
    2021年04月01日
  • 聞書き 遊廓成駒屋

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    遊郭についてネットでしか情報収集をしてこなかったので、本を読んで理解したいと思って手に取った一冊

    とてもわかりやすく驚いた。

    いつの時代も吉原遊郭が最大だと思っていたので、中村遊郭(存在も本書で知った)が最大だった時期があると読み驚いた。
    また、娼妓の人たちは遊郭から外に出て買い物に出れると思っていたのだがそうではなく遊郭内に商人が来て通常の倍以上の値段で売ってきたと知り驚いた。何故借金をなかなか返せないのだろうと思っていたが、そういうカラクリがあったとは…娼妓たちを縛り付けておくためとはいえエゲツないことするなと…

    ただ、途中でお秀さんが言っていた、普通の会社も社長や取締役の接待会食費は経費から落ちるし働いた分の給与が全部もらえるわけではないというのは確かにそうだなと思った。割合はエゲツないけど…

    お秀さんと著者がページを追うごとに砕けた感じになっていくのは、解説の井上さんがおっしゃっていたように著者と一緒に旅をし話を聞きに行っている気になりなんだかほっこりした。

    p126で「そういった娼妓たちの心情を哀れとみるか、それともしたたかとみるか、それこそ所詮は部外書の淡い感傷というものかもしれない」という一文がとても胸に残った。

    その時代、その場所で生きたものにしかわからない感情や空気があり、そのことを人に話す時点できっとフィルターにかけて言語化すると思うので、本当のところは当事者にしかわからない。
    遊郭でしか生きれなかった人も遊郭にいったことで亡くなった人も遊郭外の世界と同じようにいるんだろうなと割合はもちろん違うと思うが。

    売春が何故悪いのか、遊郭の成り立ちなど疑問に思うことが増えた。

    中盤で「遊郭残酷物語」にはしたくないといっていた著者の人間性と文章に惹かれたので他の本も読んでみたいと思う。

    遊郭の一部ではあるが僅かながら理解することができたのでとても良い本だった。

    0
    2021年02月28日

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