「自分の頭の中の『この国宝見たリスト』にチェックを入れる快感、たまりません」
著者が国宝を「スター」と呼んでいたのも無理はない。
自分も人越しに国宝を拝見しただけで、そのまま満足して帰りがちだ。「スター」とお近づきになるなんて畏れ多い。一目見られただけで充分。退色やほころびすら風情があってむしろ美
...続きを読むしい!(劣化しても見応えがあるのは、作者の腕がよほど優れているという証でもある)
そう、「国宝」の箔がつくだけで大抵の日本人は異常なほどにありがたがり、持ち上げまくるのだ。
人やガラス越しに見るのではなく、「もっと近距離で『国宝』と呼ばれる作品に親しんで欲しい」という願いが本書には込められている。過去の叡智は国を上げて守らなきゃだけど、敬遠してばかりではいつまで経っても作品の放つメッセージをキャッチできない。
著者の主観が目につくかもしれないが、そんな時は彼もまた作品に向き合っている内の1人だと思うと良い。彼曰く、少なくとも日本美術には見方に決まりがないから。
皆様は「賞道」という言葉をご存知だろうか。
著者の肩書はデジタル復元師・鑑賞学者で、前者はデジタル画像処理によって美術作品の色彩を復元する。一方後者は、ただ眺めるだけではない日本美術の鑑賞法を探ったり講演したり…という内容。「賞道」はその新しい鑑賞法として、著者が命名したものである。
何か凄いけどとっつきにくい国宝を制作当時の色に復元し、時にはそのレプリカを直に触ってもらう。自由にコメントしてみるのも良い。そして参加した人は大体決まって本物を見に行きたくなるという…。賞道によって衝動に駆られるというわけか。(ごめんなさい)
賞道の取り組みは4章に渡って紹介されており、各章の入口では新月ゆき氏の漫画が鑑賞のお供として控えている。「私は作品を見に来たのか?解説を読みに来たのか?」とつぶやく彼女に早速意識を叩き起こされ、そのままタイムトラベル(※)へ。
(※)制作当時の色彩・環境を再現することで、「国宝」と呼ばれるずっと前の鑑賞法を実現できる。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」をトレースしまくった尾形光琳。まるでアニメの絵コンテみたいな平安時代の「年中行事絵巻」や「平治物語絵巻」。「高松塚古墳壁画」に描かれた飛鳥美人の視線の先…。新たな知識や視点を得ることで、いかに自分が「眺めるだけ」の鑑賞をしてきたかを思い知らされる章ばかりだった。
淀殿の打掛を再現するというプロジェクトも「こんなこともできるのか!」と感動した一例だ 。屏風に描かれた淀殿と思われる人物が着た打掛の模様を反物にプリントし、なんと京都の刺繍工房の協力を経て仕上げたという。
桃山時代と現代の刺繍方法の違いやその理由まで明らかになっていて、その収穫に思わず「あっぱれ!」を送った。
展覧会に来るたび感じていたむず痒さに手が届いた感覚。その爽快さたるや…!(人越しの鑑賞で満足したと、無理矢理言い聞かせていたのだ泣)
特別講演だけでなく、美術館のワークショップに来てくれるだけでも賞道普及や意識改革につながると思うんだけどな〜。