あらすじ
今度、学校で演劇のオーディションが開催される。ぼくは、女神の役をやりたい。「男子が女子の役をやるんだって!」と言われるだろう。けれど、ぼくは自由に自分らしく生きたい。本物の女の子になりたい。――12歳のグレイソンは、一歩、進みはじめる。
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Posted by ブクログ
『むらさきのスカートの女』(今村夏子)を思い出すために読もうと、キーワードで選んだ『ぼくがスカートをはく日』(エイミ・ポランスキー)。
今回は【トランスジェンダーの小学生6年生が持つ苦悩の話】でした。
偶然ハトシェプスト興味で選んだ『碧いホルスの眼』(犬童千絵)を並行して読んでいる事もあって、
「この事で悩む人は昔からいるんだな」って思ったかな。
さらに主人公の場合、自身の考えを尊重してくれた両親を交通事故で早くに亡くしており、心情はさらに複雑なもの。
先日読んだ『違国日記』(ヤマシタトモコ)では高校生主人公も似たような境遇にあった事を思い出し、読後こんな近日中に類似ストーリーを読む事になって驚いてました。
それでも「自分はこうありたいんだ!!」っていう気持ちを持ち、興味を持った演劇で与えられた役を演じ切ったその姿は本当にカッコ良かった。
最後の【普段の生活面でも自分を出していく事を決意して終わるシーン】なんて「ホーッ……」って息吐いてましたね…。
最初の内気な性格から飛躍的変化を果たしたこの一連の流れを知るのには、絶対一気に読むべきです。
本書はキッカケとなった本とは異なるインパクトを持つ一冊でした。
同じキーワードにしても、全然違うスカートだった。
Posted by ブクログ
まず一言…
ペイジごめんなさい。
最後まで疑ってました…
LGBTへの見方が変わった1冊。
今までもLGBTには特に偏見は無かったがこの本を読んでより理解を深めることが出来た。
読んでいて途中凄く心苦しくなるところがあるが、その場面を乗り越えてこそこの本の意味があるし、得るものがある。
グレイソンの母親のような広い心を持っていたい
12歳のグレイソンの勇気に感銘を受けた
サリーおばさん…もう少しグレイソンを受け止めて欲しかった
~心に残った言葉~
・沈黙ってこんなにも自己主張の激しいものだったのか
・リスクは伴うがそれ以上のものが得られる
Posted by ブクログ
体と心の性が一致しないLGBTの男の子の話。
グレイソンは丈の長い服を着て女の子のスカート姿を空想していたが、思春期になり、自分が変わっていく姿に、空想が出来なくなってきた。
だれにも言えず悩み、ドレスを着るお姫様を描いたりして空想を続ける。
ある日、学校の劇のキャストオーディションを知り、応募、そしてその役は主役の女の子の役。そして見事獲得。
ここからグレイソンを取り巻く環境が変わっていく。
一緒に暮らしている養父母やいとこは、そんな彼に戸惑い、これによって彼がいじめに合うのを恐れ、養母が学校に苦情を入れ学校全体の問題に発展し、劇監督を務めるみんなの人気者フィン先生は退職に追い込まれそうになる。
グレイソンは、いじめっ子から毎日のようにいじめられるようになる。
それでも演じているときはスカートをはいた女の子になれる、と自分を徐々に開放していく姿、とまどいの中の決意。
グレイソンのような子は、世界中に、そして日本にもいて、まだまだ受け入れられていない、不安でカミングアウトできない人もたくさんいそう。本来の自分を受け入れてもらえないことは何と辛いことだろう。
でもグレイソンの周りにもいたように、味方になってくれる人もたくさんいるはず。LGBT理解者が増えていくといいな。
英語なら一人称は【I】だから女性も男性もないのだろうけれど、訳語ならではで、ずっと【ぼく】と自分を語っていたグレイソンが一番最後に【わたし】と表現していたのが心に残った。
Posted by ブクログ
ラストが、それまでの『ぼく』から『わたし』になっている。けど、これ……英語だと同じなのでは?と思ってしまった。いや。違うのか?うーん。よくわからない。
でも、この最後の訳がすごくいいなと思った。
いくつか女子トイレに入りたいというシーンがある。結局は入らないけれども。
これがよく分からない。ただ『女の子の場所に入って、自分が女の子である』と確かめたいという事にしか見えない。しかし、大半の女性にとって、別にトイレは『自分が女の子と自覚するための場所』ではない。ただの『排泄場所』であり、男性用と分かれていることで『安全に』使える場所であるというだけでしかない。
つまり女性であるという事は『男性への脅威』を常に感じるという事で……別にスカートはきたいとか、三つ編みしたいとかではないんだよな。
たぶん、私がトランスジェンダー……特にトランス女性が理解できないと思うのは、その辺りなのかもなと思った。
女性の服を着たいけど、それが出来ないから色々と工夫する点はいいなと思った。
思春期のこじれていく人間関係とか、新しく結ばれる友情とか、近しいわけじゃないけどそれほど遠いわけでもないみたいな中途半端な距離感とか……そういう繊細な空気感みたいなのは好みだった。
思春期のあれこれと思って読むとそれほど気にならない。ただこれを『トランスジェンダーの話』と思って読むと、細部がもやもやする。
でも作中では誰も『トランスジェンダー』とは言わないし、本人もそうだとは言わない。
ただ『女の子の格好をして、女の子として扱ってほしい男の子』として書かれている。服装に関しては『何も言わない』キャラもいるけど、主人公は『自分がおもちゃになっている』自覚がある。可愛く髪を編んでくれるのも、女の子たちは面白がっているだけだと。
それはそうだな……と思うけど、それは年少の女の子にも同じ対応だと思うので『男の子だから』というものでもない。女の子の側にはそれを楽しむ余裕があるというだけの事。
女子トイレまで入りたいって言ったらドン引きされることがわかっていて、主人公も言わないまま物語が終わる。女子トイレの扱いだけが気持ち悪い。
トイレも大用トイレと女性用は同じ形なのでなぜ『女子トイレ?』
これ、男性用トイレの大用に入って『女性気分を味わう(座って行う)』ではダメなの?
それとも、女子トイレに入れないので女性用トイレの形を知らない……という話だったのだろうか?いや、それはないよね。女性の気分を味わうために服装ではあんなに創意工夫していたのにトイレになると途端に『女子トイレに入る』になるの不思議。
でも、こう書くと差別なのだろうな……。