あらすじ
カントは,「善く生き」,その結果「幸福」になる「最高善」と,政治的最高善としての「世界平和」が,どうしたら実現できるか生涯考え続けました.『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『永遠平和のために』を一緒に読み,自分にとっての幸せとは何か,考えてみよう.「自分で考える」ことは,大人への道なのです.
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Posted by ブクログ
なぜ自分で考える「勇気」なのか。
なぜ考えることに「勇気」が必要なのか。
クリティカルシンキング
『イドラに取り憑かれるな』(F・ベーコン)
道徳的に生き、人間の内なる悪との闘いに勝たなければならない。
Posted by ブクログ
大人になるとは自分を取り巻く文脈を十分に理解していることであり、大人としてよりよく生きるとは、その文脈のなかで自分が持っている役割をよりよく果たせることだ。こんなふうに言う「大人」もいるかもしれません。そうだなあ、と納得する人もいるでしょう。この世界に産み落とされ、なんらかの文脈(地域、文化、言語)で育ってきたのだから、この文脈のなかに留まるかぎり、学ぶべきは自分が属している文脈と自分の役割なのだ、と。
他方、大人になるとは自分を取り巻く文脈から距離をとって自分自身で立ち、そうした文脈を配慮しつつも、自分を見失うことのない人だ。こんなふうに言う「大人」もいるかもしれません。大人と子どもの違いは「自立」しているかどうかに、はっきり見て取れると考えるからです。
どちらの立場も一面的です。前者については、文脈そのものがおかしなこともあるのだから、そんな文脈のなかで役割を担うことなんてしたくない、とつぶやく人もいるでしょう。そういう人は、自分の生き方が文脈だけによって決められるものとは思わず、自分も文脈のよしあしを判定する立場に立てると思っています。もっと言えば、そういう人のなかには、自分こそがよりよい文脈のはじまりとなれるし、なるべきだ、と思う人もいるかもしれません。後者についても、大人の自立などまぼろしではないか、という疑問がわいてきます。自立して生きるためには、一般的には、働くことが必要だし、働くためには職場が必要で、その職場に就職するとは、そこに役割を見つけることなのです。大人だってなんらかの文脈に属してそれに依存しているのです。