オルダス・ハクスリーの作品一覧
「オルダス・ハクスリー」の「すばらしい新世界」「多次元に生きる」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
Posted by ブクログ
『100分de名著』の2026年9月の題材。「快楽と幸福で統治することもディストピアなの?」と思っていた。
『すばらしい新世界』で人は、試験管から生まれてくる。父や母、子どもという関係性も、家族という概念も廃止され、発達した科学技術によって老いることもなく、若々しいままで60代で死を迎える。
胎児期には酸素供給量を減らしたりアルコールや薬品にさらしたり、幼児期には電気ショックや睡眠学習を用いる。それによってあらかじめ社会階級を決定し、階級に応じた身体的・知的能力や好みを調整される。さらに、割り当てられた社会的な役割に満足して、他の階級と自分を比べても不満を感じることがないように条件付けされる。性的な関係へのためらいや、死への恐怖も、すべて幼い頃から取り除かれていく。
なにかの拍子に不安や不満を感じたら、副作用がないとされる「ソーマ」という合法ドラッグを服用すれば、すぐにハッピーになれる。『鬱かなと思ったら早めのソーマ』
社会階級は、上位のアルファとベータ、下位のガンマ、デルタ、エプシロンと分けられる。どの階級の人々も他の階級を羨むことなく、「自分はこの階級でよかった」と思っている。
すべての人々が自らの境遇に満足し、不安も不満もない社会。それはなにを犠牲にして成り立ち、なにを失った社会なのか。
バーナードはアルファ・プラス階級だけど、他のアルファに比べて身体が小さくコンプレックスを感じている。胎児期のアルコール混入事故が原因だとうわさされている。ソーマに依存する生き方に疑問を持っていたり、一人でいることを好む一方で、体制そのものを否定するわけではなく、社会の価値観に適合できない自分を憐れみながら、社会に認められることを諦められていない。
ヘルムホルツもアルファ・プラス階級で、感情工科大学創作学部の講師として働きながら触感映画の脚本家であり、プロパガンダや睡眠教育の韻文など大衆向けの文章も書いている。表現において自分がもっとできることがあると感じているが、それがなんなのかをうまく言葉にできない。
『ふたりの共通点は、自分は他人とは違うひとりの個人だと知っているところにある。』p100
この社会では、幸せの形が決められている。仕事をし、余暇には触感映画を観たり、スポーツをしたり、セックスをしたり、時にはソーマを服用して、そうやって幸せを感じている。その範囲を越えた生き方や、自分自身の幸せを探求することはできない。
ヘルムホルツはジョンの口から語られるシェイクスピアの物語に惹かれていくが、条件付けによって『ロミオとジュリエット』のような恋愛悲劇を笑ってしまう。苦悩や悲しみ、愛といった複雑な感情は、この社会では取り除かれるべきものだからだ。
社会の中に不満や苦悩、愛、悲しみなどの感情を経験する機会が人々から奪われているために、それを表現する言葉もまた、貧しくなっている。ヘルムホルツは、シェイクスピアを通じて、自分が生きる社会にはない感情や表現の可能性に触れていく。
そして、苦悩や死、不安といった、自分では制御しきれないものに向き合う機会が失われることで、神を必要とする理由もまた失われていく。ムスタファ・モンドは、神は「不在という形で現れる」と語っている。
これは、神がいなくなったのではなく、神を必要としない社会がつくられたということなのかもしれない。人々から不安や不満を取り除き、幸福を実現した社会。その幸福の中では、神さえも「不在」という形でしか現れることができない。
バーナードやヘルムホルツ、ジョンのように、社会との不一致を感じる人々にとっては、ディストピアとしての側面が大きい。一方で、大多数の人々は、与えられた生活に満足している。彼らにとって、この社会はユートピアなのだろう。
では、幸福であることと、自由であることは同じなのだろうか。自分の幸福を疑う必要がなく、別の幸福を想像することもない社会。これは「最大多数の最大幸福」を実現した社会なのか。それとも幸福の形を選ぶ自由が失われた社会なのか。
Posted by ブクログ
かなり面白かった。新世界住みたい。
「幸福か自由か」という点だけでなく、「人間にとって、苦痛を生みうる複雑さそのものに価値があるのか」というところも考えさせられて楽しいですね。
新世界は、苦痛を減らし、欲望や価値観まであらかじめ条件づけ、本人がそれに疑問を持たないように作られている。ここまで露骨じゃないにしても、階級社会も条件づけも現実にあるものだし、それなら外的環境まで一貫して整えて、ソーマまでくれる新世界の方がよほど親切。
下層階級も適切に管理され、管理されていることに疑問もなく、自分の役割を好んでいるなら十分幸せそう。「問いを持たなくていい・意味を探さなくていい・役割を外から与えられる」という状態にはかなり惹かれる。
特に面白かったのは、ジョンの感情がどこまでジョン自身のものなのか、というところ。
ジョンはシェイクスピアの言葉によって自分の感情を理解している。言葉はすでにある感情を説明するだけではなく、その感情を形づくり、増幅する。その言葉を知らなければ、その感情を同じ形では知らなかったのではないか。
これは新世界の条件づけともそれほど遠くない。新世界の住民は睡眠学習によって価値観を与えられ、ジョンはシェイクスピアによって感情や価値観を与えられている。どこまでが本人の意思なのか、そもそも外的なものから影響されない「本人の意思」などあるのか。
文学は言葉を増やし、感情に名前を与え、苦痛や満たされない欲望に意味まで与えてしまう。ジョンなんて可哀想に、題材がシェイクスピアだったもんだから、女性は純潔、さもなくば娼婦の二択になってしまうし、自分の中に芽生えた小さな感情を、巨大な悲劇サイズで解釈してしまう。
思うに、シェイクスピアだけだったのが良くない。ジョンに渡すもの選べるなら、ジェイン・オースティンあたりから初めて、チェーホフを与えて、ドン・キホーテとか投与しつつ、仏教説話とか混ぜとけばどうかな、と思う。
まあとにかく、ストロベリーアイスクリームソーマを飲み、触感映画を観て暮らしたい。それに尽きる。
Posted by ブクログ
今ある価値観は全て、社会や周囲から与えられた「条件づけ」なのかもしれない
もしかしたら、人は顔や性格が少し違うだけで、それぞれにちょうどいい餌を与えられて、日本や社会、世界という大きな仕組みの中で上手に飼われているとしたらその制度を考えた人がすごい
一方で、今の自分の生活は、自由と管理の「良いとこ取り」をした結果なのかもしれないと考えると、今の生活を以前より肯定的に捉えられる気がする
そして読み終えてから、この本を昔にも読んでいたことに気づき、とても驚いた
プラトンは「魂は生まれる前に真理を知っており、学習とはそれを思い出すことである(想起説)」と語っていた。読み終えた瞬間、「ああ、そういうことか」と思った(たぶん全然違う)