【感想・ネタバレ】手話の学校と難聴のディレクター ――ETV特集「静かで、にぎやかな世界」制作日誌のレビュー

あらすじ

東京都港区には、日本でただ一つの、「日本手話」を第一言語とした教育を行うろう学校がある。その名は「明晴学園」。2017年の春、この学校の子どもたちを主人公にしたドキュメンタリーを撮影するために、一人のTVディレクターがこの学校を訪れた。実は彼女も難聴者だ。聞こえる人と共に仕事をするなかで、様々な葛藤を抱えていた。「「共に生きる」はきれいごと?」「私は社会のお荷物?」。難聴のディレクターが手話で学ぶ子どもたちの姿を通して日本社会の現実と未来を見つめた、一年間の記録。

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Posted by ブクログ

明晴学園の短い紹介動画を見たことがあり、そこに映っていた子供たちの、とにかく明るく楽しそうな様子が印象に残っていて本書を手に取った。
手話で話す人は表情豊かだと思っていたが、補助的なものではなく、顎や眉の動かし方で意味が変わるというのは初めて知った。
第一言語(母語)を獲得することは思考能力を育む上で大変重要だと思っているので、明晴学園の教育方針には賛同している。卒業後、聴の世界に出たらどうするのかという批判はやはりあるようだが、それについていくつかの答えは本書に登場する子供たちが出している。学校生活の体験はその後の人生に大きく関わるので、未来を見据えすぎるよりのびのびと母語で過ごした方が単純に良いのではと思った。
生徒たちが日本語で書いた作文は拙いというか自然じゃない部分があり、日本手話と日本語が別言語であるということがよくわかった。

(疑問:今度調べたい)
聴者の家庭に生まれたろうの子はどうやって日本手話を身につけるのか。日本語対応手話なら聴者の親もなんとか身につけられる気がするのだが、文法が異なる日本手話は難しいのではないか。母語の獲得=日常的に聞く(見る)ことが必要だと思うので、一体どのようにしているのだろう。それともろう者は全員日本手話が話せるわけではないのだろうか。

ニュースの手話通訳は日本手話と日本語対応手話どちらなのか。

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2024年03月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

日本で唯一日本手話で学べる学校を取材したのは難聴のディレクターだった。

【瞬読72冊目毎分7000文字】

瞬読会員、アサカツメンバーの河上さんお薦めの本。
ETV特集「静かでにぎやかな世界」制作日記。
子供たちは手でしゃべる。
「世界は一つなのに学校を出ると分かれてる。ふしぎ」
音がなくて番組として成り立つか?ナレーションは入れるか?→感情は表情に現れる。手話はわからなくても感情は読める。通訳のタイムラグなく表情を取ることができた(カメラマン)
「聞こえるようになる薬があったら飲みますか?」
☆色々な意見が出たが、驚く答えが多かった。
ここはサンクチュアリ。外に出たら障害がたくさんある。
☆一つ一つを共に解消していく努力をしていく必要があると感じた。

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2021年12月30日

Posted by ブクログ

この本を読むまで、障がいの社会モデルという考え方が定義的な理解で留まっており、それがつまりどんな意味なのか掴みきれていなかった。しかし、この本の一節の「障害は自分のなかにあるのではなく、目の前にある壁そのものが障害だった。どけてほしくて、悲しくて、涙がこみあげてきた。」という著者の経験に根ざした言葉がとても刺さって、障がいの社会モデルの意味するところが腑に落ちた気がする。
引用した一節は本の序盤に登場するが、ここから、著者と周りの人の協働により作品を作り上げるまでのプロセス1つ1つはとてもダイナミックで、一気読みしてしまった。番組は見ていないけれど、元気はつらつとした子どもたちの様子が思い浮かんで、まるで本に登場する人々に出会ったかのように錯覚してしまうところもこの本の大きな魅力だと思う。
今は感動する話として受け止められる内容だけれども、時を経て、将来この本を読む人が「障がいを持っているだけで、働くのが大変だった時代があったのか…」と逆に驚いてしまう未来が早く来たらいいな、とも願ってしまう。この本はきっと、そんな未来に繋がっていると思う。

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2021年08月12日

Posted by ブクログ

ろう者に憐れみの感情を向けさせたいのではなく、人の個性として、その生き方に誇りを持ってる人として描く。
一人一人には”違い”があり、各々がそれを楽しみ、互いに尊敬し、一緒に生きようとする気持ちを作るために作った番組。


本文では簡単に書いているけれど、これを映像で伝えるってものすっごく難しいことだと思う。作り手として尊敬します。すごくフラットでした。長嶋さんをはじめ、多くのひとの気持ちが載った番組だったからできたのだなあと思いました。


制作の際に、自分の思い込みをどうやって取り払ったのか。もう少し詳細に長嶋さんに聞いてみたいと思いました。



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2021年07月24日

Posted by ブクログ

相当よかった。要点をまとめるなら、「著者は、誰かの可能性について、その人だからわかることがあるをことを理解した」という話であると思う。

ろう者の著者が、ろう学校のドキュメンタリーを撮るなかで、ろうの学生がろうであるなかに可能性を見出していることを知り、また聴者の視聴者や他のディレクターなどが、ドキュメンタリーを受けて何ができるのか問われ、それに対して応えていくことができることを知った。

気を遣って、聞かない方がいいことや、ここまで踏み込まない方がいいこと、という壁を自分で作りがちだが、大方の予想に外れて本人はもっと可能性を持っていたりする。そのとき、当然信頼関係がある上で、だが、一歩踏み込んでいい、と勇気づける。著者がろう者と聴者と両方いたからこのドキュメンタリーができたと語るのは、まさに両方の視点で両方の可能性を広げるドキュメンタリーとなったからだと思う。

多様性は、違いのある人間がお互いの可能性を問いかけ、お互いにこれを広げ合うことができるという意味で面白いと思った。

あとめっちゃ単純に、日本語対応手話と日本手話が別物で、かつ日本手話は日本語と別文法の別言語で、日本語に訳すのが結構難しいということも知り面白く、また勉強になった。さらに、この本のクライマックスの一つであると思うが、「耳が聞こえるようになる魔法の薬があるとしたら、飲みたいか」という問いかけに対するろう学生たちのこたえは当然のことでありながらも、自分の常識を反省した。

読みやすさ、見聞を広げてくれる、視野を広げてくれる、重要なテーマを扱っている、などの点でとても良い本である。

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2021年06月28日

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「校内にいると、私たちNHKロケスタッフは手話がわからない“マイノリティ”だった。しかし、子どもたちは言葉が通じなくても、私たちに物怖じすることはなく、バンバン手話で話しかけてきた。(…)私たちに友達自慢を始める。そして先生に授業が始まったことを注意され、慌てて席につくのだった。」

「しかし校門から外に出ると、立場は変わる。手話の子どもたちは”マイノリティ”になり、日本語音声で話す私たちが“マジョリティ”になる。今の社会は、マイノリティを受け入れる懐の深さはあるだろうか?子どもたちのようなおおらかさはないような気がした。」

「生徒の一人があるときこんなことを言っていた。『本当は、世界は一つなんだけど、学校を一歩出ると世界が分かれて見える。ちょっと不思議な感じ』」

ここで書かれているある社会、コミニティにおいて「マイノリティ」と「マジョリティ」が逆転する様はジョン・ヴァーリイの短編「残像」でも描かれていた。何度か読むうちに「社会モデル」という考え方を知って、それを強く意識することになるのだけれど、「残像」の世界の盲ろう者のコミニティでも、ここで書かれている子どもたちと同じようにその社会との間に「障がい」のある「マイノリティ」をおおらかに受け入れていた。
より大きなコミニティ、「今の社会」ではたしかに「マイノリティを受け入れる懐の深さ」や「おおらかさ」は「ある」とはいえない。そこにある差はなんなのだろうか。そのコミニティ、社会の成り立ち、立ち位置を自覚しているからか、あるいは「今の社会」からの扱いを経験しているからだろうか。

「子どもたちみんなが“母語”を持つ、そして自信を持って使える言葉を持つということ」

「自由に思考できる手話という言葉を持ち、そしてその言葉で通じ合えるからこそ、対話し、考えを深めることができる。改めて、人は言葉とあり、言葉と共に生きていくのだ」

日本語でもなく日本語対応手話でもなく、彼女彼らが自由に思考でき話し使うことが出来る独自の言語である「日本手話」で(「を」ではなくて)学ぶこと。それはろうであることを否定されずにそれも含めたそれぞれのアイデンティティを獲得していくということでもあって。その獲得するという行為を自覚的にする、ということも「アウトサイダー」を受け入れるおおらかさに繋がっているような気もする。
しかし、それを学ぶ場は「マイノリティ」と「マジョリティ」が逆転する様なある種の閉じた小さなコミニティでもある。それを描いたドキュメンタリーを観た視聴者からは「手話のまま社会に出たら、どうするのか?」(を共に考えるのがそのドキュメンタリー制作の目的のひとつだけど)という意見が寄せられる。たしかに、と少し思ってしまう。それでも、コミニティを出た卒業生(舞台となる学園は中学校まで)たちは外の「社会」に無理に合わせようとすることなく、もしかしたら圧力に抗いながら、「社会」との間にある障がいを改善し取り除くために高校に大学に社会に、アイデンティティと自信をもって働きかけていく。社会に影響を与えながら「入って」いく。
手話による教育を受け、自由に使える言語とろう者であることも含めたたしかなアイデンティティを手に入れた彼女彼らはしなやかでしたたかでとても強くみえる。屈託なく引け目も感じずに将来の夢を語る彼女彼らの姿には、勇気を貰える。遠慮なくそう思いたい。

著者であるディレクターも悩みながらする「聞こえるようになる魔法の薬があったら、飲みますか?」という質問がある。直接的には書かれていないけれど「残像」にもこれと同じような問いが含まれている。その短編で盲ろう者のコミニティからこのような問いを向けられる(と思ってしまう)のは見え聞こえる男と第二世代の子供たちだ。その社会、コミニティに本当の意味で参加する、真のコミニケーションをするためには「マジョリティ」と「同じ」でなければならない。暗にそう迫ってくるような質問は、子どもたちへのそれは仮定であることで更に残酷だけれど、小説においてはそれが実行可能なことだけに衝撃的だ。それに思い至ると、この物語は裏表紙にあるような「感動的」なだけの物語とは思えなくなる。

「マジョリティ」と「同じ」でなければ、その社会に真の意味で参加することは出来ないのか、社会に参加するためには「マイノリティ」がリスクを負わなければならないのか。
「魔法の薬」の質問に子どもたちの殆どは「今が幸せだから」「聴者の社会にはろう者として入っていきたい」からと飲まないことを選択する。手に入れることの出来たアイデンティティの力強さとそのなかにあるポジティブさを感じる。

「今まで、ろう者としてアイデンティティーや文化を身につけてきたので、さらに薬を飲んで、聴者の世界のことを知れば、ろうのことも聴のこともわかる人間として、新しいものを生み出せると思う。新しい社会や学校とか……これまでにない何かを生み出せると思う」

「聴者の気持ちを知りたいから。その薬を飲んで聴者になって、ろう者を下に見るようなその見方を知る。聴者のその見方は本当に正しいのか?もし僕も正しいと思ったら、どうしたらいいのか、自分が考えることができると思う」

さらに魔法の薬を「飲む」と答えた生徒会長と卒業生の言葉を読めば力強さの先に希望も感じることが出来る。これが仮定の質問の答えだとしても、彼らは「分かれて見える」世界は本当はひとつだと知っている、その世界が変えられると信じている、変えるためにはどうすれば良いかと真剣に考えようとしている。さっきの「『マジョリティ』と『同じ』でなければ、その社会に真の意味で参加することは出来ないのか」という問い(があったとするなら)には、そんなことはない、なぜならわたしたちはわたしたちのままでその社会の方を変えることが出来るから、と勇気と自信を持って答えているように思える。
そんな風に思えれば、わたしにも「今の社会」が無理な順応を迫ってきたり、それが出来ない人々を切り捨てようとするとき(今だ)、それに抗う勇気が湧いてくる。

勇気が湧いてくるような本を読むと、まとまらないまま文章が長めになっていく気がするけれど、こういうのはほかほかの状態で言い訳で形が変わらないうちに一旦書き残しておきたい。

ジョン・ヴァーリイの「残像」は今のハヤカワSF文庫だと「逆行の夏 ―ジョン・ヴァーリイ傑作選―」でも読めるから是非。と言いつつ、短編集『残像』の方がジャケがカッコいいからおすすめだし、古本で買うと今の新品の傑作選より安い気もするけど。

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2025年10月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

NHKの難聴のディレクターが著者。

第一言語である日本手話で学べる、日本唯一の学校、明晴学園。
静かでにぎやかな世界
日本手話がわかる人にとっては、本当ににぎやかで子供たちの笑顔が絶えない。でも日本手話がわからない人にとっては音声を発しないとても静かだと感じる。

北海道のろう学校で色々と問題が起こっているが、第一言語で学べる学校が増えることを願う。
それが子供にとってどれだけ大切な場所なのか…

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2022年11月05日

Posted by ブクログ

後半の番組の制作の部分は、実際に放送された番組の内容に近かったから、見たことない人はより楽しめるかも。
手話の世界に触れたことがない人でも、日本手話と日本語対応手話の違いについて、難聴であるものの手話は詳しくない作者の経験を元に解説されているから簡単に理解できると思う。
明晴学園で手話を第一言語に自分の意志をもつ子どもたちを感じて、改めて言葉の持つ力について考えさせられた。

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2021年01月28日

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