小説・文芸 - 学術研究出版作品一覧
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-「愛」という抽象的な言葉の中に秘められた大切な心とは何か? イジメや戦争の無い本当の幸せな世界に近付く為には人類はどのような旅路を辿れば良いのか? この命題を河童伝説が有る「楽しく生まれる町→田主丸町」に生まれ育った主人公、美智子と正一が小学校卒業記念公演で演じたリア王劇を通じて得た「愛」の心と共に体験した淡い初恋の情を心に秘めて運命に翻弄されつつ波瀾万丈の人生を送る中で得た「解」;大切なのは「相手の幸せを願う心」を見出して行く。二人は別々の道を歩むが再会し、懐かしいリア王劇の回想の中で幸せに結ばれる。二人はこの「大切な愛の心」が世界の貧富の格差やイジメそして戦争の無い世界を切り開いて行くだろう事を信じ、永遠の祈りを捧げる。
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-台湾に生まれ、日本人と結婚し、那覇に住んでいた主人公莉莉。しかし、夫は生活費を渡さず、天邪鬼の習性を持ち、妻に対する精神的な虐待……。夫婦は一度離婚し、長男が不登校の問題で、再婚復縁したものの再び離婚した。問題は、強権者の誰かが家庭裁判所の権限を越え、トリックを掛け、養育費という債務名義を奪い取った。莉莉は裁判所に訴えるが、何故か公安警察に付きまとわれる。特定秘密保護法が成立した後、共謀罪もやがて強行採決される四面楚歌の状況に陥り、身の危険を感じた莉莉は、ミステリー小説の形で事の経緯を書き記し、そのデータを保存したUSBメモリを親しい刑事に託すことになる――
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-ある地方都市での赴任中激しい下痢にみまわれた筆者は地域の大学病院へ紹介された。腫瘍が見つかり摘出手術を受けた。 しかしその後の下痢は激しさを増す。最終診断は「うつ病」。それは患者の預かり知らぬところでの診断で医療不信に陥った。 セカンドオピニオンの精神科では「うつ病」を否定。 それに端を発し30年ほど勤めた会社を簡単にリストラされる。 職を探しても決まらない。40代後半。 退院後数年して「激しい痛み」を恥骨当たりに感じる。なかなか痛みが収まらない。立つと痛みが消える、不思議な痛みだった。 市内の整形外科を巡り、投薬・神経ブロックを受けた。成功例(痛みを感じずに済んだこと)もある。 福島、名古屋、大阪、千葉へも行ったがダメだった。気づいたら11年目。最終診断は「慢性疼痛症」。 せっかく効いた薬は保険上の制約で処方中止。疑問に思った筆者は情報を集める。 その成果をすべての慢性疼痛患者とご家族、ご友人、社会へ筆者の体験を添えて発信する一冊。 それは国民の14~23%が罹患(疼痛学会理事長あいさつ文)しているとも言われる国民病とも言うべき慢性疼痛症がまだまだ社会での認知が低いと感じたためでもある。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 言葉の花束 新川和江・水崎野里子 みなさん!おばちゃんの詩を読んでくれてありがとう! 世界にはいろいろな子供たちと大人たちがいます。 すべてのひとびとがしあわせで楽しい毎日を過ごしているとは限りません。 病気や戦争に苦しんでいる人もいます。貧困や嵐や地震に苦しんでいるひともいます。 人生には苦しいことも楽しいこともあります。でも負けないでまっすぐしあわせに生きてください。希望をいつも持ってください。 このご本は日本のおばちゃん二人のあなた方世界の子供たちに贈る花束です。 A Bouquet of Poems to You Noriko Mizusaki Hi! All of you! Thanks for your reading our poems to the last one! In the world various children and adults are living along. But it is not that all of us are always living happy and merry days. Some of us suffer from sickness or wars. Some people live in hardships from poverty and the natural disasters like storms and quakes. You have to live through difficulties and hardships,while you can have a right to live in happiness. Do not get defeated by them and live straight and in happiness. Always you do not forget hope. We are two aunties living in Japan. This book is our present to you,all the children in the world,for peace and hope: A Bouquet of Poems gifted to you.
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-空から歴史を感じる パイロット山下智之の新刊 島、海、黄色い石、交易、海賊、大和…… 地政学的視点をベースに、沖縄(琉球)史の核心を衝いた傑作。 現在と15世紀を往来する巧みな叙述で、琉神「尚円」を蘇らせる。 (大阪観光大学 学長 赤木攻 推薦) 島を追い出された少年が400年の琉球第二尚氏の王朝を築く、実話の歴史物語。 なぜ、秀吉をしのぐ成り上がり皇帝になれたのか? なぜ、家康をしのぐ400年の王朝が作れたのか? 琉球の王が、京都室町幕府の将軍に会っていた!! 謎の多い、応仁の乱の背景に琉球王国があった!! 400年琉球王国の成立に手を貸した交易勢力とは??? どうして琉球王朝は応仁の乱から明治維新まで長きにわたり国を治められたのか? 謎に包まれた 実在の人物「尚円王」のタブーに迫る!!
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 戦前の民間剣道場、有信館(神道無念流)から生まれた剣豪の一人、昭和の武蔵とも異名された中倉範士九段は、戦前から戦後にかけて剣道界では抜群の強さと実績を誇った。 戦後、剣道が競技スポーツとして力とスピードに頼る傾向に変わっていく中で、70-80代の高齢になっても、全日本チャンピオンクラスを圧倒しつづけた。 しかしながら、そうした中倉清の剣道は、有信館剣道から輩出された他の有力な剣豪と同様、強さを誇りながらも剣道界では異色といわれ続け、かつ現代剣道では主流になり得ていない。その強さと異色の源泉を、有信館を創建した幕末、明治の剣豪根岸信五郎、最後の武芸者と称される中山博道にも求め、自由闊達な有信館の身心技法の特徴を抽出。併せて力とスピードに傾斜しているといわれている現代剣道との違いを可能なかぎり浮かび上がらせている。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「人目ばかり気にしている自分を変えたいよね。」 「相手の意地悪っぽい言葉や態度に振り回されてびくびくして余計な思いはしたくないよね。」 「言いたい事はちゃんと言いたいよね。」 「もう、そろそろ強くなってもいーんじゃないの。負けないで、私の中のわたし。」 何かと日常的には色々困難ばかりが多いですが、つまずいても、うまくいかなくても、悔しい事があっても、大切なのは怖がらないで自分で自分を信じて一生懸命、努力して頑張り続けること。かけがえのないたった一度きりの人生です。負けないで強い気持ちを持って、心をひかれる目標に向かってどうぞ自分の思うままに全うしましょう。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 CKDと診断されて4年以上になりますが、現在血清クレアチニン1.18mg/dl、eGFR50.6ml/分/1.73m2に維持されています。このように人工透析導入を回避できたのは、朝昼食獣鳥魚なし(この間乳・卵製品も極力避ける)、夕食はこれら動物性タンパク質をCKDG3(CKD診療ガイド2012の分類)の一日量タンパク質とカロリーを摂取していた結果です。 CKDは遊離リジン(必須アミノ酸)が、腎臓のコラーゲン等と結合することが病因です。CKDが改善された理由は、当初食事の朝昼食の仕方では穀物(リジンが第1制限アミノ酸)のタンパク質が多いため、遊離リジンがアミノ酸の桶の理論に従って、生体がタンパク質を生合成する結果であると考えられます。 すなわち、この現象は摂取した食物の病因となる遊離リジンを体外に出さないで取り除くという、穀物タンパク質特有の作用であると言えます。
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-東南アジアのタイといえば、観光大国としてのイメージがすぐに思い浮かぶが、実は世界で最も進んだ民間レスキュー大国でもある。タイが民間レスキュー大国へ成長した背景には、同国独自の歴史的背景が存在するが、タイは、公設レスキュー部隊が現在でも僅かな数である実情から、主要なレスキュー(緊急医療・緊急支援)活動は、主に華人系慈善団体のレスキュー部門に所属する民間レスキュー部隊がタイ全土を広域的に担っている。 本著では、タイ中部(チョンブリー県、ラヨーン県)やタイ北部(チェンマイ県、ウタラディット県、パヤオ県)など、主に、地方社会における民間レスキュー部隊或はボランティア主体のレスキューチームの活動事例について詳しく考察することにより、我が国においても公的補助金に極力依存せずとも災害発生時に活動可能な地域レベルにおけるレスキュー体制構築の将来的可能性について論じている。
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-20歳の頃から関わり続けたキリスト教理解が70歳を越えた今までどのように変遷してきたのか、また後になって仏教と向かい合いそれがどうであったのかを記した。 辿り着いたのはキリスト教では上村静であり、イエスによる神の支配とは、すでに現実のなかに、日常生活のなかに立ち現れていて、人間の思い煩いにもかかわらず、すでに生かされてしまっている人間存在という現実を指し示す、ということであった。 仏教では宮元啓一であり、ゴータマの悟りというのは、この世に生きることに何の意味も見出すことがないということであり、生存欲を滅ぼした人にとって、世界のいかなるものも意味をなさず、生きようとは思わなくなることであるということであった。
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-ヨーロッパに魅せられて、自分の足で町や村を歩いてみたい、という気持ちを抑え切れなくなり、一人旅に旅立ったのは五十三歳の時でした。言葉は、ただ単語を並べるだけの片言英語で、全く自信はありませんでした。経済面でも時間の点でも余裕のない、“ないない尽くし”の旅でしたが、これを機にますますヨーロッパに惹かれ、以後一年一度のヨーロッパ歩きが定期的に十七年続くことになりました。今もそれは続いています。 小学六年生で終戦を迎え、まともな歴史教育を受けなかった私が世界史に興味を抱くようになり、歴史のみならず旅を通していろいろなことを教えられました。その私にとっては記念すべき《初めてのヨーロッパ一人旅》と十五年ぶりにその地を再訪した《センチメンタル ジャーニー》他二編をまとめたのがこの旅日記です。 私の独断と偏見に基づく“独り言”のようなものではありますが、 “熟年の一人旅”ってどんなものかと興味をお持ちの方、歳を取って言葉に自信がないけれどこれから旅をという方にも、文字の上で旅を疑似体験しようという方にも、ヨーロッパが好きな方にも、読んでもらえればと願っています。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 19世紀の英米に生きた5人の女性詩集の再版です。初版時はフェミニズムと東日本大震災の被害者追悼がテーマとなりましたが、初版の好評を迎え、今回の再版版はより広範・世界的なロマン主義の復興祈願と重なります。 初版で試行された日本語翻訳文の七五調での翻訳はいまだに一般には受容・評価されておりませんが、ここに再版を重ね、繰り返し日本の詩歌文化の国際化を問います。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 著者は突然にケトアシドーシス劇症1型糖尿病に罹り、インスリンが枯渇してしまいました。 水戸赤十字病院の診断を再度大学病院の複数の医師にも確認しましたが、全員が劇症1型糖尿病であると断定しました。 現在の医学では発症の原因は未解明ですが、私はストレスによる活性酸素種の過剰産生に起因するものと考えました。 活性酸素種の過剰産生がアシタバの抗酸化物質により除去されると仮定すると、膵臓を取りまくロケーションは綺麗に整備される事になり、劇症1型の発症原因は消滅する事になるという仮説を立て、アシタバの活性酸素除去機能を利用することにしました。 発症時には血糖値が823を示し、インスリンが52単位でしたが、各方面の研究者の方々の支援を受けて研究をしてゆく中で、半年後には膵臓ベータ細胞からインスリンが出始め、速効性インスリンが朝昼夜の全てでゼロ単位となり、インスリン注射量が激減しました。 劇症1型糖尿病ですから、完全に破壊されたベータ細胞からはインスリンが出る筈もなく、回復は全く考えられない中でベータ細胞が回復してきました。 1日3回の速効性インスリンの注射が不必要となった事で、低血糖からのリスクからも逃れられ、血糖値コントロールが大変楽になりました。罹病前と同等の生活が送れる様になりました。 この闘病日常を研究の記録として取りまとめました。 次には著者の回復への実例を受けて「ベータ細胞を破壊したマウスを使ったアシタバの劇症1型糖尿病治療への効果再現実証実験」が実施されています。 この研究成果は不治の病と言われている1型糖尿病は勿論、2型糖尿病に苦しむ方々への朗報となります。
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-〔本文より〕 初めて会って以来一途に思い続け、一時も由布子のことが心から離れなかった…。 〈男子みんなが憧れているあの高嶺の花の由布子が、あのお姫様が、何と、この自分を本当に思っていてくれている。ああ、こんな幸せ、本当にあるのだろうか? 夢ではないだろうか?〉 足が地から浮き上がり、のぼせ上がって有頂天に…。自分のために世界がある…。もう何も怖いものは無い。何でも出来るような不思議な力が湧いてくる。…美しいヒロインを恋人に持つ映画の主人公になったような気分でもある。 どんな言葉を使っても表現し尽くせない心情。決して大袈裟ではない。 こんな満ち足りた幸せが訪れ…高揚する気分になれることも人生にはあるものなのだ…しかも教室で…授業中に…こんな気持ちになれるなんて…学校へ行くのがこれほど楽しいとは…。 晶彦は生まれて初めて、天にも舞い上がるような幸せ感に包まれた。そして、いつまでもこんな気持ちでいられたら…と、祈る思いである。 (中略) 恋うひとに 思われている 幸夢心 (中略) 駅に近付いて、晶彦はハッと一人の女子学生の姿に心を奪われ、視線が彼女を追った。その姿はうららかな陽光を浴びて、人混みとともに駅の中へと消えて行った。晶彦は視線を逸らさず、ただその場に佇んでいた。 出張のことで頭がいっぱいで、一時潜んでいた由布子の存在が、ひょっこり晶彦の心に戻って来た。あの笑顔、明るい声、仕草、そして、教室での彼女など、数々のシーンが、次々と輝き始め、あの至福のステージが蘇ってきたのである。 「どうなさったのですか」 肩を叩く優しい女性の声が聞こえた。 「いえ、何も」 そう応えたものの、同じ所に佇んだまま思いの外、時間は経過していて、目は涙で潤んでいた。最高に幸せな思い出は、最高の辛さにも変わるのである。 いつしか新幹線の窓際のシートに座っていた。晶彦は顔を窓の方を向けている。涙が溢れ出て止まらない。晶彦はまだ、あの至福のステージの中にいた。由布子は咲き始めた花のように、瑞々しいまま微笑んでいる。しかし現実の晶彦の側に、彼女はいないのだ。 髪がたや 似た後ろ影 心を突き なお治まらぬ 鼓動… と、まで詠んだ。しかし、後が定まらない。 悲しくて、切なくて、そして、儚く、空しい思いが入り乱れ、愛しさが止めどなく込み上げてきて、渦を巻いているのである。
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-スキー場の山荘はオイルショックのため未完成で、内外装はおろか床は土のまま木くずが散乱している。そんな中で男女は出会い、二人は楽しみを見つけ、正月休みを過ごす。男は大阪、女は名古屋。付き合ううち恋人の親が経営する会社や家が窮地に陥り、男は全てを捨て名古屋に駆けつける。命を賭け、恋人のため会社の再生に尽くす。会社再生後、恋人の兄に会社を託して一人会社を去り自分の道へ進んでいくが、無理を重ねた男は病に倒れ、人生は思わぬ展開へ…。 〔本文より〕 姫が勘助を困らせることをしても、無理を言っても、温かく見守って、報われるあてのない愛をますます募らせてゆく…。 「女性の美しさは、時には男の魂を変えてしまう悩力を持っているんやな…“のう”は悩む方の…勘助のあのような愛し方も何だか切なく…ロマンが溢れていて…由布姫の美しさとともに印象に残っているのです。ま、これらの内容は、僕の欲求的想像も手伝って、作品よりドラマチックに記憶している感も強いですが…」 「でも、あなたも由布姫さまに恋しているみたい…私、何だか嫉妬している気分」 (中略) 「写真を撮る人は今のうちに撮っておいて下さい。明日は早立ちします。槍や穂高も朝は日陰になってシルエットだけになりますから…それから、山の名称は左から、西鎌尾根、槍ヶ岳、中岳、南岳、大キレット、北穂高岳、唐沢岳、奧穂高岳、西穂高岳…」 指を差しながら美紀は細かく説明してから、付け加えた。 「ここからは見えませんが、槍ヶ岳の北側には急峻な北鎌尾根、東側には東鎌尾根が有ります…上高地は西穂高岳の山向こうの丁度この方向です」 この時、太陽はほぼ南南西にあって、突き上がった槍の穂先や連山の稜線から続いている数々の尾根、谷、沢のヒダは、色々な陰影を作り、見事な立体感を醸し出しながら急峻な深い谷へ落ち込んでいる。しかし穂高連峰と鏡平の間には標高約二四四〇 メートルの奧丸山や中崎尾根があるので谷底までは見えない。 幸いにも空は青く、稜線との対比も美しい。この連山の稜線や山肌は、大小の岩がむき出しで、大きな起伏が多い。丸みの少ない鋭い岩肌は北アルプスの特徴で、険しい雄姿を誇示し、とりわけ大キレットや北穂高岳はより急峻に見える。ともかく雄大である。
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-本書は『国家の存続 人生方程式』の姉妹作である。 〔本文より〕 「何年か前、私の田舎に橋だらけ、道だらけ、という具合に立派な橋や道を作りまくって。各家の前まで。そして、たまにしか利用しない山道まで舗装をした。更には、米の減反を進める中、農地の改良までして、立派なインフラを整え、あげくの果て、過疎化や耕作放棄地となるのですが、これを日本中に作って大きな借金の一つにもなっています。このようなことは予想できたはずなのに、政治家は票獲得のため、行政担当者は怠慢と言うしかありません。馬鹿を通り越しています。地方の住民は自分たちが税をあまり納めていないのに、便利さを自治体へ要求する。今でも言えることですが、国中そのような考えの人が多い。自ら行動するのでなく、してもらえる、してほしいと思っている。何か改造するとなると、総論賛成でも、自分に関係した不利益なことになると反対になる」 (中略) 校門を入ると和子は幸成の腕に抱きつくようにして歩きだした。 「少し離れてよ。あなたは綺麗だし、私にくっついていたら、それに、この派手なペアのリュックのアップリケは目に付きすぎる」 「うちはかまわないえ」 「私は学校を首になるよ」 「丁度良いんじゃない。うちのお養子はんになれば」 「しかし、性急な話だね」 「うちも、お父はんも幸成はんを気に入っているし」 「でも、すぐには決められないよ」 「うちのこと嫌い?」 「好きだよ」 「うち、デパートでお会いした時、一目惚れしたんえ」 「和子さんにはかなわないな。あなたにかかったら私もたじたじだな」 「そうよ。もう覚悟しなさい」 「養子になっても、これじゃお尻に敷かれっぱなしになるね」 「座り心地の良い座布団になっておくれやす」 「ああ、熱が出てきた」 「ふふふふ、ああ可笑しい」 和子は楽しくてたまらないのである。
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-志摩と大阪を舞台にした物語だが、国家自滅の危機に直面して、人口問題、経済、日銀の政策にも鋭く踏み込んでいる。一方、地震対応の建築技術、水害、津波用建築物とともに町の在り方、国家の在り方についても提言している。本書は『恋のおばんざい ─天下国家への手紙─』の姉妹作である。 現在の市場原理主義マーケットは、個人投資家の短期売買、空売りファンド、ヘッジファンド、証券会社の自己売買等強制的空売りで、経済をデフレへ、そして、一方の投機筋は出来高が少なく、仕掛けやすい日本の市場で、自己の利益のために、株をしていない人まで道連れに、個人や国の資産まで低下させ、好き放題にしている。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 伊予宇和島藩は、積年の財政難に苦しんできたが、文化文政年間に藩はそれを打開するために種々の無理な政策を推進した。 この時期、半農半魚の伊方村を統ていたのは寛文年間から150年にわたって世襲庄屋として強勢を誇っていた大庄屋であった。庄屋は、藩の政策に忠実で信頼も厚かったが、村人たちには私用で駕籠を担がせるなど強圧をもって臨むことが多かった。 文政13年、藩が百姓たちから政治献金を募る形の御無尽銀を預かっていたのを庄屋経費として流用していたことが、村の予算に立ち会う年行事役が、念仏講の席で暴露したことが口火となって庄屋罷免への動きが広がっていった。百姓たちは影では清盛庄屋などと言って揶揄しながらも抑えられてきた長年の不満が吹き出す形になって、一気に庄屋罷免の機運が高まっていった。この騒動の中心となったのは、頭取あった市右衛門、森蔵、佐吉、金十郎らであった。彼らは、当時、役5500人の村民のうち約800人を引きつれて、隣の大洲藩に庄屋の罷免を宇和島藩に掛け合ってもらうよう願い出て、一週間にわたり肱川河原に滞在した。結果として、庄屋は罷免され、頭取たちは一人が斬罪、他は流罪となった。 本書は、若い衆宿や、念仏講、お祭り、鰮漁等、当時の百姓たちの生活の様子や頭取たちのキャラクターや心情に迫ってみた。併せて、藩政における庄屋と百姓たちとの関係についての考察を深めることを目指した。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 私の郷里は奄美諸島の喜界島であるが、奄美諸島は1946年2月1日から約8年間、行政的に日本本土から切り離された。その間に米国留学の制度ができたので1950年に奄美・琉球諸島からの52名の留学生の一人として渡米した。 ニューヨーク州立アルバニー教育大の二年次の時、英語担当のヴィヴィアン・ホプキンズ教授に詩の創作を勧められて、最初1954年にボストンのクリスチャン・サイエンス・モニター紙に投稿して以来、書き続けている。 自然、社会、戦争、人間関係、原発、核兵器、世界詩人会議などなど、あらゆる事象について書いた英詩の中から、約210篇を精選し、一冊に、まとめたのがこの詩集。私の詩8篇ほどは米国、カナダ、オーストラリア、南アフリカの学校教科書26冊ほどに収録されているが、インターネットで調べてみると、私の詩数篇はロシア、中国、ブータン、ベトナム、チリ、インドなどでも、広く英語教育に使用されている。
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-舞台は港を擁する北の街。厳冬。その街で、感染症が疑われる病気、そして病院で使われていた廃棄予定の医療機器の盗難が前後して発生する。新聞記者が、その事件を地元新聞に短い記事で報道する。 小説の中心に据えられているのは街の高台にあるホテルの宴会場であり、そこではこの二つの事件の他、進行中の高血圧大規模臨床試験も医師たちの間で話題になっている。 20の場面から構成されている小説の各場面は、「話者/書き手」をめぐる部分(語っている私/書いている私)と、「出来事」(語られている内容/書かれている内容)をめぐる部分に二分割されている。20の場面の「出来事」の時間的な前後関係は必ずしも定かではない。視線を追うことで描写される場面は分裂し、その細部は増殖し、変奏される。小説は断えず言い直され、書き直される。
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-老境にさしかかった山口和彦は、道北の小都市で小学五年から中学二年まで暮らした少年時代の同窓会に初めて参加し、札幌で四十数年ぶりに初恋の佐川宏子と再会する。 同窓会の翌日から利尻島の利尻山に登り、かつて過ごした町を訪ねて、横浜に戻った和彦は、宏子にその旅の様子を手紙で送る。宏子と文通を続けるうちに、北の町で身近に起こった殺人事件や、小中学校での出来事、近況等を語り合うようになり、和彦は引っ越していった時の様子や、あふれる北海道の自然や風物詩、戦後の時代風景、学校時代の同級生のことなどを鮮明に思い出す。 二人は一年後開催される同窓会での再会を約束する。今は登山を楽しむ和彦は、宏子に南アルプス北岳のキタダケソウの写真を送ろうと白峰三山の縦走に向かうが・・・。 昭和や、道北、登山など数多くのエピソードが織り込まれ、人生の日暮れに向かう心境が語られる忘れがたい物語
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-あなたは、かつてGHQに理容師法案の改正を直訴した美容師がいたことや、低価格競争に終止符を打つために自ら命を絶った理容師がいたことを知っているだろうか。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 処女詩集『流れゆく雲に想いを描いて』を出版してから、いたずらに時を過ごしているうちに、早くも二年という歳月が過ぎ去りました。その当時にも思いましたが、詩集など編んで出版するほどの思想も、詩想もなく、ただ漫然と心に浮かぶ泡沫(うたかた)の思いを書き綴り、こうして上梓するのは罪つくりではないかという疑念がいまだに消えません。 ただ、前回と違うのは、世に対する私の「憤り」の振動幅が増大し、率直にそれを表現しようとしたことで、詩というよりはエッセイ風のものが数点あります。さらに、この詩集は私の「訣れの言葉」集であるので、「死」をイメージした詩がふんだんにあります。また、悩みや痛みの詩なども数多くあるので、それと対照させるために、恋歌や童謡のような調子の詩も散りばめてみました。 今回は、ひとつの試みを為しました。おそらく過去の詩人や俳人が誰もしていないだろうとの思いから、詩と俳句をフュージョンしてみたのです。これは、New Haiku: Fusion of Poetryと同じ発想から来たもので、一つのテーマを詩と俳句で表現したことです。 New俳句などと銘打って季語などを無視して作ってみても、5・7・5とたったの17語で作らなければならないという約束事があるために、当時かなり悪戦苦闘したことを思い出します。 最初、この『詩&俳句集』を作る際に、「65歳以下の者は読むべからず」という注意書きを付けていました。それは、「未成年の者は読むべからず」という青少年を悪書から守るためのようなものではなく、未成熟者からこの『詩&俳句集』を守るための策でした。これを外してしまったからには、内堀も埋められた大阪城の淀君や秀頼、さらには真田幸村の心境ですが、この『詩&俳句集』の内容や試みの成否は、あらゆる年代の読者の判断に委ねる事とし、ここに筆を置くものです。
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-大正時代に生まれた静枝は幼い日に母を亡くす。泣き虫の静枝は運動が苦手である。それでも秘めた強さがあった。まず、のどかな田舎に起こる事件が子供の目を通して描かれる。静枝は教師一家に生まれ育ち、学生時代に良き師と出会い、自らもそうなろうと邁進し、念願を果たす。 結婚適齢期になって縁談の話が持ちあがる。学生時代に憧れていた先生からのもあったが、資産家の次男との結婚を決意する。戦時下で人の心も荒んでいた。静枝には十分な食料もなく殺伐とした都会生活は耐えられない。夫に赤紙が来て一人暮らしになる。 やがて終戦になり、夫は帰還するが仕事を失う。主人の実家は「余裕住宅」と見なされ、他人を入れたくない義母の要求で夫の実家に入り女中扱いされる。 無職で無責任な夫に頼らず、経済的に自立するために復職する。赴任校は民主教育を盾に日教組が支配する自由放逸な学校であった。静枝は「師」としての矜持を忘れず、一人これに立ち向かう。
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-未明は、早稲田大学の前身校である東京専門学校に入学し、そこで坪内逍遥に英文学の指導を受けました。未明の名前は逍遥につけてもらったもので、「いまだ暁前であるが、いずれは太陽の光のように燦然と輝く未来がある」という希望に満ちた名前です。未明は島村抱月にも指導を受けていました。未明の作品の劇的な展開には抱月の影響があるものと考えられます。さらに、小泉八雲が逝く直前の春学期に、未明は早稲田大学で八雲の最初で最後の英文学の講義を受け、八雲から感銘を受け、卒業論文では八雲を論じています。「日本のアンデルセン」とも「日本童話文学の父」とも呼ばれている未明の作品にある「優しさ」は、八雲の人となりから滲み出る「心優しさ」を受け継いでいるものです。 未明の本名は健作といいます。今西薫の『健作フュージョン物語7』 の主人公は未明である健作少年という設定になっています。未明が書いた『小さい針の音』、『村の兄弟』、『眠い町』、『赤いろうそくと人魚』、『あらしの前の木と鳥の会話』、『港に着いた黒んぼ』、『負傷した線路と月』の文体には、未明独特の語り口調があります。未明の作品にある「優しさ」はこの文体と不可分です。彼が子供に教えたい「人としてあるべき姿」を、今西薫が受け継ぎ、七つ束ねて結ぶ中で彼なりの童話を創作しました。 この本は小川未明の作品が現代のより多くの人々に読まれることを願って、今西薫が未明の数多くの作品群からその珠玉と目される作品を選び、それらに新たな味わいをつけて、現代風の童話にして、ひとつの作品にしたものです。 第一部の未明の作品群に触れて、未明ワールドに浸ってから第二部の『健作フュージョン物語7』をお読みください。
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-弱い者の「恨み・無念」を晴らすためのお手伝いをする不思議で面白いお話です。表の顔は「宗教法人・爽快寺」、裏の顔が「うらめし屋」と申しまして、恨まれた相手からお金を取り戻すというケッタイなお話!
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-現代アイルランドで代表的な女性詩人、イーヴァン・ボーランドの詩集の翻訳です。(抜粋訳)。翻訳は水崎野里子。原書はアイルランドの歴史に触れていますが、現在の世界情勢とその中における日本人の役割にも通じる、あるいは参考となる詩集と思います。水崎野里子にとっても、現代アイルランド詩集、黒人女性詩集、アジア系アメリカ詩集など世界のマイノリティの文化と詩に着目して翻訳・出版してきた、同テーマでの何冊目かの翻訳書となります。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 現代海外詩人と日本詩人が共に国籍もジャンルも越えて一堂に集う日英のバイリンガル詩誌。英語俳句あり短詩ありエッセイも翻訳もあるパンドラの箱。開けてみてください!
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 図書館の中で、膨大な本に、ちりばめられた秘話、謎を読み解いていた。宇宙の神秘、地球の不思議、歴史の謎等、追いかけるうちに、明らかな事実が、浮かびあがってくる。宇宙は、どう動いているのか、歴史は、どう創られたのか? 物の価値は、どう形成されたのか? 何をどう見ればいいのか?航海の中で、発見したものは? いろいろな人や物との出会い、世界を周り、図書館で、読み解いた真実が、飛び込んでくる。
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-恵庭OL殺人事件とは、平成12年、北海道恵庭市で、OLの焼死体が発見されたことにより発覚した、殺人事件である。 冤罪が疑われる謎多き事件、屈指のミステリー事件として、インターネット上でも大きく議論された事件である。 警察は、恋人を被害者に奪われた状況にあった、被害者の職場の同僚女性に疑いをかけ、自白を迫ったが、彼女は、一貫して無実を主張した。 検察官は、刑事裁判で、彼女が、自分の車内で、被害者を絞殺したと主張したが、彼女は、小柄な女性で、被害者よりも体格や体力が下回る。 裁判所は、彼女が、被害者を殺害することは「不可能であるとはいえない」と判断したが、はたして彼女は犯人なのか? 第1部「事実」では、本件事件の主要な事実が、整理して記載されている。読者も、推理小説のように考えることができ、楽しめることができる。 第2部「検討~犯人は被告人か」では、プロの法律家である著者が、裁判所の判断を踏まえつつ、本件事件の謎を解くべく研究・検討した内容が記載されている。 目次 第1部 事実 第1章 事件関係者・関係先 第2章 事件当時(1) 第3章 事件前 第4章 事件当時(2) 第5章 事件後 第2部 検討~犯人は被告人か 第1章 犯人の行動 第2章 被告人が犯人であることを推認させる間接事実 第3章 被告人が犯人であるとしたら、被告人は、どのように考えて、どのように行動したと考えられるか 第4章 被告人が犯人であるとした場合のその他の問題点 第5章 被告人が犯人ではないとした場合の問題点 第6章 結論
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4.0
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-「おうみの国(滋賀県)」には真ん中に、とても大きな湖があります。びわ湖です。県面積の、およそ6分の1を占めるそうです。湖国の住民は、その周縁に暮らしていることになります。 湖は、ただそこにある、だけではありません。表から見えるのは、平らな水の広がりだけです。でも湖はあれほど広々としていますから、水面下の、湖水の体積や重量、「生命力」がとてもスケールの大きなものだ、という事は、想像に難くありません。 夏場、北湖は水面から湖底へ三つの水温層に分かれます。三つの水層では、魚など、それぞれの環境に適した生物が活動しています。多くの生命を宿す、びわ湖自身が、まるで巨大な「生き物」みたいに存在しているのです。 びわ湖の、「深呼吸」について人は語ります。北湖では真冬に、冷却された表層の水が深い湖底へと沈み始め、春先には山からの雪解け水も河川から流れ込み、浅い湖岸から深い湖底へと沈みます。水が循環し、酸素も深い水層へ供給され、湖底の生物を元気にしています。 ものの本によれば、私が住む甲賀の地は、太古にはびわ湖の水底だったとのこと。そうです、びわ湖は、移動しています。大昔に、お隣の伊賀と甲賀の県境辺りで生まれ、気の遠くなるほどの年月をかけて北上しているのです。今も、わずか数センチ単位で北へ。 大きな湖が真ん中にあるために、交通は不自由になります。対岸へ行くのに、湖をぐるりと回らなければなりません。湖が荒れることもあります。湖の上には家やビルを建てられないし、開発ができません。その一方で、周縁の住民は、豊富な水と湖の幸、美しい景観などの恩恵を受けながら、日々暮らしています。遠い昔から今に至るまで。 本書は、新聞連載のエッセイ100編を収録しています。エッセイは、2006年5月~2009年1月までの2年9ヶ月間、毎水曜日に掲載されました。湖のずっと南に住みながら、びわ湖とその周縁(湖東・湖西・湖南・湖北の各地)へ探訪に出かけ、そこで見聞きしたことをエッセイに書きました。変化に富む湖国の人と暮らし、風土をテーマにして。
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-父が第二次大戦時にフィリピンのルソン島に出征したことは、子どもの頃からお風呂の中で何度も何度も聞かされていた。所属したのはグライダーで相手を急襲する空挺特殊部隊だったそうで、先輩方がスマトラ島パレンバンに落下傘で舞い降り大活躍した話に、心を躍らせていた。 そんな日々から半世紀を経た最近、90歳を超えた父が古い水筒を発見したことをきっかけとして、著者はふたたび戦時中のルソン島と向かい合うことになる。 すると父も忘れていたであろう、あるいは一兵士として知るよしもなかったかもしれぬ、驚くべきドラマの数々が姿を現しはじめた。 本書は、「骨のうたう」を遺してルソン島で戦没した詩人として広く知られている、三重県生まれの竹内浩三と著者の父正雄が、同じ部隊写真に写っていたと判明したことが起点となっている。そして空挺部隊兵士たちが遭遇した苛烈なる戦いとその顛末、とりわけ竹内浩三の出征からその戦死までの足取りについて、新資料を次々と発見しながら辿ってゆく、リアルタイムの検証ドキュメンタリーである。 弱冠23歳で命を散らした竹内浩三は、日本を発ってからの動向についての記録がほとんど残されておらず、また彼の所属した部隊についても「全員切り込みを敢行、全滅」と伝えられていた。 ―おいおい、一緒にいた部隊が全滅しているのなら、ここにいる俺の親父は何なんだ。どうなっているのだ。(本文より) 巻末に竹内浩三が姉に宛てて送った「筑波日記」に登場する人物の写真や、浩三最後の写真など、貴重な新資料を公開している。
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-1995年発行の「詩集 たからさがし」の詩に、適当な写真を貼り付けていくという、時間つぶしのためだけに始めた、至っていい加減なホームページ「たからさがし ポエム&フォト」が、4年目を迎えた2010年あたりから、どうしたことか?すべての作品を「最新デジタル・リマスタリング」して、どんどん新作も発表するぞ!になってしまいました。そして、元同僚の若いOLたちからの反響が、予想以上に大きかったので、気を良くして、いよいよ、電子書籍での出版を決意するに至りました。 ビートルズのベスト盤からいただいたネーミングを使って、「赤版」が甘口で、読みやすい内容のもの、「青版」が辛口で、硬い内容のものを集めました。かつて、“言葉の旋律に乗せるセンスが光る”と評判だったみなみの言葉のリズムは健在で、「最新デジタル・リマスタリング」により、まさに、今、この時代のリズムで語りかけてきます。
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-1995年発行の「詩集 たからさがし」の詩に、適当な写真を貼り付けていくという、時間つぶしのためだけに始めた、至っていい加減なホームページ「たからさがし ポエム&フォト」が、4年目を迎えた2010年あたりから、どうしたことか?すべての作品を「最新デジタル・リマスタリング」して、どんどん新作も発表するぞ!になってしまいました。そして、元同僚の若いOLたちからの反響が、予想以上に大きかったので、気を良くして、いよいよ、電子書籍での出版を決意するに至りました。 ビートルズのベスト盤からいただいたネーミングを使って、「赤版」が甘口で、読みやすい内容のもの、「青版」が辛口で、硬い内容のものを集めました。かつて、“言葉の旋律に乗せるセンスが光る”と評判だったみなみの言葉のリズムは健在で、「最新デジタル・リマスタリング」により、まさに、今、この時代のリズムで語りかけてきます。
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-この小さな本は、身近な旅の、おすすめスポットをご紹介する案内記です。気晴らしに探訪してほしい、関西の22ヵ所を選りすぐっています。 「所変われば品変わる」という諺があります。人の暮らす土地が異なれば、風俗や習慣も多種多様だ、というような意味です。旅好きな人たちの間で言い交された諺かな、と私は思っています。グローバルな世界と比べれば、「関西」という箱庭的な狭い地域であっても、私が訪ねた22の土地は、それぞれの習わしだけではなく景観、歴史や風土など不思議なほどに違っていました。 旅する季節により、この22の面白スポットもまったく異なる装いを、読者の皆さんに見せてくれるに違いありません。日々の暮らしに退屈したら、ぜひ、ぶらり探訪のんびり旅にお出かけください。新たな発見と、思いがけない出会いを求めて。【※本作品はブラウザビューアで閲覧すると表組みのレイアウトが崩れて表示されることがあります。予めご了承下さい。】
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-明治30年代、広島。日本で初めてバスの運行が始まった。舟や馬車の時代から自転車、オートバイ、自動車へと新しい乗物が登場していく中、乗合自動車に情熱を傾けた男たちの物語が動き出す。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 しっぽのない犬が仲間はずれにされる中、自分でしっぽをつくろうと努力する。しかし、うまくいかなくて途方に暮れる。そんな時一人の少女と出会い、初めて愛情を知る。すると、耳がしっぽのように動き出した。。 絵と文 あとみー Atommy 実は、「しっぽ」がないことは人間にとって「気持ちを表現・理解しにくい障害」のことで、「しっぽ」がなくても大丈夫だということを伝えたい作品です。作者自身が自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)を持っており、同じ障害を持った人への理解を深めていただきたいと願っています。
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-還暦を超えた夫婦のドイツのドナウ川の源流から、ハンガリーとセルビア・クロアチアの国境までのドナウ川1700kmと、スウェーデン・ヨータ運河のヨーロッパのサイクリング記です。ママチャリしか乗ったことのない妻と、自分たちのペースでゆったり無理せずのんびりと、素晴らしき土地と人々との出会いを与えてくれたサイクリングの旅の記録です。 ツアーでは、添乗員がいて食事、宿の心配はなく、名所、旧跡の説明も聞けるが、帰国すればほとんど忘れてしまいます。サイクリングの旅は、片言の英語しかできない我々でも、その土地での人との出会い、楽しかったこと、困ったことなどいつまでも周りの風景と合わさって記憶に残ります。このサイクリング旅の素晴らしい感動を妻にも味あわせてやりたいと2006年にドナウ川の1回目のサイクリングに誘いました。この経験から2回目のドナウ川とヨータ運河のサイクリングにも同行してくれました。 朝8時ごろに宿を出発して、ゆっくりと走りながら観光や人々との出会いを楽しみ、夕刻3~4時に次の宿泊地に到着してその街を観光するという行程を組ました。1日の走る距離は40~60kmです。宿の取り方、列車の乗り方、持ち物、費用など参考資料を巻末に付けましたので、皆さんにサイクリングの素晴らし旅に挑戦していただけたらと思います。【※本作品はブラウザビューアで閲覧すると表組みのレイアウトが崩れて表示されることがあります。予めご了承下さい。】
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-「懸命に努力する姿」「涙を堪えて必死で頑張った結果の最高の笑顔」高校教員として私は数々の心動かされる出来事に出会うことができました。その教育現場の輝きの瞬間を第1章、第2章では書き留めています。 第3章、第4章では、仕事と家庭を両立するなかで、教師として、母として、妻として、更に、いち社会人として、さまざまな場面で出会った感動や思いを綴っています。 第5章、第6章では、ライフワークとして取り組んできました読書指導のなかで出会った、多くの感動を得た本について、皆さんに手渡していきたいという思いを込めて紹介しました。 第7章では、わたしが担当させていただいた部活動と生徒さんとの絆への思いを綴りました。 第8章は、幸せ香る日々を与えてくださった皆様の言葉を収めさせていただきました。 私のようなごく普通の教師であった私でさえ、本当に幸せな教員生活が全うできました。私が長年の経験から綴らせていただきましたことを通して、懸命に生きている、生徒(子どもたち)や教師たちの姿を知っていただきたいと願っています。
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-主人公の芳野睡蓮はある日家に帰ると妹の桜が突如姿を消し、水晶から聞こえる不思議な声に導かれ、もう一つの世界、ジオへと旅する。 睡蓮はジオを救うために選ばれしもので、守護神と契約を交わし、魔族と戦いジオを救うという使命をおびた。 ジオを旅しながら残る4人の契約者を探し、魔族の手から世界を救うべく、冒険が始まった。
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5.0夏の高校野球静岡県大会決勝戦。元気な一年生捕手南雲晴太(せいた)の活躍でノーシードから勝ち上がった静岡城東高校、通称静東(せいとう)高校は、晴太の痛恨のミスによりあと一歩の所で光洋学園に敗退。甲子園行きを逃してしまう。その時のショックで野球部を辞め、だらけた毎日を送っていた晴太は、光洋学園選手の甲子園でのインタビューをテレビでみてリベンジしたい気持ちを抑えられず野球部に復帰。監督やキャプテンの指導の下、真面目に練習に励むようになる。 半年後。静東野球部に新監督の若林が着任。さらに、女の子みたいな容姿の二年生投手、名波ひかりも編入。しかしひかりはチームメートに心を開かず、トラブルを引き起こす。 光洋学園との練習試合では強力なライバルが出現。終盤登板したひかりが打ち込まれ逆転負け。野球エリート校である京徳(けいとく)学園との練習試合では、静東のエース桜田が好投するが、二番手で登板したひかり――京徳の監督に恨みを抱いている――が自分勝手な投球を繰り返し、めった打ちにされ試合は惨敗。試合後、若林がひかりに投手失格を言い渡す。これを機会にチームメートに心を開き始めたひかりは、弱点を克服しようとチームメートのアドバイスを受け入れ鍛錬に励むようになる。 そして夏の予選。静東は初戦を苦戦しながらも勝利。第四回戦の城誠西(じょうせい)戦では相手選手のラフプレイで晴太が負傷退場しながらも、ひかりが踏ん張り辛勝。準々決勝で宿敵・光洋学園との対戦に臨む。
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-The Poop Kaiju suddenly appears. Mog, mog. Puri, puri. He eats buildings all over the world, and changes them into feces. Children are so delighted. Adults are so annoyed. Now, how will the ending of this story be?
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-私たちの育った時代はテレビが普及する前のラジオの時代で、月刊漫画雑誌の人気漫画が劇になって放送されていたりしました。また、一家団欒は高座の落語中継や講談、浪花節をラジオで聴くことでした。テレビは駅前の電気屋さんで見せてもらうか、お金持ちの家に見せてもらいに行くのが普通でした。そのような体験は現代の日本では考えられません。しかし発展途上と言われる国の殆どの国民が、私たちの子供時代と変わらない生活を送っていることを、これもまたテレビが教えてくれます。 そのことを考えると、豊かさを享受し、全てが揃っているのを当然のこととして暮らしている現代の日本の若者たちが、私たちおじさん世代の感性に触れることで、自分とは異なる環境で生きてきた人たちの感性を知るきっかけになるのではないかと思います。または劇的な変化を体験してきた我々と同世代の人たちにも、共感してもらえることがあったり、ある種の郷愁を感じていただけるのではないかと思い、この本を出そうと考えたわけです。 私の詩やエッセーを読んで、共感したり楽しんだりしてもらえれば嬉しいです。 おじさんにだって青春があって、人生について考えたり、人を愛して悩むこともある。そうやって感性を研ぎ澄ましてきたのだと知ってもらいたい。そう願っています。 (はじめに より)
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3.0
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5.0アフリカ大陸滞在計15年の外交官・合気道家が、紆余曲折を経て独自の武道―天霧(あまぎり)―を創設するまでの経緯をインタビュー形式で綴った作品。 カメルーン共和国の首都ヤウンデまで来た鬱系アラサー美女(架空)の質問に答え、不思議な技実現のためには常識をズラすことから始めなさいとアフリカでの逸話をまじえながら始まった解説は、人体の不思議な骨―仙骨、胸骨、蝶形骨―の説明、伊勢神宮に隠されてきた謎、そして「言霊」の原理解明へと進む。 カメルーン国営テレビでも放映された「天霧」習得のための最初の手引き書であり、また悩める現代人に生き方のヒントを与える本でもある。
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-本書では、著者のピーター・ミルワード氏が英文学や聖書にまつわるファンタジーの創作に挑戦しています。以下の23のエッセイが収録されています。 第一章 無 / 第二章 初めに / 第三章 終わりに / 第四章 故郷まで櫂で漕いで / 第五章 妖精たちがいる / 第六章 マフェットのおはなし / 第七章 ディドゥルのおはなし / 第八章 ピーター / 第九章 木に登って / 第一○章 モグラとの会話 / 第一一章 落下 / 第一二章 無意味なこと / 第一三章 黄金詞華集 / 第一四章 聖杯 / 第一五章 ことばの魔法 / 第一六章 夏の夜の夢 / 第一七章 問い /第一八章 カスカジア人とは? / 第一九章 ピクウィック / 第二○章 シャーウッドの森 / 第二一章 牛のクリスマス / 第二二章 私の夢 / 第二三章 世界の果て
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-「本を開かず、心を開く」 事前に予習し、計画したとおりに進むことが、必ずしも旅の成功ではありません(あとがきより) 旅先で、心を柔らかくし、想像力を広げ、少しだけ注意深く観察することで見えてくるものは? 隣国とのよりよい関係を願いつつ、繰り返し旅したソウルでの心に刻まれる出会いを(1)印象的な人々、(2)自由な食の愉しみ、(3)お金をかけないアクティビティの3つの切り口で綴った随想集。 【内容説明】 ===分量 四六版書籍236ページ相当=== 目次 はじめに 第一章 ソウルで人と出会う ・婦人服売り場の今どきのアガシ(お嬢さん) ・レストランの幸せ家族 ・フライトアテンダントと菓子パン 等、全12編 第二章 食の愉しみは出会いにあり ・二つのカムジャタン ・ソウルの飲食店の「空気」とは? 等、全6篇 第三章 無料で楽しむ、足で楽しむ ・無料イベントを狙え 清渓川周辺 ・大学の博物館 ・漢江を歩いて渡る 麻浦大橋 等、全7編 小さな文化論「韓国の桜、日本の桜」 あとがき フォトギャラリー 【著者紹介】 後藤裕子(ごとうゆうこ)。 東京生まれ、鎌倉在住。 東京大学文学部英語英米文学科卒業。情報サービス会社、国際特許事務所、翻訳会社勤務を経て、フリーの翻訳者として独立。2007年に単行本を初出版。 同年よりブログ(http://yukomaru.blogzine.jp/)を開設し、旅行記、随想、ドラマ・映画評などを精力的に掲載中。
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-損害保険会社に三十年以上勤務し定年退職しましたが、最後の十数年は保険金の不正・不当事故を調査する担当となりました。ほんの一部の契約者が偶然の事故と偽って申告し、実際は保険金詐欺であったり不当に保険金を請求する事件が後を絶たないのが現実。 こうした事件について事故の内容を解析して、如何に事故を捏造したのか、故意の事故を立証して保険会社から契約者に対して保険約款上、支払できない旨を伝えたり、状況によっては民事訴訟となり裁判の結果保険金支払いをストップさせますが、こうした経緯について書いたもので、12話の構成となっています。
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-著者ピーター・ミルワード氏は『ファンタジーの七つの時代』において、イギリス文学におけるファンタジーの伝統を、西洋の歴史をたどりながら探求しています。 本書は以下の各章で構成されています。 プロローグ ファンタジーという別世界 第一章 創造と壊滅のファンタジア 第二章 神話のふるさと 第三章 妖精物語のファンタジー 第四章 聖杯探求 第五章 ルネサンス・マジック 第六章 楽園喪失から新しきエルサレムへ 第七章 ナンセンスの世界 エピローグ 現実への回帰 『ロード・オブ・ザ・リング』や『ナルニア国物語』、『不思議の国のアリス』など、今日、映画化されて人気のある、有名なファンタジーの作品も登場します。こういったファンタジーが、イギリスという国で育まれた文化・宗教を背景にしていることについて、本書はわかりやすく解説しています。また、英文学研究者の方だけでなく、幅広い層の読者の方に親しんでいただけるよう、各章の人物・歴史的事項・作品に関する注が訳者によって付けられています。