笈川博一の作品一覧
「笈川博一」の「古代エジプト 失われた世界の解読」「物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「笈川博一」の「古代エジプト 失われた世界の解読」「物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
本書も、2025年1月1日~4日のエジプト旅行(カイロ・ルクソール)の副読本として、読んだ。
今回の旅行で、最も印象的であったのはルクソールにあるカルナック神殿、ルクソール神殿の巨大かつ精巧さである。
本書では、古代エジプトの歴史や文字、宗教や死生観について幅広く紹介しているが、すべてについてメモする時間もないので、筆者が推している?イクナトンについて記しておく。
イクナトンは、改名前はアメンホテプ4世と言うが、アメンホテプ3世の息子である。アメンホテプ3世は、それまでの好戦的な王たちによる拡大と収奪による巨万の富を持っていたとされる。そして、その富を惜しげもなく使い、世界一の都市として現在のルクソール、当時のテーベを作ったのもこの人物である。上述の通り、ルクソール神殿やカルナック神殿は驚愕するほどの大きさと荘厳さを持っており、アメンホテプ3世の治世の強大さを感じざるを得ない。ちなみに、メムノンの巨像とよばれるルクソールにある20メートル超の巨像も、アメンホテプ3世のものとして建てられたものである。アメンホテプ3世はその名にある通り、強大なアメン神とその神官団に支えられたいた。また、当日の古代エジプトの神は非常にアバウトであり、日本における八百万の神々のように、支配下となった住民たちの土着の神なども自らの神々のカタログに追加していくなど、比較的柔軟なものであった。そうした中で、アメンホテプ3世から引き継いだアメンホテプ4世は、古代エジプトの歴史上はじめて、一神教的世界観を持ち込んだ人物である。元々アメンホテプ3世の次男であり、王位を継承する予定がなかったために、テーベにおける人脈的基盤は弱かったことにも由来するが、アメンホテプ4世はこれまでのアメン神の路線から方向転換し、アトン神による一神教の世界観を作り上げた。その際に、アメンと入っているアメンホテプの名を捨て、イクナトンと名乗る。もちろんアメン神官団には多いに反対され、結果としてテルエル・アマルナへの遷都が行われる。イクナトンの妻は、有名なネフェルティティであり、彼女も遷都の際に存在感を表したとされる。イクナトンは文化や仕組みを大きく変えたが、政治的経験や権力基盤を持たないため、悉く政権は失敗を繰り返し、その後のイクナトンの姉妹の子であるツタンカトンの時代には、遷都も廃止し、またテーベに戻ることになる。そして、このツタンカトンこそ、最も保存状態がよく見つかり、黄金のマスクで世界で最も有名なツタンカーメンその人である。こうしてみるとわかりやすいが、ツタンカトンは名前にアトン神を含んでいるため、テーベへ再遷都し、アメン神の世界へ戻る際にアメンを含むツタンカーメンに改名している。もっとも、ツタンカーメンは幼くして王となり、死してミイラとなったことから、彼がどの程度の認識能力をもってテーベへもどり、政治機構を再構築したかは不明であるが、この辺りの登場人物や、宗教改革の側面は非常に面白かった。
また、古代エジプトの人々は、生前の世界と死後の世界をそれほと区別していなかったとされる。
多少は理想化されているものの、死後の世界も生前の世界と同じような世界として理解しており、死後も農業に依存した経済の中で、働いて生きていかなければならないとしている。そのため、人々が死後の世界でも生きていけるように、装飾品が多く存在した。なお、古代エジプトの人も、バアとカアという心身二元論的な発想をもっており、死後もバアとカアは死体に戻らないと、本当の意味で「死んで」しまうと考えられていた。そうした中で、死後の世界でも、戻れるミイラをや墓を作ったと考えられている。
最後に、ヒエログリフについても面白かった。ヒエログリフには表音文字と表意文字があり、表意文字は特定の部首のようなものが何かの概念を表す点で漢字と似ている。例えば、太陽、日、時間、昇る、1日を過ごすという意味のヒエログリフには、太陽を表す共通の表意文字が含まれている。なお、ヒエログリフの解読には、ナポレオンのエジプト遠征の際に帯同した学者たちによってはじめられ、進められていったが、読み解いたのは有名なシャンポリオンである。シャンポリオンはエジプトに現存するキリスト教系のコプト教が使うコプト文字の研究者であり、コプト文字が多いにヒントになったと言われる。
また、余談であるが、ヒエログリフは表音文字と、表意文字が混在しているが、実は日本語も同じく、表音文字である仮名と、表意文字である漢字が混在し、視覚と(仮想的な)聴覚で言語読解がなされている。マンガという絵と音が同時に出現する文化的素地は、この独特の言語慣習によるものではないかという声もあるが、ヨーロッパ系の言語においては、基本的にすべてアルファベットをはじめ表音文字のみである。アルファベットが単独で何かの意味を示すことはない。そうした中で、ナポレオンと帯同し、ヒエログリフの解読にあたった学者たちは多いに苦戦したとのことで、論点はやはりヒエログリフは表音文字なのか、表意文字なのかという二者択一であり、誰も混在している、一緒に文章が形成されているとは思わなかったのである。筆者は、このことから、日本人が初期の解読チームにいれば、もっと早く解読がなされたのではないかと言うが、これは面白い歴史の「if」だろう。
Posted by ブクログ
物語 エルサレムの歴史
旧約聖書以前からパレスチナ和平まで
著:笈川 博一
中公新書 2067
おもしろかった、中東は複雑すぎて、1つの都市の歴史を追うぐらいで分かりやすのかなと感じました。
エルサレムとは、宗教上の聖地であること以外では、たんなる地方都市にすぎない、農業が経済の基礎だった時代、ろくな水源もなく、山の上にあって本格的農業をする土壌にも貧しい
歴史上は、超大国である、ギリシア、エジプト、メソポタミア=バビロン=ペルシャが、パレスチナを通過するときの小さな拠点の1つにすぎない
旧約聖書とは、BC3世紀ごろまでのユダヤの歴史である
・モーセ5書=トーラー
・ダビデのカナン統一
・南北朝時代
・バビロニア捕囚
・捕囚からの帰還以後(BC3世紀ごろまで)
エルサレムは、BC4000年くらいから人が住んでいる痕跡があるが、世界最古の都市は、エルサレムの東で、死海の近くにある、エリコという都市である。エリコは、BC9000年にもさかのぼることができる
エルサレムが初めて歴史に現れるのは、エジプトで、侵攻を受けているので援軍を送ってほしいという、文書がのこっている。それが、ユダヤの者かどうかはわからない
出エジプト記は、旧約聖書に残っているが、エジプトの歴史には、ユダヤ民族の移動はのこっていない。60万人が移動すれば、当時としては大事件であったにもかかわらずだ。
ヨシュアに率いられたイスラエル人のカナン征服物語は大幅に誇張されているようだ。
ダビデが、エルサレムを首都にしたのは、カナン平原のちょうど真ん中にあったから
ユダヤの神は、すべて子音で、YHWHと称す、やがて神の固有名詞は、忘れ去られてしまった
バビロン捕囚まで安置されていた、契約の箱は中身の十戒の石板とともに行方不明になった。
ダビデの欠点は女色がすぎたこと、イスラエルの民はやがてくる、救世主は、ダビデの子孫であると思い込むようになっていく、そして、それは、ベツレヘムで生まれる必要があった
BC922、統一王国は、南北に分裂した
BC625、新バビロニア王国のネブカドネザルが大軍を率いて来襲した、運の悪いことに、イスラエルは、下り坂のエジプトの配下にはいってしまう
交通が発達していない古代において、領域を統治するにあたっては、委任をするか、その地域の支配層を捕囚して自国の首都に連れてきてしまえば叛乱はおきない。
バビロニア人は、カナン統治について選択したのは、後者であった、それをバビロン捕囚という
捕囚の対象になったイスラエル12部族のうち、10部族は、やがて、バビロニアの文化に同化していった
神殿を失ったイスラエル民族は、神に祈るというのは、持ち運びができる、携帯でできるようになった
BC539年ペルシアがバビロニアに勝利して、ユダヤ人を解放した、ペルシア王キュロスは、ユダヤ神殿の復興を赦す(第2神殿)とともに、ユダヤ人の帰還をゆるした
エズラ記、ネヘミヤ記はこのころのユダヤ民族を描いている
ヘロデが統治していたユダヤはその後叛乱を起こす、AD70年。ローマ軍は、これを焼き払ったとある、亡くなったのは、110万人
130年ハドリアヌス帝治世下に、ユダヤの大規模叛乱が起きた。58万人のユダヤ人が殺害されたが、ローマ軍の損害も大きかった
638年、ムハマンドが現れて、イスラム教が伝播していく
691年、ウマル朝がエルサレムを制圧して、ユダヤ神殿のあとに、モスクを立てる
1099年~1187年 十字軍がエルサレムを席巻、ビサンチンの影響も受ける
1187年 サラディンがペルシア軍を率いてエルサレムに入城、ユダヤ人は、捕囚から救ってくれたペルシア軍を歓迎し、キュロス王の再来と称えた
1516年 オスマントルコのセリム1世がエルサレムに無血入城
1799年 ナポレオンがエジプトからパレスチナを通過、そのきっかけで、エジプト王ムハマンド・アリが、エルサレムの近代化を始めた
1914~1918第一次世界大戦で、オスマントルコは、滅亡。中東は、3つの協定で分割翻弄されることになる
①マクマホン書簡
②バルフォア宣言
③サイクス・ピコ協定
1947~1967 英国が統治機能を失い、中東は混乱の中にほりこまれる
エルサレムは、ヨルダン王国に組み込まれる
1967年 イスラエル軍が、エルサレムを急襲、以後、現在まで、エルサレムは、イスラエルの統治下にある
目次
第1部 諸王国の興亡
1 BC1000年まで
2 BC1000年~BC925年まで ダビデ、ソロモンの統一王国時代
3 BC922年~BC720まで 南北朝時代
4 BC539~AD70まで 第2神殿
5 70年~614年まで ローマ、ビサンチン時代
6 614年~629年まで ササン朝ペルシアによる征服
第2部 イスラム興隆の中で
7 638年~1099年まで 第1次イスラム時代
8 1099年~1187年まで 十字軍時代
9 1187年~1516年 第2次イスラム時代
10 1516年~1917年まで オスマン・トルコ時代
11 1917年~1948年まで 英委任統治時代
第3部 イスラエル建国ののち
12 1947年~1967年まで ヨルダン王国時代
13 1987年~2010年まで イスラエル建国ののち
あとがき
ISBN:9784121020673
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:328ページ
定価:880円(本体)
発売日:2010年07月25日
聖書から現代まで
私には難しい内容で、理解は不十分ですが、エルサレムがややこしい土地であることはしっかりと感じました。
聖地であるが故に平和が難しい土地なんて、皮肉な感じですね。
「武力以外の方法でエルサレムに平和をもたらしたのは、一三世紀のフリードリッヒ二世一人だけだ。フリードリッヒ二世はこの和平に来世を賭けたのである。」
破門されても平和に賭けたフリードリッヒさんについても、もっと知りたいと思いました。
Posted by ブクログ
まさしく新書にうってつけのテーマですね。
エルサレムという一都市の歴史を神話時代から現代まで一気に綴っています。
ページ数も300と、読み応えがあります。
著者はイスラエルの大学に留学し、卒業後はそこで教鞭をとったほどのイスラエル通です。
エルサレムって知っているようで、全く知らないに等しいんじゃないでしょうか。
ガザ地区?ヨルダン川西岸?インティファーダ?ハマス?ファタハ?PLO?ゴラン高原?嘆きの壁?・・・・・
言葉では聞いているけれど、その実態を正確に説明できる人います?
自分が懐いた一番の疑問は、なんでエルサレムなの?です。
三大宗教の聖地なのは何となく分かるのですが、エルサレム自体は戦略的にも経済的にも要衝じゃないんじゃないか。
なのに、現在もその所有で血まみれの紛争を続けるのか。
単に聖地だからでは説明が付かないだろう・・・でした。
この本はそれらの疑問に明確に答えてくれます。
特に現代編は、著者の実体験と重なりますので、説得力があります。
宗教に興味のある方、歴史に興味のある方、政治に興味のある方、総ての人が読むべき良書です。
Posted by ブクログ
[その聖ゆえに]様々な宗教にとっての聖地であり、その都市の性格故に絶えず統治者が変転してきたエルサレム。一見しただけではわかりづらいこの都市の歴史を、時系列に沿って、旧約聖書の時代から現代に至るまでわかりやすく解説してくれた一冊です。著者は、ヘブライ大学で教鞭をとった経験を有する笈川博一。
その歴史を概説するにあたっては、詰め込まなければいけない要素が大変多い都市の1つだと思うのですが、ときにコラムや筆者の滞在経験を織り込みながらの魅力的な記述になっています。宗教面や政治面にとどまらず、地理的観点や社会的側面も加味した記述になっており、ともすればイメージだけが先行してしまうこの都市に関する見方がより深くなること間違いなしです。
本書の後半部分はイスラエルとパレスチナ間の紛争にも多くのページが割かれているため、右紛争に興味があるけど何から始めて調べれば良いかわからないという方にもオススメです。この紛争がエルサレムという都市にどのような影響を与えたかと同時に、都市の側がこの紛争にどのような特色を与えているかについても触れられており、ミクロからマクロからの多角的な視点が身につくと思います。
〜町全体を統一するハーモニーは存在しない。〜
本日17日、安倍総理もエルサレムに滞在する予定ですし☆5つ