広中一成作品一覧
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-『後期日中戦争』日本人は、日中戦争を未だ知らない。1937年の盧溝橋事件、南京事件や38年の重慶爆撃までは有名だ。しかし、41年12月の太平洋戦争開戦後、中国戦線で日本軍がどのような作戦を展開していたのかは、対米戦の陰に隠れ、意外な程に知られていない。主要作戦に従軍し続けた名古屋第三師団の軌跡から、泥沼の戦いとなった中国戦線の実像を描く! 新たな日中戦争史。中国戦線は太平洋戦争に引きずり込まれていた。『後期日中戦争 華北戦線』三光作戦に改めて光を当てる。1945年8月15日の敗戦以後も日中戦争は続いていたーー。前書の華中戦線に続き、日本軍と国共両軍の三つ巴の戦場となった華北戦線の実態を明らかにし、完全敗北へと至る軌跡と要因、そして残留日本兵の姿までを描く。結局、日本軍は華北民衆を味方にできなかった。『傀儡政権』1931年の満洲事変以後、日本が中国大陸へ進出する過程で中国人(または満洲人・蒙古人)を首班とする現地政権がいくつも生まれた。それは、親日傀儡政権(中国語では偽政権)と呼ばれた。汪兆銘、殷汝耕、王克敏、梁鴻志。戦後、「漢奸」とされた傀儡政権の指導者たち。彼らの行動は、和平という名の降伏に過ぎなかったのか!?卑劣なる売国奴か? 火中の栗を拾った「愛国者」か? いったい、彼らは何をしたのかを明らかにする。満洲国以外にもあった、闇に葬り去られた政権が最新研究で甦る!※本電子書籍は、2019年12月に刊行された『傀儡政権 日中戦争、対日協力政権史』、21年4月に刊行された『後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』、24年3月に刊行された『後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線2』の3冊を収録した合本形式での配信となります。
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-そのとき芸能人は何をし、兵士は何を求め、戦場ではどう戦っていたのか? 時代の波に翻弄された、芸能界の人々。銃弾の飛び交うなか、慰問袋を待ち望み、戦った兵士たちの心境とは? 新資料と証言に基づく多くの逸話は読む者の胸を打つ。 戦争研究において政治的、軍事的アプローチは大量になされ、蓄積もされてきた。しかし、民衆が愛してやまない、ゆえに人々とともに戦場に動員された「大衆娯楽」、翼賛を余儀なくされた「日本芸能界」に着目、それらの地点から戦争をとらえようとする研究は手薄である。本書は、こうした先行研究の空白部分を埋めるべく、志を同じくする三者が集まることによって、各々別の角度から検証し、研究の深化を図ろうとするものである。……はじめにより
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3.3真珠湾攻撃の裏で起きていた、敗北。 41年12月以降、中国戦線では何が起きていたのか? 気鋭の中国史研究者が空白の戦史を埋める! 日本人は、日中戦争を未だ知らない。 1937年の盧溝橋事件、南京事件や38年の重慶爆撃までは有名だ。 しかし、41年12月の太平洋戦争開戦後、中国戦線で日本軍がどのような作戦を展開していたのかは、対米戦の陰に隠れ、意外な程に知られていない。 主要作戦に従軍し続けた名古屋第三師団の軌跡から、泥沼の戦いとなった中国戦線の実像を描く! 新たな日中戦争史。 ■1941年12月~42年1月、手痛い敗北を喫した第二次長沙作戦 ■731部隊の細菌戦となった戦場、浙カン作戦 ■一方的な勝利となった江南殲滅作戦。その中で起きたもう一つの虐殺・廠窖事件の実相 ■毒ガス戦と中国版スターリングラード攻防戦となった常徳殲滅作戦 ■補給なき泥沼の戦いとなった一号作戦(大陸打通作戦) 中国戦線は太平洋戦争に引きずり込まれていた! 【目次】 はじめに 第一章 最初の敗北――第二次長沙作戦 第一節 因縁の長沙 第二節 日中両軍の作戦部隊の戦力比較 第三節「天炉」の中へ 第四節 長沙攻略戦 第五節 長沙突入と敗走 第二章 細菌戦の戦場――浙カン作戦 第一節 大本営のプライドをかけた戦い 第二節 敵味方を苦しめた細菌戦 第三章 暴虐の戦場――江南殲滅作戦と廠窖事件 第一節 江南の敵野戦車を撃滅せよ 第二節 「太平洋戦争期で最大の虐殺」はあったか 第四章 毒ガス戦の前線――常徳殲滅作戦 第一節 明確な戦略なき作戦 第二節 第六戦区主力との戦い 第三節 常徳城の占領 第五章 補給なき泥沼の戦い――一号作戦(大陸打通作戦) 第一節 一号作戦 第二節 湘桂作戦 おわりに 他
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3.3七三一部隊にとどまらない細菌戦の実態 日中戦争のさなか、人体実験や細菌兵器の開発と製造に携わったとされる関東軍防疫給水部、通称七三一部隊。組織の中心にいたのは、部隊長・石井四郎を筆頭とした、日本を代表するエリートたちだった。また細菌戦は満洲の七三一部隊だけではなく、他の四つの部隊でも実行された。日中戦争史の専門家が、陸軍参謀本部の視点や作戦史も踏まえながら、細菌戦の知られざる実態に迫る。なぜエリートたちが細菌戦にのめり込んだのか? 【本書の要点】●細菌兵器はもともと対ソ戦で使うはずだった ●七三一部隊は石井四郎を中心とした京都帝大医学部閥 ●葛藤しながらも細菌兵器の製造に加担した軍医たち ●新発見! 「藤原ノート」が示す重要な事実 ●ペスト菌に感染させたノミを投下するPX攻撃 ●中国軍も細菌戦を実行していた? ●日本本土で細菌兵器が使用されたかもしれない 【目次】●序章:七三一部隊と細菌戦の研究史 ●第1章:細菌戦部隊の実像 ●第2章:細菌戦の始まり 一九四〇年浙江省寧波・衢州・金華の細菌戦 ●第3章:日中戦争最前線での細菌戦 一九四一年常徳細菌戦 ●第4章:「後期日中戦争」と細菌戦 ●第5章:華北における細菌戦 ●終章:細菌戦部隊の最後
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-汪兆銘、殷汝耕、王克敏、梁鴻志。 戦後、「漢奸」とされた者たち。彼らの行動は、和平という名の降伏に過ぎなかったのか!? 卑劣なる売国奴か? 火中の栗を拾った「愛国者」か? いったい、彼らは何をしたのかを明らかにする。 満洲国以外にもあった、闇に葬り去られた政権が最新研究で甦る! 1931年の満洲事変以後、日本が中国大陸へ進出する過程で中国人(または満洲人・蒙古人)を首班とする現地政権がいくつも生まれた。 それは、まるで操り人形のように日本側の意のままに動いたため、親日傀儡政権(中国語では偽政権)と呼ばれた。 日本が中国占領地を統治するのに必要不可欠だったその存在を抜きに、日中戦争を語ることはできないが、満洲国以外は光があたっていない。 最新研究に基づく、知られざる傀儡政権史! 「研究を始めると、中国側はやはり漢奸や傀儡政権は悪であるという前提で論じられているため、客観的分析に欠けていることがわかりました。これは戦争で被害を受けた立場であり、かつ現在の政治状況では、そのように論じてもやむを得ない事情があります。 一方、日本側は、実証面では中国側に勝っていますが、特定の漢奸や傀儡政権に関心が集中し、全容をとらえるような研究が不足していました。欧米の研究は、二〇〇〇年代以降になって盛んになってきましたが、日中の研究の蓄積にはまだ及びません。(中略) 本書をとおして、漢奸たちの本心はどこにあったのか、彼らはなぜ傀儡政権を建てて日本に協力したのか、傀儡政権では何が行われていたのか、日本軍は漢奸と傀儡政権をどう操っていたのかという点を明らかにしていきます。」 ※本書は2013年7月に社会評論社より刊行された『ニセチャイナ』を再編集し、最新研究を踏まえて加筆修正をしたものです。