〈本から〉
頂上は、はるかに遠く、雲の上にそびえている。本当に登れるんだろうか? 見ているとそう思う。信じられない気持ちで歩き始める。
右一歩、左一歩、右一歩、左一歩。このくりかえしで、確実に頂上は近づく。やればやっただけのことはある。そんな気持ちで歩く。(略)。
現場に行く。現場で自分の目で
...続きを読む見る。そのとき「ぼくになにかできることはないか」と発想する。現場に行く前は、そこがどんなところで、なにが起こってるのか調べる。でも実際に現場で見るものは、調べた知識とは少し違う。調べた知識は「平ら」。でも現場で見るものは「立体」だ。現場に行くと、平らな知識がモコモコふくらんでくる感じがする。においもするし、生なましい。
(略)
行動にうつすとき、僕は「やる」と宣言する。自分にできることだと思っても、やる前にやり方を考えたり調べたりしているとだんだんできないのではないかと思えてしまう。そうなる前に「やる」という。やるといったのにやらないと、人に信用されなくなる。だから、やる。自分で自分のにげ道をなくすのだ。
ぼくはいままで、自分が正しいと思うことは、みんなも正しいと思う、そう考えていた。でもその考えはまちがっていたのかもしれない。富士山にかかわる人は・・・(略)。
人は、立場が変われば、ものごとのとらえ方もかわる。正義とは、人それぞれなのかもしれない。そんなふうに考えることができた。これらからもぼくが、自分にできることをしようとしたとき、きっと批判する人がいるだろう。でも、それは当たり前のことでもあるのだ。
ぼくは山から離れたことで、山から離れるべきでない自分に気づけた。つまり自分を大切にする方法に気づけた。自分を大切にできなければ、まわりの人も大切にできない。社会や環境のことも大切にできるわけがないと思う。自分をよい状態にしておくこと、自分自身がまず生き生きする。それが大事なんだ。