あらすじ
川べりに建つハイツムコリッタ。家族も生き甲斐もなく、ひとりで生きたいと思っていたはずの「僕」は、図々しくて、おせっかいで、ダメ人間で、落ちこぼれで、繊細で、あたたかくて、人間らしい、このアパートの住人たちに囲まれ、少しずつ「ささやかなシアワセ」に気づいていく――。
大ヒット映画「彼らが本気で編むときは、」「かもめ食堂」の監督が贈る、新しい「つながり」の物語。
荻上直子監督最新作・映画『川っぺりムコリッタ』、2021年全国公開予定。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
僕=山田は特殊詐欺の前科で出所したばかり。縁があってハイツムコリッタに住むようになり、何気ない日々の中で南親子や島田、溝口親子、ホームレス、職場の社長や中島さんなど関わるようになる。
幼少期の思い出は良いものではないが、ある日役所から顔も覚えていない父の遺骨の引き取りを頼まれる。最初は拒否したが、周囲の人たちの言葉から複雑な気持ちのまま引き取ることになり、ラストではみんなと見送りの儀式をしながら、両親を許す気持ちや、幸せを求める自分を許す気持ちが持てるようになる。
ものすごい事件があるわけではないし、生きる意味なんて誰もわからない毎日だけど、山田がそれで良いと思えた時から空気が晴れて、前を向く強さと明るさが感じられた。やさしく清々しい気持ちになれる物語。
匿名
不運の中の希望
自分の置かれた環境に文句を言い続けるか、できることからコツコツ始めるか?
そんなことを問われているような気がした。
主人公は不運の星の下に生まれたのかもしれない。
クーラーのついた広い部屋には一生住めないかもしれない。
でもそれは必ずしも不幸ではない。むしろ心の平穏を保てる暮らしなのかもしれない。
Posted by ブクログ
どんなリセットボタンも、本人には救済措置だ。
ある程度のことは赦されるんだなあ、と読み終わったあとで思えた。
諦めずに頑張れっていう人もいるけど、諦めることも赦されるんじゃなかろうか。
諦めている間こそ、ちゃんと休んだり蓄えたりできるんだと思う。
諦めずに頑張ろうとするから、ちゃんと休むことも蓄えることもできないのだ。
諦めたくないことにだけピンポイントで、そのときだけ頑張ればいい。
Posted by ブクログ
高校生の時に母親に捨てられた主人公(山田)。
出所したら川べりに住み、何かを覚悟したように、ひっそりとつつましく過ごしたいと思っていた。
北陸地方にあるイカの塩辛工場に仕事が決まり、社長の紹介で、ムコリッタという名前の二階建て木造アパートで暮らすことになる。
時おりよみがえってくる遠い昔の記憶を無理やり消し去りながら、殺風景な部屋で暮らし始める様子に、せつなさがこみ上げてくる。
一風変わった、わけありの住人たちと関わりはじめる中、父親かもしれない男が孤独死したらしいので、遺骨を引き取ってほしいという連絡が入り、少しずつ少しずつ、山田の周りが変わり始める。
アパートの住人全員が家族のようにふれあったり、隣人の島田と育んだ友情に泣いたり笑ったり。
一つ一つの出来事が、映画のワンシーンのように胸に沁み込んできて、ほんのささやかなことにも生きる喜びを感じてしまう。
生き甲斐とかシアワセは、今この一瞬の中にあるのだと。
孤独の中にも、人の温かさを感じる。
この本に出会えて、ほんとに良かったと思う。
Posted by ブクログ
以前映画で見ましたが、原作を読んでみた。
読んでる間ずっと、あの炊飯器に入れる米の水を真剣に図る松山ケンイチが頭の中にいた。
映画よりより映像化して頭の中に浮かんできた。
南さんのそっけなさ、洋一のピアニカの音、島田さんの暑苦しさ、社長の「今、辞めんな」の一言。
とても良い。
Posted by ブクログ
映画の原作。刑を終えた青年が川べりのムコリッタというアパートで暮らし始め、住人や缶詰工場の人達と触れ合う中で、縁が薄かった父の死を知り、遺骨を引き取る羽目になり、亡き父と遺骨の始末について考える。
淡々としたストーリーだが平和を感じた。
Posted by ブクログ
映画を知ってから本の事も知って。迷ったけれども本から読みました。
帯に書かれている、友達でも家族でもないでも、孤独ではない登場人物達の関係。
生きるのに不器用だったり、自分にはどうにも出来ない過去を持つ人達がまた上手いとはいえない距離感で同じアパートで暮らしている。
みんな結構ギリギリな生活をしている中で互いの存在にささやかな幸せに喜びを感じ、思いやり。
映画ではその登場人物達を魅力的に俳優さん達が演じています。
コツコツと続ける。小さな幸せを感じる。
この2つを忘れなければ人は生きていけるのかもしれない。
Posted by ブクログ
映画監督でもあり脚本家でもある荻上直子さん。映画『かもめ食堂』が大好きで、私にしては珍しく3回も再見している。今回も彼女の世界観に酔い痴れた。
故郷の町に大きな川が流れていたからなのか、何となく川べりに惹かれる。海とは違い、川に沿って住居が立ち並び暮らし向きがかいま伺える距離感が良いのだ。
川っぺりに佇む築50年の「ハイツ・ムコリッタ」が物語の背景となる。まず表紙の裏にムコリッタの意味が小さな文字で説明されていた。「ムコリッタ」は「牟呼栗多」と書いて仏教用語における時間の単位のひとつ、ここでは「ささやかな幸せの時間」という意味のタイトルとなったのだろう。換算すると1ムコリッタは48分。つまり人生は長いというものの、実は48分位の短い生涯を私たちは生きているということだろうか。
「ハイツ・ムコリッタ」の住人ですでに亡くなっている岡本さんが、美しい紫色の夕暮れを見ながら呟いていた言葉が「せつな(刹那)、たせつ(多刹那)な、ろうばく(臘縛)、むこりった(牟呼栗多)」。通常使われている刹那は0.013秒とのこと! 「この紫色が生まれて消える間に、誰かが生まれて誰かが死んでゆくんだ」。歳を重ねるにつれ実感できるようになってきている。
孤独な青年・山田は、北陸の川沿いの川っぺりに建つ「ハイツ・ムコリッタ」住人の仲間入りをする。彼は刑を終えて出所したばかりで、彼の秘密を知っているのは山田が働く小さなイカの塩辛工場主だけ。川っぺりを選んだのは、自然災害で突然日常が消えることもあるかもしれないというギリギリを味わうことで、生きている実感を確かめたかったからだ。隣の島田、大家の南さんとその娘のカヨコ、201号室には墓石の訪問販売をしている溝口さんはいつも黒スーツを着ていて、息子の洋一と2人暮らし。離婚後音沙汰のなかった父親が亡くなったという知らせが山田に届く。受け入れられなかった父親を山田が徐々に認めていく過程が、ムコリッタの住人達や工場での同僚との暮らしの中で淡々と語られる。
ムコリッタに住む山田の友達でも家族でもない血縁関係者でもない住人達たちとの交流が描かれていた。私も故郷を離れ、息子らが巣立ち現在は夫との二人暮らし。最近は、年老いた隣人たちをつかず離れずの距離感を保ちながら、幾分若い自分たちが見守りあい暮らしている。規模の大きい大型団地だが共に年を重ねた住人たちとの触れ合いは捨て置けない。偶然にその場所を買い求め子育てを終え長く住み着き暮らしたもの同士が、互いに静かに見守り寄り添いながら日々を送っている。
だからか、ほどあいを守る住人同士の触れ合いを描いたストーリーは心に染み入って来る。
Posted by ブクログ
映画見てないのだけど、じんわり優しい時間が流れていて好きな感じだった。
刑務所から出てきた山田が、自分の人生に意味を見いだせず、身を寄せた川っぺりのハウスムコリッタ。風変わりな人達が肩を寄せるように住んでいるその場所で、山田は少しづつ自分を取り戻していく。再生の物語は沢山あるけれど、なにか劇的に変わるでなく、こんな風に小さい幸せを噛みしめるように生きることが救いになるのは、すごく自然な気がして、読んでて安心した。
ムコリッタって仏教の時間の単位で48分のことらしい。
何でもない1日に少しづつの変化。その変化の中にひとりじゃないと思えるひととき。そんな変化はただ生きて、積み重ねることでやってくる。
雨空の隙間の空にぴったりな小説だった。
Posted by ブクログ
言葉の意味を全く知らなくて、その響きだけで何やら可愛らしいものを想像して読み始めたら…
生や死についてあらためて向き合う時間になった。
自分の生きている時間を、どんな気分で生きるかは自分で決められるんだよな。
どこかほわっと温かくなる、生きる糧になる作品でした。
Posted by ブクログ
2022年映画化、荻上直子さん映画監督・脚本家
だからであろうか、読み初めからリアルに映像が浮かんでくる
ムコリッタ=48分(仏教における時間の単位)
登場人物の共通点は『死』
『死』は不意に訪れ、生と死の境は曖昧であり、空の色が青から紫に変わっていく程のもの
生と死の間の時間を『ムコリッタ』と表現
「生まれた時からついていない、なんで生まれてきちゃったんだろう」
そうそう、生まれてきた時から人生は平等ではない
訳ありの過去を持ち、誰とも関わらずに生きていくことを決め、イカの塩辛工場で働き始めた山田は、見知らぬ町の川っぺりのぼろアパート「ハイツムコリッタ」で生活を始める
しかし、山田と同様訳ありの生活をしている住人達と触れ合う中で、山田は安らぎを感じ始め、寄り添って生きていく本当にささやかな幸せを噛みしめるようになる
「些細な出来事ひとつひとつにシアワセを感じていればなんとかなる」と山田は言われる
良い言葉であるが、逆を言えばそういう言葉しか掛けられない状態であるという事
それ相当なものであるだろうし、人生簡単に好転するものではない
『ひとつひとつ丁寧に生きる事』『当たり前の事』が大事だと思った
それと同時に食べ物や生き物を大事にする事も
著者は語っている様に思う
人の温もりを感じて優しい気持ちになる話だろうが、それだけではなく心が痛く考えさせられる作品であった
読んでいると、美味しい炊き立てご飯をもりもりッ食べたくなる!
そして映画は観ていないが、隣人の島田役がムロツヨシさんのイメージぴったり!で笑った(^o^)
Posted by ブクログ
映画監督・脚本家である荻上直子さん作品。
主人公は、刑務所から出所間もない(凶悪犯ではありません)孤独な青年・山田。誰にも関わらずに、慎ましく目立たず、ひっそりと暮らしていこうと川べりの地へやって来ました。
世の中から取りこぼされたような古いアパートの住人等との交流を通して、自分を見つめ直し社会との接点を見出していく物語です。
誰かと一緒に食べるご飯、やむなく引き取った父の遺骨、孤独死した父が電話していた「いのちの電話」、単調なイカをさばく仕事、いろんな事情を抱えた周囲の人たち‥。
北陸の地域性もあるのでしょうか? アパートや職場など、小さなコミュニティーの穏やかな生活の中にも、小さな幸せがあることにゆっくりと気付いていきます。そして、ギリギリの生活でも、ささやかなシアワセを細かく見つけていけば、なんとか持ちこたえられることを実感していきます。
そりゃあ、一人よりは近くに〝誰か〟がいた方が何かといいんでしょうが、当然、人と関わることで煩わしさは避けられませんね。生きることに執着がなく、いつ死んでもいいとか思う人でも、最期独りじゃ寂しいはず‥。
人生や人の生死の切なさがじんわりと伝わりながら、ささやかな幸せを見つけ直したいと思わせてくれ、なぜかホッとする物語でした。
Posted by ブクログ
荻上直子監督の『かもめ食堂』『めがね』を観たことがあり、あの世界観が大好きです。
この小説も、きっと主人公は無表情だったり戸惑ったりしていて、周りの登場人物の突拍子もない動きにキョトンとしているんだろうなぁ、と妄想しながら読みました笑
家族も生き甲斐もない主人公の山田。唯一の望みは川っぺりに住むこと。台風で流されるかもしれないし、いざとなればいつでも飛び込むことができるから‥‥。
そんな山田が住むことになった川っぺりの“ハイツムコリッタ“にはワケありの人たちが住んでいて、図々しく部屋に上がり込まれたり、挙げ句の果てには昔から住んでいたおばあちゃん幽霊に会い、みんなに羨ましがられたり。
自分の人生なんてどうでもいい、と思っていた山田がご近所さんと繋がっていくことで、初めていつまでもここにいたい、と思うのです。
この物語には“丁寧に生活する“という表現が出てきます。なんの変化もないつまらない毎日かもしれないけれど、同じことを変わらず続けること、“丁寧に生活する“ことがいかに大切であるか。誰もがいつの間にか歳をとり変わってゆくように、毎日続けていればいつの間にか変化していることがある。
この小説、実は母親に捨てられるところから始まるのです。そんな不穏な雰囲気から始まる物語なのに、いつの間にかニヤニヤしながらの読書になっている‥‥荻上マジックですね笑
登場人物誰もが哀しい何かを抱えているのに、なんだか笑えてしまう。そんな夏の夕暮れ‥‥
この夕暮れの描写がなんとも美しいのです。
主人公山田の心を映しているであろう、この夕暮れ。
スーッと映像が浮かび上がります。
夏の夕暮れ。不思議と子どもの頃を思い出します。そして親しい大切な人を思い出すのは私だけでしょうか?
小さな幸せの一冊でした。
Posted by ブクログ
人は一人では生きて行けない。
自分の人生は最悪でどうしようもなく、ここから這い出ることなんて出来ないと思っていても、たった少しの優しさや幸せを感じることが出来たら「生きたい」と思える。
Posted by ブクログ
出所した一人の男性が川のそばのアパートで暮らしていく話。
毒々しくなく、読みやすい。
後半展開が急だなと思ったけど、そこまで気にならない。
Posted by ブクログ
世間に馴染めない人たちが住んでいるアパートでの物語。素朴な毎日でも些細な出来事で一喜一憂する。それが生きる喜びであり、幸せの形なのかもしれない。
今この瞬間も誰かが死んで誰かが産まれている。この先、意識して時間の流れを楽しみたい。
Posted by ブクログ
2、3度読み続けられなくて、寝かせてあったんだけど、読みどきは今だったみたい。私はムコリッタには、住めない。川の向こう側から眺めるか、工場で黙って働きながら見ていたい。