青木淳悟のレビュー一覧
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読んでるうちはそうでもないのだが、読み終わってからぐわわわ〜と来る・・・すごい小説。
海外からの留学生を受け入れた高校の、2年菊組の1学期が淡々と語られる。他の方が書いている通り、先生が主人公っぽいけどピントがズレていて明確な主人公が不在のまま物語が進んで行く。特別な事件が起きる訳でもなく、大どんでん返しがある訳でもない。悪く言えば「退屈でよく分からなかった」しかし私としては「これこそ高校生活」と思った。現実の高校生活に主人公はいない(強いて言うなら自分だけど・・・)、そして事件も起きない(私の高校生活の一大事件など卓球部の短パンが盗まれたくらいである)マンネリで退屈で『よく分からない〜』が本 -
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なんともおぞましい小説。“私”や“物語”の不在がおぞましいのではなく、それ以外の事象(≒出来事)があまりにも満ち足りており、それが定型句による記述のみで成立することに戦慄した。『私のいない高校』は“ページをめくる”という行為が内包している物語への期待や欲望を悉く裏切る。だからこそ、ページをめくる行為をやめられない。これがたとえばスマホでスクロールしながら読む形式だったら多くの人間が頓挫したであろう。
二巡する意義のある小説。一巡目は奥付にぶちあたるまで、物語を期待し続ける。いわゆる小説が好きな人ほど、その呪縛から逃れられない。しかし、二巡目はそうはいかない。どんな景色が待っているのだろうか、今 -
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第1回の三島由紀夫賞受賞作は高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』だ。これが面白く、以来、三島由紀夫賞受賞作が気になっている。『新潮7月号』で第25回の三島由紀夫賞受賞作が発表されており、早速、この受賞作を読んでみた。
帯には「わからない愉しさ」「主人公のいない青春小説」、さらには、「これまで読んだ中で、もっとも不可解な小説」という豊崎由美氏の書評の引用もある。
この作家の小説は初めて読む。読み進めるのが辛い。語り手という中心が無いことから来るものだと感じる。末尾で、実在する教務日誌に刺激を受け、これを改変・創作した作品であることが明かされている。学校内部の世界に忍び込んだ作家は、いつの -
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ストーリー皆無。人格不在。もちろん作者の「言いたいこと」など何ひとつ書かれてはいない。史上最も国語入試問題に不向きな小説の誕生。
しかし何気ない描写がいちいち面白く、だがそこに物語的な面白さは一切ないと言い切れるのが凄い。描かれているのはただただ、「日本の高校にやってきた外国人留学生の日常」。それ以上でも以下でもない。さも山場っぽく修学旅行が描かれるが、そこには突然の告白も熱い友情もなければ「外国人から見たニッポン」といった類のいかにもな発見も別にない。
その面白さの質は、まさに我々が日常生活(学生生活)の中で、自分だけにとって面白いと感じる個人的な感触に満ちている。それが極めて平坦に平板 -
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青木淳悟はいつも実験的な小説を書くという印象がある。で、読み始めてしまってから、あれ何でこの本を読んでいるのだったかな、という疑問を抱くことになる。というのも、別に実験的な小説を読みたいと思う程に文学にハングリーな訳ではないからなのだが、その著者の名前の背表紙は何か自分の中にあるものを引き寄せるらしい。
青木淳悟の小説は事実を述べた文章をパーツのような組み上げる。このあいだ東京でね、も同じような文章群からなる本だった。そういう組み合わせから何かが立ち上がっているのかも知れないのだけれど、それを感知するには至らない。不可解なのである。この小説では「私」という人称で指示される人物が出てこない。そ -
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ええ、ほんとうに。
へんな小説。
なんかへん。…と思ったら、そう、主人公が見当たらない。語り手もいない?
何かに照準を当てるという感じも、あまりない。
出来事は起こるのだけれど、解決されたりこれといってされなかったり、発展するのかなと思うとしなかったり急に閉じたり。
そのくせ読み易いし、何かが気になるので、読んでしまう。
東京の高校にカナダから留学生がくるのだが、このナタリーは仏語圏のケベック州から来たので英語は苦手、ならば仏語かというとそうでもなく、彼女は実はブラジル系カナダ移民で、母語はポルトガル語と、まずはこの出だしの噛みあわなさ。
この彼女が何やら巻き起こすか、彼女を巡っての何かか -
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カナダ人留学生がクラスに来てからの学校の日々を、主人公もストーリーもなく淡々と記録するかのように書かれた、タイトルどおり「私」が不在の小説。ある学校の教員が書いた学級日誌的な話を、フィクションに書き換えて創作したもののようだ。
主語にクラスの担任を置く文が多いものの、その主語はほぼ終始「担任」という第三者的呼称で統一されている。担任視点の文があったかと思えば、隣接する文でその担任を第三者的視点で描写したりしていて、頻繁に視点が揺らぐ変わった文章になっている。
ストーリーの観点から言えば、俗にいう起承転結の「起」あるいは「承」までしか描写されていない印象を受けた。クラス内での紛失事件や、他校の校 -
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関節の外れたような捉えどころのない小説。いや、小説と読んでよいものかどうかさえ微妙である。実際の留学生受入体験記を下敷きに、フィクションとして改変を加えたと言うが、いったいどこをどう改変したのやら。
一応はクラスの担任の視点を中心に、三人称でひたすらディテールの積み重ねが語られていく。スジもなければヤマもなければオチもない。それらしきもの影さえ見当たらぬ。
強いて言えばなんだか不穏なものを読んでいるような気はしてくる。担任の粘着質的というか、ともすればストーカー的な行動のせいか。そういえばカメラが趣味の先生ってなんだか少しヤラシイ。でも、そんなの深読みだよという感じで何も起こらない。でも、 -
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三島賞受賞と聞き、手にした一冊。
淡々とした地味な作品だが、教諭の使命や責任がヒシヒシと伝わってくる。
タイトル通り「私」と云う人物が不在。
退屈と面白さが同居する変な作品だ。
同時に自らの高校生活を思い返してしまう。男女比4:1の鴉のような教室だったけど(苦笑)
登場する修学旅行先も広島・山口は同様だったので、実に生々しい!
学童から学生と呼ばれる身になっても、学校生活や団体、協調性がどうにも苦手な生徒であった私にとっては、実に厭な汗が流れる作品であった。
嗚呼、当時の教諭方、めんどっちい生徒で申し訳ないッ!
作品世界にのめり込むより、反省を促されてしまった。