あらすじ
「明日死ぬとして、やり残したことはないか」?そう問われて戸惑わない人はいないだろう。だが84歳の著者は自信をもって「ない」と言えるし、死という未知なる体験が楽しみですらあるという。どうすれば、そんな境地に達することができるのか? 本書では著者が日頃から実践し、明日死ぬと言われても穏やかに受け止められるという44のレッスンを初披露。自らの死について考えることは、よりよく生きることにつながる、と納得できる一冊。
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Posted by ブクログ
いくつか好きなフレーズ
人は生きたように死んでいく
「いつ死んでも後悔する」生き方もいい。
死ぬ時が一番個性的
いつからだろう、
「死」を意識しだしたのは。
こういう本は何冊か読んだ。
先のことを
これはやっておきたいと
日頃から思っていることが書いてあって
うんうん、確かに!とうなづきながら読んだ
本当に好きなものに囲まれる
うまいものを食う
好きな食器を使いたおす
自分の死のイメージを作る
会いたい人に会う
肉体は無くなっても魂は残る気がするし。
きっとだれかの記憶の中にはいつまでも
居座り続けているのだと思う。
自分自身、義理父やおばあちゃんのこと
いつになっても覚えているし
ふとした時にそばにいて
話している感覚になる。
かわした言葉やものごしとか。
昔の懐かしさじゃなくて、今そばにいる気がする。
まぁこれから後、何十年か
生きていかないといけないわけだし。
日々心地よく自分らしく
生きたい、というのが正直な気持ち。
一生死なないのと
1週間で死ぬのとどっちか選ばなくては
いけないなら、1週間を選ぶ。
で、死ぬ日にちを教えて欲しい。
だからこそ、ここに書いてあるように
死のイメージを作っておけばいいのかもな。
葬式の花は絶対ひまわりにして欲しい!!!
Posted by ブクログ
生き方を尊敬する下重さんの「死」に対する向き合い方のお話し
自分は下重さんのように自分を律して、落ち着いた人間になれるだろうか?
そこまで清らかに生きること、死に向き合うことが出来るだろうか?
不安な気持ちや、「そこまでできない」という揺れ動く自分の気持ちを感じながら読み進めていました。
終章の良寛様の一説がとても腹落ちします。
最後は共感して気持ち良く読み終えることができました。
「自分もきっと、こういう人になりたい」
そう感じるばかりです。
Posted by ブクログ
すごく素敵な本だった。死に方は生き方。
この本を通して毎日の小さな決断たちが自分の人生を決めてるってことに気づいてすごく刺激をもらって考え方が少しレベルアップできた気がする。毎日に流されて決断を放棄することほどつまらないことはない!1日精一杯いきる、1日の中で一瞬一瞬を大切に精一杯決断して、明日死んでもいいくらい今日を大切に生きる。人生はその積みさね。自己表現をすることを忘れない。ユーモアをもって、来るかもしれないものを恐れるのではなくくるものはくる、とどーんと構えて生きていきたい。
2022.10.11
Posted by ブクログ
付箋をつけた場所が5ページもあった。
明日死んでもいいということは健康だから言えること。明日死んでもいいと思えるためには今が充実していなければならない、そのためには体の手入れはいつもしておかなければならない。
など、わかってるよ!ってことがほとんどだけれど再度チェックしなければと思った。
災難にあう時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時は死ぬがよく候 良寛さんの言葉を引用し火事になったら地震がきたら、と怯えて暮らすことはない、と書いている。しっかり準備をしたらどんと構えて心安らかに生きることができる、、、らしい。
Posted by ブクログ
人生に後悔は付き物。後悔は概ね他人任せの場合の選択、決断だったりする。だから自分自身で考え、決断し、行動することは大切なこと、と言う。中でも気になったのが「常に身綺麗にして、身元がわかるものを携帯する事」「個性を引き出す・遺すものを作っておく事(辞世の句など)」。いつどこで亡くなるか、怪我するのか、大事に至るのか、それを考えるととっても重要であり「自分が生きた証」を作っておくことも遺族には大切だと、切に思った。
Posted by ブクログ
人生のてっぺん(死ぬとき)に向けて、今できる準備を行うとともに、家族のことを思い、自分らしく生きるためのレッスン。参考になりました。
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・私のモットーは「仕事は楽しく、遊びは真剣に」
・奥様を先に亡くされ、世田谷区大原のお宅にお嬢様と二人暮らし。床に臥せてからは、誰にも会わず少しずつ食を断ち、大好きなお酒も飲まず、水だけは飲まれていたのを少しずつ減らし、ついには一滴も口にせず、臨終を迎えられた(暉峻康隆(てるおかやすたか)早稲田大学教授)
~これも自死の一種だと思う。
・「死ぬとき、そこが人生のてっぺんだ」(むのたけじ/言論人)
人は死ぬ時が一番個性的であるべきなのだ。
・ある程度の年になったら、一人で外を出歩く時は、何かあった時のために自分の名前や住所、家族の電話番号をメモしたものを財布にでも入れておいた方がいいと思う。
・私は日本尊厳死協会から書類をとりよせており、いつでも書き入れれば提出できる状態にある。
・(墓参り)これらは死者のためのものではない。生きている人のための行事であり、明日死んでもいいためのレッスンなのだ。
Posted by ブクログ
-2021/03/07
▶︎死を特別なものと捉えるから、ジタバタする。「永遠の眠りにつく」との言葉があるように、「眠りの延長である」と考えると、気が楽である。「明日死んでもいい」とは「今日一生懸命生きる」ということだ。
Posted by ブクログ
感想
- メメント・モリ(死を忘れるな・死を恐れるな)→死を忘れないからこそ今を大事に生きられる
- 好きなものに囲まれて生きたい→愛着を持って日々を過ごしたい
本を読む前の問い
■何を学びたいのか?
- 毎日を死んでもいいと思えるほどの生き方を学びたい
■それを学んで自分はどうなりたいのか?
- 毎日を後悔しないように生きたい
■いつまでにそれは達成するのか(期限)
- 死ぬまで
■どのような成果、結果が欲しいのか?(ゴール・目標)
- 毎日寝る前に今日はやりきった、このまま眠りについてもいいと思えるほどの人生の達成感
今後の行動
■具体的なアクション
- 毎日を後悔しないように生きる
- 死を忘れない
■3ヶ月後に自分はどうなっているか、どうなっていたいか?
- 寝る前に今日も一日やり切って後悔しないように寝る
Posted by ブクログ
ファーマータナカの本棚「明日死んでもいいための44のレッスン」。
メメント・モリという言葉がある。
ミスチルのヒット曲「花」のサブタイトルにもなっていて、何かカッコいい語感。
メメント・モリ(羅: memento mori)とは、英語だと「メメント」は「memory」で、心にとどめる=忘れないということ、「モリ」は、「mortal」で死すべき=必ず死ぬということ。
だから「メメント・モリ」とは、「死を忘ることなかれ」。
いいかげん死を意識すべき歳である。
但し古代では、「食べ、飲め、そして陽気になろう、我々は明日死ぬから。」という趣旨だったそうで、出来れば古代に戻りたい。
下重曉子85歳は矍鑠とし過ぎ、44のレッスンは一々御尤も、今回はその中で、「30 辞世の句を作る」にトライしてみる。
Posted by ブクログ
そんなことないよな、と反論したくなるようなところがいくつかあった。
感じ方の違いなのだから仕方ない。
とはいえ下重さんの本は好きで、何冊も読んでいる。
私には真似出来ないくらい精神的にも経済的にも自立しており(尊敬)
だからこその違いがあり、気になり、読みたいんだろうなと。
明日死んでも良いための44のレッスン、コロナの話も入っており、新鮮な気持ちで読めます。
Posted by ブクログ
44のレッスンは多すぎる、そんなに死ぬことを意識してはいられない。というのが正直な感想。
著者は84歳、私は40才。
そこが大きな違いかな。
いや、仮に80代だとしても多すぎる。私はもっとシンプルに生きることを生きたいタイプだ。(自分中心とも言う?!)
今まで通り、自分が思うように生きて死のうと思う。