あらすじ
マネ、ドガ、ルノワール。誰もが知る「印象派」だが、モネの《印象―日の出》が「印象のままに描いた落書き」と酷評されたのがはじまりだ。風景の一部を切り取る構図、筆跡を残す絵筆の使い方、モチーフの極端な抽象化など、まったく新しい画法で美術界に旋風を巻き起こしたモネ。その波乱に満ちた人生を、アート小説の旗手が徹底解説。
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Posted by ブクログ
原田マハ自身の美術界へ足を踏み入れたきっかけ、題名通りモネの一生を世界情勢や実際足を運んで見た景色を交えて書かれていてとても分かりやすかった。
お金が無い中オシュデ家族を受け入れ、養い、妻が亡くなりそれでもオシュデ家族を養い続けた懐の広いモネを芸術家としてはもちろん人間としてももっと好きになれた作品。
1番印象に残ったのはモネが描いた「日傘をさす女」は3枚あり、一番最初に書いた絵は妻カミーユと子供をモデルとし、顔までしっかり描かれているが、2、3枚目に描いた絵では妻が亡くなり、第2の妻となったオシュデ アリスの娘シュザンヌをモデルとし、顔をぼかして書いてある。
妻が亡くなってから女性の絵をほとんど描かなくなったと書いてあり、やはり再婚してもカミーユを愛していたんだなあと思い素敵な人だと感じた。
あとは印象派は西洋美術の新しい道をひらいた派閥で、新しいもの、物珍しいものが好きだったらしく、鎖国が終わり日本の美術がヨーロッパなどに持ち込まれた時に浮世絵など日本の独特の文化を好んで、実際描いていた事が何よりも嬉しかった。
Posted by ブクログ
あーーー、エッセイかーーー!
ってなりました。元々苦手なので。
でも、マハさんのことばっかりという訳でもなく、世界の美術館の事を多く書いてくれてたから楽しかった!こんな薄いしちっちゃいんか(1冊が)っていう印象もでかい笑
Posted by ブクログ
印象派に日本の美術が与えた影響が書き記されている。浮世絵は確かに荒波の力強さや、富士山の雄大さ自体を描き、降りしきる雨や光自体を描いている。けれども「自然の美しさに西洋の風景画が気づくのは意外に遅く、純然たる風景画は十八世紀にならないと登場しません。」だそう。
「モネは花や木を、命が宿っているように描きます。それは日本人の感覚と似ています。私たちは巨木があれば尊さを感じ、日向に小さなスミレの花が咲いていれば話しかけたくなります。そこには自然の中に神や命が宿るという、日本古来の自然観が染みついています」
我々日本人は自然は御するものではなく、あらがわずに神に祈り、調和するという価値観を生まれながらにして持っている。
先人たちの先見の明のお陰で、日本には優れたモネの作品が多くある。その恩恵でモネの絵に慣れ親しむことが出来る土壌がある。
「モネの見た自然の美しさ」を感じ取る力が元々備わっていて、それを育む土壌がある。そんな事を教えてくれた本。この本を読んでモネを見に行ったらまた、新たな感情でモネの絵と向き合えると思う。
「ジヴェルニーの食卓」も読もう。
そして、いつかフランスに行って、朝のオランジュリー美術館を訪れよう(ここまでモネの特別な美術館だとは知らなかった)。自然光のさす中で決して閉じることのない睡蓮に囲まれて、「美しい自然を描けるモネの喜び」を感じたい。チュイルリー公園で芝生に座ってサンドウィッチを食べてマルモッタン・モネ美術館にもお散歩したい。シヴェルニーに出かけてそば粉のガレットとシードルも頂かなくては。
「世界が完全に閉じてしまったいま、この瞬間、それでもモネの睡蓮は花を咲かせている。そして、決して閉じることはない。その事実に私は胸打たれた。どうしたって起きてしまう人生の不幸、避けられない災厄、世界を覆い尽くす不穏。それらに抗って睡蓮は花開いている。クロード・モネは、自然の摂理にままならぬ人の営みを重ね合わせて、大丈夫、いずれ花は咲くのだから ― と、諭してくれているのではないか。そう気がついて私の心に希望の灯火がともったのだ。」あとがきにあるこの一節を読んで期せずして涙が出た。
今、日本に来ているモネの絵を見に行こう。
作品に宿るよろこびを感じに行こう。
そんな事を思わせてくれる作品でした。