「3Dプリンタの想像力」と副題にある通り、本書は、3Dプリンタに
象徴される新しいものづくりのツール(デジタル・ファブリケータ
と総称されます)が、どのような可能性を持つのかを考察するもの
です。
著者の田中さんの活躍もあり、昨今、何かと話題になるデジタル・
ファブリケータですが、その本当の意味は
...続きを読む必ずしも理解されていま
せん。かく言う井上も、本書を読むまで、正直、「よくわからない
もの」でした。しかし、本書により、デジタル・ファブリケータが
持つ社会的意義や人間の精神に与え得る影響について、ようやく理
解できたように思います。
デジタル・ファブリケータにより、一体、何が可能になるのか。大
きいのは、デジタルな情報と物質とが融合することでしょう。イン
ターネットを通じて、デジタルなデータを送ると、受信側は、それ
を物質として受け取ることができるようになる。つまり、情報を送
るだけのファックスやメールに対し、3Dプリンタや3Dスキャナがあ
れば、ネットを介して、物質の送受信ができるようになるのです。
これは、SFの世界で言うところの物質転送(トランスポーテーショ
ン)が、実質的に実現できる世界になったということを意味します。
そのことに興奮する人もいれば、いや、そんな世界は別にいらない、
という人もいるでしょう。しかし、求めようが求めまいが、今後、
デジタル(情報)とフィジカル(物質)は、確実に融合していきま
す。であるならば、それを前提に社会を構想し、生き方を考えるべ
きではないでしょうか。
デジタルとフィジカルが融合すると何が変わるのか。そこにどんな
可能性があり、チャンスがあり、危険があるのか。それを考え、形
にしていくのが、21世紀を生きる私達の使命と考えますが、一つだ
け言えるのは、今後、間違いなく、フィジカル(物質や身体)の重
要性が増す、ということだと思います。
何故か。情報が物質を身にまとうことで、情報は、「可視化」を超え、
「可触化」され「具現化」されるようになるからです。見るだけ、
知るだけだった情報が、形になり、実際に触れることができるよう
になるのです。モノを複製することも容易になるので、「モノ」と
「生き物」との境も曖昧になっていくはずです。それは、物質や身
体や生命に対する私達の見方を根本的に変えていくことでしょう。
デジタル社会の先にあるフィジタル社会(デジタルとフィジカルが
融合した社会)において、私達はどんな人生を送るようになるのか。
そして、日本のお家芸だったものづくりはどう変わるのか。
そんなことを考えさせてくれる好著です。是非、読んでみて下さい。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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画面の上の「文字情報(デジタルデータ)」のみをやりとりする現
在の情報社会を超えた、「物質データ」をもやりとりするネットワ
ーク社会の次のフェーズが、いま目前に迫っているのです。
インターネットによって生まれた人と人とのつながりを、ものをつ
くる行為へと結集すること。それを通じて、空想と現実の距離や関
係を変え、両者をつなげていくこと。
こうした社会の新しい動きに気がつき、これこそをライフワークに
しようと決めたとき、この運動を「ソーシャル・ファブリケーショ
ン(FAB)」と名付けようと思いました。「ソーシャル・ファブ」
も頭文字をとれば「SF」になります。
空想と現実は対立でも平行でもなく、どこかでは絶妙に接している
ものです。そして21世紀の「SF」は、フィクションを描くだけでは
なく、それを社会的に実現していく過程(=ファブリケーション)
までを含んでいるのです。
「(人が何もしなくても)自動的に何かが進む」というのはどちら
かといえば古い技術観だと私は考えています。現代的な技術観では、
むしろ「自発的な人々が社会的に連携することで」進行していくプ
ロセスに意味があると考えられるのです。そして、これを支えてい
るのがグローバルなインターネット環境です。
現在の、コミュニケーション重視の「ソーシャル・ネットワーク
(SNS)」を、空想を実現する「ソーシャル・ファブリケーション」
の濃密なプロジェクトへと展開するために、最も必要なのは、物語
や必然性といった強い推進力に他なりません。
デジタル革命1.0は、半導体とパーソナル・コンピュータによる「計
算」
デジタル革命2.0は、携帯とインターネットによる「通信」
デジタル革命3.0は、新材料とパーソナル・ファブリケータによる
「製造」
情報から物質への変換装置。それが私の「3Dプリンタ」観です。
これからの技術のポイントは、「デジタル化一辺倒」について是非
を議論することではなく、「デジタル化」と「フィジカル化」の双
方向を自由に実現する技術を開発することではないか、と思うので
す。
3Dプリンタは、私たちに「何をつくりたいのか」を問いかけてくる
のです。
「言葉」で記述された知識と、「もののかたち」の知識、その二つ
が完全に分断されてしまっていた社会もまた「過去」のものではな
いでしょうか。
「パーソナル・ファブリケーション」において本当に大切なのは、
自分自身でやってみること、すなわち「パーソナルなトライアル」
に他ならないのです。FABはそのための環境です。
技術のブラックボックス化によって私たちが得た便益は、「知識が
なくても高度な製品を使える」ことでしたが、いままさにこの弊害
こそが社会を封じ込めています。知識がないがゆえに、製品を本当
の意味で理解し使用し、修理し、改造し、好奇心を持って維持して
いくことができないのです。人間は果たして、仕組みのわからない
ものを本当の意味で愛着を持って大切に扱うことができるのでしょ
うか。
生活者が、ものとものとの隙間を埋めていくことを支援するのが家
庭用の3Dプリンタの重要な役割ではないかと思います。
ファブリケーションが回復してくれるものは、何よりも「日常のも
のづくり」なのです。
ファブリケーションの究極はきっと、「もの」そのものが、「いき
もの」のようなさまざまな表現力を伴って、私たちに語りかけてく
るような世界なのです。フィジタルな世界とはすなわち、さまざま
な物質に編集を加え、人間が介入できる余地が拡大する状況です。
ものをプログラミングできる世界なのです。
FABとは、物質世界を再編集するプロジェクトなのです。
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●[2]編集後記
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子どもが生まれてから気づかされたことの一つが、つくることの楽
しさでした。子どもと一緒に絵を描いたり、工作をしたり。子ども
はつくることが好きですね。つくることを通じて、世界を認識していくのだと思い
ます。そして、子どもの喜ぶ顔がみたくて、一緒につくっているうち、ああ、つく
るのって楽しかったんだなあと、大人の側も思いだす。
一体、いつからつくることの楽しさを忘れてしまったのでしょう。
昔の人は、何でもつくって済ましてましたから、つくることの喜びも感じる機会
が多かったのではないでしょうか。それが、買って済ますようになると、だんだ
んそういう機会も減ってくる。つくることが日常でなくなった社会。それが今の
日本なんだと思います。
今回ご紹介する本を読んでいて、3Dプリンタを娘と一緒に経験してみたくなり
ました。娘達が大人になる頃には、デジタル・ファブリケータは、昔のミシンの
ように、一家に一台になっているかもしれません。そうなれば、つくることが日
常になります。百円ショップで買ってくる代わりに、つくって済ますことが当た
り前になるかもしれない。そういう社会、楽しそうですよね。