今の山村の風景や日常の暮らしから、昼間の往時の暮らしを想像するのは難くない。
秋祭りや地域の念仏など柳田的な行事は今でも形を変えて存在している。
しかし、夜の暮らしがどうであったのかまでは想像できない。
そのため興味を持って読み始めた。
読み終わって脳裏をよぎったのは、太宰治の「人間失格」。
あれ
...続きを読むって確か主人が2階にいるにもかかわらず、階下で女性が不義を働いたシーンがあったよなと。
その時に違和感があった。女性は激しい抵抗をした描写もなく、太宰に通報した友人も面白そうにしているのだから。
つまり太宰ひとりが深刻に捉えるのとは対照に、周囲はとてもあっけらかんとしていたのだ。
もし、私の理解が正しければこの不義を不義と感じているのは、太宰と現在の価値観を通してしか物事を見ることのできない私たちだけであり、女性と友人と夜這いの男は不義と思っていなかったことになる。
そしてこのシーンを理解するには本書を読む必要があるのではと思った次第。太宰とその時代のかみ合わなさを改めて感じる。
また、網野善彦が民俗的観点からみた歴史における転換点を室町期と戦後のある時期までとに捉えていたが、夜這いの風習もこの転換点に大きく連動していたのかと推測できる。