「『奇想の系譜』辻惟雄/筑摩書房」を読んだとき、奇想の画家と定義される6人の作品やそれぞれが生きた歴史のことを読みながら、作品の多くが破損し火災で焼け失われてしまっていることをとても残念に思った。
本流と言われる流派から外れ、その生涯も作品も不明に近い人もいるという。寺などに身を寄せて描いたものはどうなったのだろう。
この春、興福寺国宝館の仏像の前で、ガラスの中に収まっているかもしれない国宝級の絵や彫刻。今はもう会えない多くの寺の宝物を思った、明治維新の仏教抹殺、廃仏毀釈の大波で薪になったりしたことを思い出した。
明治維新という波はなぜ寺を焼き滅ぼし、新政府の急進的な改革の的を仏教に絞って多くの寺を跡形もなく消し去ったのだろうか。
そんな、消えた絵画を惜しむ気持ちからふと手に取ったこの本で、明治維新に足を踏み入れてしまった。
王政復古を旗印にした明治政府は、祭政一致という神道国家を建てること、文明開化、富国強兵というスローガンで、幕藩体制を解体し古代から続く神国の伝統を受け継ぐ国を作り上げようとした。
早速、神仏分離令を発布した。しかし思惑は横道にそれて拡大した。寺の伽藍の破壊、具物、本尊をはじめ信仰の対象となったすべてが、急進思想の拡大解釈で廃仏毀釈の波は怒涛のように寺をつぶして荒れた。
長い歴史は神仏混淆、念仏あり、お祓いあり、雨乞いの御祈祷あり、神と仏は共存してきた。天皇が出家するのも珍しくないおおらかな宗教風土だった。
しかし体制の刷新は、身分制度などの縛りの上で生きている人々、救いの信仰をよりどころに生きている弱い人々にとって、目新しい国で、神仏を分離するという、前代未聞の政策は庶民にとって鬱積した生活苦のはけ口になったのかもしれない。
神仏分離令を拡大解釈した破壊の火の手は比叡山の麓、吉田神社から上がったという。僧侶が神官の上に立って何かと小競り合いもあり虐げられていた。そこに神仏分離令を旗印に、寺を襲い破壊した。神社内にある寺ゆかりの物にまでその行為が広がった。
それが火種になって全国隅々にまで広がっていった。
集団心理による暴徒の勢いの前で明治政府は困った、寺の物を壊す前には伺いをたてよ。と政令で言ってみた。
しかし積み重なった恨みは深く、収まるのに数年かかった(明治7年ごろまで)
政府は飴と鞭でそろそろと対処した(ここまで来てしまったら強権で抑えられなくなってしまったのだろう)早期短慮、庶民生活に配慮が足りなかった。
僧侶には肉食妻帯を許した。ばたばたとした案だがこれが僧侶に対する規制緩和措置だった。結果僧侶の堕落のために仏教の力は衰えてきた。一口に破壊行為がうっ憤のはけ口だったとは言えない。
檀家を抱え信仰代ともいえる収入を得て、寺や僧侶の暮らしが肥太したこともある。
こうして寺を離れ生活の糧となる寺領を与えられ還俗する僧侶も多かった。
一応維新の目的は果たされた。
ただ、何時の時代でも、体制は器づくりから始まる。
明治維新の目指す神道国家は、進歩的な法治国家に向かう一本道だったかもしれない。理想を掲げ海外に出て、初めて目を向けた外の国は輝いて見えたかもしれない。
そうした急進的な国造りがここから始まった、しかし現実は足元を見ないことで、器からあふれた国民の心情、暮らしはついていかなかった。
新しい器が国民の実情を全て汲み取ることはできないと、心ある人は理解している。時代はそうして勢いがあるものによって作られ続いてきた。
土俗的な信仰をもって地道に暮らしていくことは、基礎教育で良しとするような改革でもまだまだ積み残しが多い、それが弱さになり近年まで、心情的身分制度は改善されていない。生活格差は広がってきた。
明治維新という光は、廃仏毀釈、祭政一致を照らすつもりが。8世紀に渡来し、内紛の末に花開いた仏教文化や寺院見る影もなく捨ててしまった。
古代史の幕開けと共に仏教は仏典と仏像で一気に根を下ろした。富める者も貧しいものも形あるものを信じた。
だがそれを書き換えようとして大きな禍根を残した。
日本人の神は素敵だ。
国学者たちの、今残る名前では本居宣長は儒学を深めた。それは生活の中に浸透していった。
すべてのものに神が宿る、自然とともにある暮らしは人々の心の底にあるアニミズムが恵みを与え時には荒れることがあったとしても大いなる自然に対し敬虔な信仰は古代から深く根を下ろしている。
神々、生きて関わる全ての八百万の神にたいする信仰心も当然暮らしに根付いてきた。
一方、人由来の仏教が言葉(経典)を持ち、姿を見せ(具現化された絵画彫刻)今も私たちはその心に癒されてもいる。
しかし廃仏毀釈の火種は長くくすぶっていて、各地の寺は無くなっていった、薩摩では寺院僧侶が0になったそうだ。
また尊王思想の強いところでは寺の破壊が激しく再建されないままである。
多くの破壊されたものを偶像にしたのはこうした政治に後押しされ心を見捨てた結果神が残り、維新に利用された。為政者は利用するという感覚はなかったとしても。
今、静かに仏像を仰ぎ見ると、長い歴史の波を潜り抜けてきた美しい心の歴史を見ることができる。
仏教抹殺・廃仏毀釈は暴力的なプロパガンダで一時心を失ったともいえる。
お盆の風習が残っている、墓地で手を合わせていると、何を信仰するということがなくても、季節の巡りを実感し、自然の中で生きていることを感じ亡くなった人たちを偲ぶことができる。
悪法は目に見えないところでささやかれ力のあるところで実行されている。
自然に目を凝らし、いつに時代もどんな時も静かに心の声に耳けるようにしたい。
不意に襲われる災害、ウイルス感染、庶民は息をひそめ待つばかりでなく多くの声が届く政治が歴史を作っていくことを、一人一人が振り返るのではなく今、現在どうするかを考えるときだろう。
渡来人が、仏教を命がけで持ってきた。意図は別にしても今でも心の支えにしている、人の一生は短い。古代と名付けても歴史は浅い。
向き合えば支えになるだろう仏教やそして巷にあふれる新興の神々は壊されても起き上がる力が信仰の自由を産んだ。
短い命の舟に乗って生きなくてはならない人間は、その儚さゆえに根も葉もないものに憑りつかる。
浅いエリート意識がひとを連れて行くことも、手の出しようがない妨害にも、どうにかできるという狂騒に巻き込まれることもある。そうして時代は進化してきた。
寺の屏風や襖絵など、生活のために描いたものも多くあったに違いない
今の三倍の国宝・重文が失われてきたそうだ。
そしてその思想はいまだに政策に打ち克ってはいない。無くしたものは命だけでなく、もう戻らないことを予知できない、大衆が歴史を作っていることに気づかない。
美術品は風雪に耐え語り掛けてくる。
取り返しのつかないものがあることに気がつくことが生きているということかもしれないと。