配信予定・最新刊

作品一覧

  • 私のいない高校

    私のいない高校

    小説・文芸

    3.5
    1巻1,672円 (税込)
    鬼才が放つあまりにも前衛すぎる学園小説。カナダからの留学生を受け入れた、とある高校での数ヶ月の出来事――。普通すぎるのに普通じゃない、物語という概念を徹底的に排除した、「主人公のいない小説」 (講談社文庫)
  • 学校の近くの家

    学校の近くの家

    小説・文芸

    3.0
    1巻1,408円 (税込)
    先生たちのキャラクター。男子と女子の攻防。隣の学区への小さな旅。PTAと子ども会。行事をめぐる一喜一憂。父との微妙な距離感。連続誘拐殺人事件の影。深まる母の謎――。小学生自身の視点で克明に立ち上がる、ノスタルジーも無垢も消失した、驚くべき世界像! 三島賞作家による、スーパーリアルな「小学生小説」。
  • 青木淳悟初期作品コレクション
    NEW

    青木淳悟初期作品コレクション

    小説・文芸

    -
    1巻3,190円 (税込)
    デビュー作刊行から20年、入手困難が続いていた『四十日と四十夜のメルヘン』ほか初期の傑作群を収める決定版の作品集。 「四十日と四十夜のメルヘン」はたとえば私にも、ほかの読者にも、まだ見たことのないような小説を書きたいと動かす力を持つ、書かれて20年経ったいまだに見たことのない小説なのである。250枚に満たない「四十日―」はまるで何千頁もの大長編に匹敵するスケールを持っているし、そのスケールのままこの枚数であることの面白さも詰まっている。――町屋良平(小説家) 「バイト帰りの電車で読み始めたが最後、そのまま終えることができなくなり、布団の上に正座して朝まで読み耽ることになりました。ヤバいものを読まされてしまった。徹夜など滅多にしないのに、化け物に心臓を取られたような興奮と睡眠不足で手の震えが止まらなくなっていました」(伊藤亜紗さん/解説より) 「なんなんだこれはと思いながら、それでも私らがなぜか読めてしまっているとき、青木も私らも含めた人々はみな、見たことのない「わたし」に、それが依拠するフィクショナルな資料(としてのまさにこの「小説」)に、疑いようのない実在感とともに遭遇している」(山本浩貴さん/解説より) 【目次】 四十日と四十夜のメルヘン 四十日と四十夜のメルヘン クレーターのほとりで いい子は家で いい子は家で ふるさと以外のことは知らない 市街地の家 このあいだ東京でね さようなら、またいつか このあいだ東京でね TOKYO SMART DRIVER 障壁 夜の目撃談 ワンス・アポン・ア・タイム 日付の数だけ言葉が 東京か、埼玉──家と創作ノートと注釈── 私のいない高校 私のいない高校 解説 私の止まり木 伊藤亜紗 日記と小説に挟まった資料(materials) 山本浩貴(いぬのせなか座) あとがき(今回のメルヘン修正について) 【著者】 青木淳悟 1979 年埼玉生。2003 年「四十日と四十夜のメルヘン」で新潮新人賞を受賞。2005 年、同作と「クレーターのほとりで」を収めた『四十日と四十夜のメルヘン』で野間文芸新人賞を受賞。2012 年『私のいない高校』で三島由紀夫賞受賞。著書に『男一代之改革』、『学校の近くの家』、電子書籍『激越!! プロ野球県聞録』などがある。
  • 激越!! プロ野球県聞録

    激越!! プロ野球県聞録

    小説・文芸

    -
    1巻1,760円 (税込)
    そこが道かと思えば道ではない。ただならぬ事態にようやく気がつく。どこで道を踏み外したのだったか、路上は路上でも鉄道線路上なのだ。東京都内某所、高架線。しかも自分はあるプロ野球チームのユニフォームを着てそこにいる。もちろん追われる身なのである。だから逃げる、だから走る。そう簡単にアウトにされてたまるものか――。(本文第3章より)。純文学×プロ野球×都道府県!? かつてそこにあった危機「球界再編問題」の、数々の名場面と派生的諸問題及び周辺的事件の裏に潜む真実とは――。激越せよ、激越せよと呼ぶ声あり。それはいつ果てるともない、終わりなき旅の記録なのだ。
  • プロ野Qさつじん事件(書き下ろしすぴんおふ短編4編収録)

    プロ野Qさつじん事件(書き下ろしすぴんおふ短編4編収録)

    小説・文芸

    -
    1巻1,650円 (税込)
    昭和が幕を閉じようとしている1988年12月、とあるファミコンゲームが発売された。殺人とニセ札事件の濡れ衣を着せられた主人公が、警察に追われながら自ら犯人捜査に乗り出し、球場のある7つの都市を駆け巡るロールプレイング&アドベンチャーゲーム。その名も『プロ野球?殺人事件!』。登場人物は総勢50人以上、架空のプロ野球界を題材としていた。小学生時代、何度となく行き詰まり、本当にトラウマになりかねないほどショックを受けたプレイ経験を持つ三島由紀夫賞受賞作家が、プロ野球界隈の話題や昭和末期の世相を交えて描く昭和プロ野球ゲーム小説集。伝説のゲームに捧げるオマージュ。
  • 匿名芸術家

    匿名芸術家

    小説・文芸

    -
    1巻1,760円 (税込)
    大学の芸術学部で学ぶ作家志望の「私」と、二歳年下の画家志望の「彼」。書く訓練として「私」が何年も続けた「MH式カード」、二人が住む杉並界隈の風景、印象派の画家たちの群像……。創作をめぐる諸断片とともに織り上げられていく、夢を追う若者たちの名もなき時代……。自らの作家になるまでの日々を批評的に描いた、批評的半自叙伝。

ユーザーレビュー

  • 私のいない高校

    Posted by ブクログ

    読んでるうちはそうでもないのだが、読み終わってからぐわわわ〜と来る・・・すごい小説。
    海外からの留学生を受け入れた高校の、2年菊組の1学期が淡々と語られる。他の方が書いている通り、先生が主人公っぽいけどピントがズレていて明確な主人公が不在のまま物語が進んで行く。特別な事件が起きる訳でもなく、大どんでん返しがある訳でもない。悪く言えば「退屈でよく分からなかった」しかし私としては「これこそ高校生活」と思った。現実の高校生活に主人公はいない(強いて言うなら自分だけど・・・)、そして事件も起きない(私の高校生活の一大事件など卓球部の短パンが盗まれたくらいである)マンネリで退屈で『よく分からない〜』が本当の高校生活なわけで・・・。
    そしてこの物語、特に感情移入できるキャラクターが出てくる訳ではないのに、どんどん引き込まれてしまうのである。「生徒総会あったな〜アイスの自販機を置こうて議論したな〜」とか「修学旅行あったな〜9.11のテロが起きてロンドンとパリから急遽長崎になったよね〜」といった事柄から、自分が高校生の時に感じていた事、どんな大学に行くとか、どんな仕事をしたいとか、どんな女性になりたいか・・・なんて色々なものが光り輝いていた事か。いつの間にか、自分が2年菊組に仲間入りしていたような。そういう意味も含めて「私のいない高校」ってこと?
    この本は、学生が読んでも理解できないんじゃないかな。大人になってから、じっくりとしみいってくる趣がありますな。私は大好きです。

    0
    2014年03月25日
  • 私のいない高校

    Posted by ブクログ

    なんともおぞましい小説。“私”や“物語”の不在がおぞましいのではなく、それ以外の事象(≒出来事)があまりにも満ち足りており、それが定型句による記述のみで成立することに戦慄した。『私のいない高校』は“ページをめくる”という行為が内包している物語への期待や欲望を悉く裏切る。だからこそ、ページをめくる行為をやめられない。これがたとえばスマホでスクロールしながら読む形式だったら多くの人間が頓挫したであろう。
    二巡する意義のある小説。一巡目は奥付にぶちあたるまで、物語を期待し続ける。いわゆる小説が好きな人ほど、その呪縛から逃れられない。しかし、二巡目はそうはいかない。どんな景色が待っているのだろうか、今からワクワクしている。という期待すらも破壊されるのかもしれない。

    0
    2012年11月24日
  • 私のいない高校

    Posted by ブクログ

     第1回の三島由紀夫賞受賞作は高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』だ。これが面白く、以来、三島由紀夫賞受賞作が気になっている。『新潮7月号』で第25回の三島由紀夫賞受賞作が発表されており、早速、この受賞作を読んでみた。
     帯には「わからない愉しさ」「主人公のいない青春小説」、さらには、「これまで読んだ中で、もっとも不可解な小説」という豊崎由美氏の書評の引用もある。
     この作家の小説は初めて読む。読み進めるのが辛い。語り手という中心が無いことから来るものだと感じる。末尾で、実在する教務日誌に刺激を受け、これを改変・創作した作品であることが明かされている。学校内部の世界に忍び込んだ作家は、いつの間にか自分が消えていることに気付いたらしい。学校という空間は主体が消滅する場所である。集団に呑み込まれる恐怖を本能的に感じ取る感受性の強い生徒は、「私」を守るために不登校になる。哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』の中で、近代の権力構造をパノプティコン(一望監視装置)に注目して分析している。人間は、この装置の中で、絶えず見られているという視線を感じながら、やがて自分で自分を監視する者へと変質する。社会全体が監獄同様に、俯瞰する視線の張りめぐらされた空間となりつつある。監視カメラに馴れた私たちは、実は、すでに監獄の中にいるのではないのか。一望監視装置の偏在する社会の中で、「私」を取り戻すことはいかにして可能か。これが現代社会の課題なのかもしれない。(現在、問題となっている大津市の中学校でのいじめ事件も、こうした文脈の中で捉え直し、学校や教育委員会、警察、さらには社会そのものの中に、いじめを生む構造が内包されているのではないかと疑ってみる必要もありそうだ。)
     話を元に戻そう。私は、この小説を、ある種の「哲学小説」として読んだ。哲学にはどんな語り口があってもいいし、小説はどんな方法も許される。しかし、私には哲学的思考を表現するための方法として、小説という表現形式はいかにもまどろこしく感じられた。(もっとも、こんな風に、あれこれ考えさせられたのは、この小説を読んだからで、感謝はしているのだが・・・)

    0
    2012年07月13日
  • 私のいない高校

    Posted by ブクログ

    ストーリー皆無。人格不在。もちろん作者の「言いたいこと」など何ひとつ書かれてはいない。史上最も国語入試問題に不向きな小説の誕生。

    しかし何気ない描写がいちいち面白く、だがそこに物語的な面白さは一切ないと言い切れるのが凄い。描かれているのはただただ、「日本の高校にやってきた外国人留学生の日常」。それ以上でも以下でもない。さも山場っぽく修学旅行が描かれるが、そこには突然の告白も熱い友情もなければ「外国人から見たニッポン」といった類のいかにもな発見も別にない。

    その面白さの質は、まさに我々が日常生活(学生生活)の中で、自分だけにとって面白いと感じる個人的な感触に満ちている。それが極めて平坦に平板にそして意識的に、強弱も緩急も極力排したフラットな文体で淡々と描かれるのみ。修学旅行のラスト、担任教師が口にする「無事、家に辿り着くまでが――」の常套句に代表されるように、「いかにも」な言動と日常的シチュエーションの連続は、まったく小説を前に進めようとしない強い意志に貫かれている。ここまで「物語」という推進力のない小説は珍しい。通常、小説を読み進めるモチベーションとして当然存在すべき「続きが気になる」という感覚が、この作品からは微塵も感じられない。予感も予兆もない世界。正直、僕は中途で二度挫折し、三度目でようやく読み通せた。だがそれは「面白くないから」ではまったくなく、むしろ「この先もいま読んでいる箇所の面白さが永久に続くだろう」という作品への信頼感からくる妙な安心感ゆえだったような気がする。

    人が物語の先を急いで読みたがるのは、通常「この先もっと面白くなるはずだ」という期待を推進力にしている。だがそれは裏を返せば、「この先よりいま読んでいる箇所は面白くないはずだ」という確信に基づいているとも言える。そういう意味で、小説には普通面白い箇所とそうでもない箇所の「波」があるというか、むしろそれを前提として、振れ幅を効果的に利用すべく作られているものが多いが、本作にはその「波」というものがまったく存在せず、「凪」のまま最後まで平行移動する。だが「凪」の状態が充分に面白いのだから、それでなんの問題もないどころか、高いレベルをキープし続けるある種の理想型とも言えるわけで、全体を通してフラットなぶん精度のバラつきがない。結果として、底辺から頂点へと向かう上昇時に湧き上がる一時の興奮ではなく、虚空を漂う浮遊感が継続するタイプの小説になっている。もちろん「起承転結」などというものは知らぬ存ぜぬな顔をして。

    「平坦な日常の描写」という感触はいかにも日記に近いのだが、まったく関心の持てない、キャラクター性をあえて排した人物の日記を、人は普通面白く読めるものではない。だがこの小説に描かれた心底どうでもいい人たちの学園生活は、読者にとってどうでもいいままに面白い。どうでもいい人のどうでもいい話を聞いて興味を持つことは稀だが、たとえば時にファミレスの隣席で交わされている会話が想定外に「ある意味」面白いことがあるように、まったくないというわけではない。たとえば見るからにモテなそうな先輩とそれより少しはモテそうな後輩という男二人組がいるとして、最近フラれて落ち込んでいる後輩に先輩がドヤ顔で投げかける「大丈夫。女は星の数ほどいるさ」という台詞が持つ一周した面白さ。いやそんなシーンはこの作品にはもちろん出てこないのだが、そういう類の「あちゃー」と言いたくなるようなどうでもいいままに滑稽な台詞が、本作には不意にあちこち登場する。そしてそんな稀に遭遇する「なぜか面白い場面」が連続する世界があるとしたら、やはりそれはフィクションの中でしかあり得ないのかもしれず、この小説が描いているのはいかにも平凡な日常に見せかけて、実は日常のふりをした異常な世界だとも言える。

    本作の中心視点人物である担任教師(しかし主役とも語り手とも言えない)は、いかにも先生らしくすべての言動に意味を後づけしたがるが、それはむしろ徹底的に安っぽく、アイロニーとして描かれる。そもそも修学旅行というもの自体、教師側の目論見は文字通り「修学」であるにもかかわらず、多くの生徒にとってそれは第一に「遊び」なのであり、そこに「学び」があるかどうかは結果論にすぎない。そして読者の中にも、教師のように「有意義な何か=学び」を求める人と、生徒のように「面白い何か=遊び」を求める人がそれぞれいるはずで、それは教師や学生が「修学旅行」という言葉をどう捉えているかと同じように、「小説」という言葉をその人の中でどう定義しているかによるだろう。そしてこの小説は明確に、「遊び」を第一に求める後者に向けて放たれている。そこに学びがあるとすればそれは作者も意図せぬ何かであって、作者の意図した何かではあり得ない。

    ちなみに美しい装丁から感じられる「切なさ」の感覚は皆無であり、これもむしろ安易な感傷ばかりを求める昨今の小説に対する皮肉であると受け取れる。少なくとも、即物的な「感動」や「泣き」を求める向きにはまったくお勧めできない小説であることは間違いない。もちろん某かの「意味」や「明日へのメッセージ」、ましてや「生きるヒント」を欲しがるビジネスライクな横着者にはもっとお勧めできない。『金八先生』と『深イイ話』を交互に繰り返し観るべきだ。しかしそれ以外の、まだ見ぬモヤモヤとした面白さを求める勇者には強くお勧めする。

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    2012年04月27日
  • 私のいない高校

    Posted by ブクログ

    タイトル通り、「私」=主人公がいない高校生活を描いた興味深い小説。
    著者と世代が近いせいか、ところどころ懐かしさを共感出来る部分があった。
    淡々としていて面白かった。

    0
    2011年10月15日

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