日本海軍が誇った江田島海軍兵学校
かって、若者たちが東大以上にあこがれた学校とある。
戦時中の空襲の対象からも外され、戦後に諸方面で活躍をされた人材を生み出した学校を、最後の卒業生が振り返る。
・士官である前にまず紳士であれ
・義務を全うすること、それをイギリスでは、ノブレス・オブリージュといい、
...続きを読む日本の武士道にも通じる。
・外国人と接する機会の多い海軍将校は、国際的な視野を持つと同時に、エチケットやマナーの面でもスマートでなければならない。
・一般社会から好感と尊敬をもって迎えられる良識ある行動とれというのが海軍の規範でもあった。
・五分前の待機 「五分前」ルールの徹底
・シーマンシップという海軍堅気を養うための躾を、「訓育」といい、3S精神という
・Smart , Steady , Slient キビキビとして手際がいいこと、着実であること、発令者以外は静粛にすべきことである。
・海軍兵学校の校長であった井上は、教育上あまり意味のない慣行を廃止し、自由であおらかな空気を吹き込もうとした。
・教育方針は、「覚える」より、「考える」を重視。八分は生徒に考えさせ、二分だけを説明する。
・語学センスを重要視し、「自国の言葉しか話せない海軍士官など、世界中どこにいっても通用しない。」
・外国語を日本語に置き換えて考えるのではなく、その言葉で考えなければならない。そのために、全生徒に英英辞典を貸与した
・日露戦争の参謀、秋山の薫陶。「戦争というものは、大国的な戦略、局部的な戦術、それらを確実に行うための事務的専務の3つからなる」
・秋山は、兵棋演習という、シミュレーションゲームもアメリカから持ち込んだ。
・まず自分ができなければ、部下にも教えることができない。部下の仕事を知ることは重要である。
・士官のマナー集「礼法集成」、たとえば他人に不快の感を起こさないように慎みなさい。これが海軍は陸軍より行儀がよいといわれたゆえん。
福地大佐の「百題短話」という心得もあった。アイデアや意見が思い浮かんだら、わすれないうちに要点を書きとめること。人前で部下を叱らないこと。等
・海軍兵学校の教育理念は、徳育、知育、体育の三つにバランスをとれた人間を育成すること。
・リーダに必要な四つの条件
①将来、多数の部下を指導することになる責務を自覚し、栄辱、利害を超越して修練に全力をつくすこと
②苛烈な戦闘に備えて平素から心と体を鍛え、剛健な性格の陶冶に努めること
③あらゆる科目を好き嫌いなく修得し、実力の蓄積に最善の努力をすること
④礼節を重んじた立ち居ふるまい、端正にして活発で規律ある容疑の習慣を養うとともに、気品を尊び、下品な行いを戒め、洗練された風格品性の陶冶に努めること
・真の勇者とは、命しらずの無鉄砲な者でもなければ、声高に自己主張するものでもない。いかなる困難に遭遇しても、毅然として、自分の任務からはみだすことなく、これをまっとうしようとする者である。
・五省も江田島でした。
①至誠に悖るなかりしか(不誠実な言動はなかったか)
②言行に恥づるなかりしか(言行に恥ずべき点はなかったか)
③気力に缺くるなかりしか(気力にかけるところはなかったか)
④努力に憾みなかりしか(悔いを残さないよう、あきらめずに努力をしたか)
⑤不精に亘るなかりしか(不精をせずに最後までものごとに取り組んだか)
・三ぼれ主義
①仕事にほれろ
②任地にほれろ
③女房にほれろ
・オイアクマ
①おこるな
②いばるな
③あせるな
④くさるな
⑤まけるな
ただ最後に、日本人というのは、あれだけ負けたのに記録をとらなかったこと(反省しなかったこと)を残念に書いています
目次は以下です。
はじめに
序章 最後の生徒
第一章 海軍教育の真髄
第二章 日本海軍と兵学校の歩み
第三章 士官である前に紳士たれ
第四章 江田島の極意
第五章 失敗から何を学ぶか
第六章 特別対談 半藤一利×徳川宗英 教育の根本は江田島にあり