【感想・ネタバレ】森は生きているのレビュー

あらすじ

気まぐれな女王が真冬に4月の花マツユキソウをほしいといいだし,国じゅう大さわぎ,継母の言いつけで吹雪の森に分け入った少女は,12の月の精たちに出会います.有名な児童劇.

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スラブ民話を元にした、サムイル・マルシャークの名作戯曲。
民話に近い、お話のろうそくの12のつきのおくりものとはまた違い、わがままな女王が出るのが特徴。誰も制することができなかった女王が、12の月たちやままむすめに影響され改心していく様子が感動的。舞台が観たくなった。

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2021年08月26日

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ネタバレ

大晦日の夜、1月から12月までのそれぞれの月をつかさどる神様が一堂に集まる、というスラブの伝説をもとにした物語だそうで。
ストーリーはシンプルなんだけど、とってもわくわくさせてくれます。

4月にしか咲かないマツユキソウを真冬にほしがる女王。
国中におふれを出し、マツユキソウをもってきたものにはかごいっぱいの金貨を与えるといいます。
それに目がくらんだ老婆とその娘が、主人公の継娘(ままむすめ)を無理やり森へ追い立てる。
ままむすめが凍えそうになっていたとき、ふしぎな12人の兄弟に出会い・・・。

雪が降り積もった森の描写が、もう鼻の奥がツンとしてくるくらい寒そうで、そのぶん、「シューバ」(外套)がいかにもあたたかそうで。
銀ぎつねの裏のシューバ、なんていうひびきもステキです。
12か月の神様たちの姿も、想像するとたのしいし、彼らの歌も詩的で美しい。

舞台は真冬の森ですが、春、夏、秋の森の営みもそれぞれいきいき描かれていて、森のめぐみがとてもゆたかなものであることが伝わってきます。
それらは女王の宝物よりもずっと価値のあるもの。

つまり人間の世界の最高権力者の女王でも、自然の一部にすぎない、っていうテーマ、こう言っちゃうとなんだか説教くさいんだけど、真冬のスーパーにトマトやキュウリが並んでる今の世の中、あらためてこういう自然からのめぐみ、っていう当たり前のことを意識するのも大事じゃん、と思いました。

これに「森は生きている」って題名をつけた訳者の方の仕事、すばらしいっす。

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2014年02月07日

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ネタバレ

この物語の Review をエントリーとして書くのは初めてだけど、実は再読です。  それも初読が子供の頃だったというわけではなく、大人になってから初めて読んだ物語です。  実は KiKi はLothlórienと名付けたブログを開設する際に「岩波少年文庫全冊読破企画」なるものをぶち上げたんですけど、それより何年か前からこの企画自体は細々と遂行していました。  そしてその初期の段階に手にした中の1冊がこの本でした。  

戯曲ということもあるんだろうけれど、とにかく情景描写がダイナミックで美しいんですよ。  いわゆるト書き部分の情景描写もさることながら、登場人物たち(時に森の動物たちも含む)が語る言葉の端々からもロシアの冬の森の厳しい情景が目に浮かぶようです。  特にダイナミックさと美しさを感じさせるのは12人の月(month)の精たちが、季節外れの命令を出した女王のために冬の真っ只中にマツユキソウを探し当てなくちゃいけないことになった少女のために季節を早送りするところの描写です。  よくネイチャー系の番組で定点カメラの映像を早回ししているのがあるけれど、それに音と空気感が合わさったような感じで、これを舞台上で再現する演出家の方は大変だろうなぁと思わずにはいられません。

さて、初読の際は戯曲ということもあり、民話に題材をとっている物語ということもあって素朴な美しい物語だなぁ・・・・というぐらいの感想しか抱かなかったのですが、今回の読書ではかなり色々なことを考えさせられました。  今日はそのお話をしてみたいと思います。



まず第一に、この物語に登場する「とんでもない女王様(・・・・と言ってもまだ14歳の子供だけど)」に関してです。  この女王様、とにかく我儘だし(大晦日に4月にならなければ咲かないマツユキソウを所望したり、それが手に入るまでは年は明けないと宣言したりする)、怠け者だし(勉強嫌いのうえ、誰かの処罰を決める書類に「しゃくほうせよ:釈放せよ」と「しけいにせよ:死刑にせよ」のどちらかを選ぶ際、文字数の少なさで「しけいにせよ」を選ぶ)、初読の際には「何て奴!」というぐらいの感想しか抱かなかったんだけど、今回の読書では別の感想を抱きました。

彼女はムチャクチャなことをたくさん言ったりしたりするんだけど、所望していたマツユキソウが手に入った途端何を言うかと思えば、決して趣味が良いとは言えない冗談を言った後でこんな発言をするんです。

「わたくしは冗談を言ったの。  4月1日(KiKi 注釈:エイプリル・フール)ですからね。 (中略) マツユキソウが咲いたからよ。」


12月にマツユキソウは咲くわけがないとそこまでで多くの人たちが進言しても、頑としてそれを受け入れようとしなかった女王様がそんな発言をするんですよ。  しかもこの女王様、マツユキソウを所望した際に「わたくし、マツユキソウをほんとに見たことは、一度もないのよ。」と言っていた割には、いざそのマツユキソウが目の前に現れたらそれを「水のはいったコップに入れたほうがいいわ。」な~んていう道理にかなったことまで口にするんです。  ここを読むと何だか女王様は本当の意味でのおバカさんではなく、肝心なことは実はわかっているけれど、ある種のSOS発信みたいな形で我儘を言い続けていたんじゃないか?と思わせます。

そしてもっと考えさせられるのは、雪に閉ざされた森から脱出するためにはあのマツユキソウを取りに行かされた娘の好意にすがるしかないという状況に立たされた際に女王様が口にする以下のセリフです。

「でも、なんてあの子にたのんだらいいの。  あたしはまだ一度も、人にものをたのんだことがないわ。」


このセリフを読むとこの女王様は人に命令を下すという形でしか他者と人間関係を結べない、実に孤独で淋しい女性だったのではないか?と思わずにはいられません。  そうであればこそのここまでの「我儘」にしか見えない言動、「怠け者」としか思えない言動だとするならば、彼女は決して性格がひん曲がっているわけでもなく、ましてや単なる意地悪な娘ということではないような気がします。  実際、物語の中でこの女王様は決して改心することもなく、罰があたるわけでもなく、そういう意味では勧善懲悪の埒外に存在しています。  本当の意味で罰を受けるのは(まあ「雪に閉ざされた森の中に取り残されるようになった」というだけでも罰は受けたとも言えるのですが ^^;)、あのマツユキソウを取に行かされた娘の継母と異母姉(この2人は本当の意味で意地悪だった)だけなのです。

そしてもう1つ感じたこと。  それは現代人の生活ぶりは実はこの女王様とさして変わりはないのかもしれないということです。  女王様は季節外れの「マツユキソウ」を所望し、そのためには籠いっぱいの金貨と暖かい衣類を報酬として支払うと言います。  私たち現代人は1年中スーパー・マーケットの棚から「本来夏野菜であるはずのトマト、キュウリ、ナス」を買い、「本来冬野菜であるはずの白菜」を対価を払うことで得ています。  私たちはそのことに何ら「悪意」を抱くこともなく、ある意味で「当たり前」のこととして、「対価を支払う当然の権利」としてそうしているわけだけど、冬にトマト、キュウリ、ナスを食べられること、夏に白菜が食べられることの背景に何があるのかについて滅多なことでは考えようとはしません。

物語の中で女王様の教育係である博士の口から、更には12の月の精霊の口から「自然の、季節の摂理から外れることがどんなに理不尽で愚かなことか」が語られているのですが、私たちは「モノ言う消費者」という立場からかなり我儘なことを言い続けています。  「育ちすぎた野菜はイヤ、曲がったキュウリやナスはイヤ、クタッとしたり虫食いの葉物野菜はイヤ。」  そんな消費者の声を反映して、農協に出荷される野菜には厳密な審査基準があって、野菜ごとに大きさは決められているし、曲がっていたり虫食いだったりする野菜はそもそも農協経由で出荷されることもなく、物によっては廃棄処分されています。

この物語の女王様が「人に命令を下すという形でしか他者と人間関係を結べない人」だとすると、ひょっとすると私たち現代人は「人に要求を出すという形でしか他者と人間関係を結べない人」への道をまっしぐらに突き進んでいるのかもしれない・・・・・・。  そんなことを感じた読書となりました。

因みにこの物語に出てくるマツユキソウは別名スノー・ドロップと呼ばれる早春に咲く可憐な花です。  我がLothlórien_山小舎の庭にも植えてあるのですけど、春の訪れを告げる花として、地味ながらも存在を際立たせています。  でも早春に咲くということは、時に開花後に降雪に遭うこともあり、小さな草丈で雪の重みに耐えている姿を見ると、可憐なだけではない芯の強さのようなものを感じさせます。



さて、最後に・・・・  この本の宮崎駿さんの推薦文は以下のとおりです。



この本は劇の脚本ですので、読むのにちょっと工夫がいります。  自分で、広くて奥行きのある舞台を想像しましょう。  森の木々や雪もちゃんと作ってあります。  王宮の中はもちろん、まま母の家の中もしっかり、本物よりちゃんと作ってあります。  登場人物の衣装も思い浮かべてください。  きっと、美しくてドキドキする舞台にちがいありません。

ぼくは、舞台美術が好きで、クラスで劇をやる時はいつもすすんで美術を担当しました。  この本で、時間をかけて、しっかりした舞台の美術ができたらなあって今も思います。




さすが日本が誇るアニメーターの宮崎さん。  頭の中でこの舞台演出のプランができちゃうんですねぇ・・・・。  「これを舞台上で再現する演出家の方は大変だろうなぁ・・・・」と他人事みたいにしか考えられない KiKi とはやっぱり人種が違うみたい・・・・・(笑)

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2013年09月23日

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このものがたりはミュージカルにもなっていて、その歌がすごくすきです。
原作のほうは挿絵がすごく雰囲気があってすき。
まつゆきそうを探して深い森の中へ入ってゆく少女、森の奥で不思議な体験をします。

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2009年10月04日

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"大晦日に読む本"といったらこれ!
何しろズバリ12月31日の出来事を描いた戯曲だから。…とは言え、再読したのが子どもの時以来なので、色々と再発見があり、面白く読めました。

明日の「新年招待会」に4月に咲くマツユキソウが欲しいと言い出したわがままな女王。国中が大騒ぎになります。意地悪な継母の言いつけで森に入った娘は、12の月の妖精たちに出会い、マツユキソウと魔法の指輪を受け取ります。

まず知らなかったのはタイトルの「森は生きている」が、翻訳家の湯浅芳子さんのオリジナルだったこと。ロシア語の原題は「十二月」というような意味。名訳ですよね。
また、戯曲で役が決まっているからとは言え、主人公の個人名ではなく、『ままむすめ』でセリフが割当てられていることにも驚きました。そうだったんだ。覚えてなかったなぁ。

劇として観た•経験した、という人は多いと思いますが、案外ディテールは忘れている人の方が多い作品のような気がします。
慌しい日の一服の清涼剤に如何でしょう。1月1日が無事に来るといいですね。来年もよろしく。

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2023年12月30日

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 スラブの伝説をもとにマルシャークが1946年に書いた戯曲。1月から12月までの精が月ごとに季節を統べるという設定が素敵。まま母やその娘である義理の姉にいびられる美しい娘が主人公。彼女らが住む国には親に死なれた王女がいて、無理難題を周りにふっかけ、そのとばっちりを受けた主人公が、大晦日にマツユキソウを取りに行かされる。凍えて死ぬ寸前の娘は12の月の精に焚き火にあたらせてほしいと丁寧にお願いし、事情を話す。優しい4月の精のおかげで、カゴいっぱいにマツユキソウを摘んだ娘は家に帰りつく。しかし、強欲な王女はまたしても無理難題を言い出し、娘に季節外れの食べ物を要求する。
 感謝もお願いもできない王女は、しかし、案外いい人かもしれない。最後には12の月の精たちに教わり、お願いを口にできるようになり、もしかしたら友達もできるかもしれない、と思わせるラスト。
 12の月の精の個性を書き込んでもう少し長い小説にしてもいいのに、などと妄想してしまった。
 詩人でもあるマルシャークによる詩がたくさん出てくる。実際の演劇ではそこが歌になっているものもある?劇も見てみたい。

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2021年08月24日

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ソ連版こぶとり爺さんの話。

たまたま大晦日に読み始めたら、大晦日元旦の物語で読むタイミングが合ってた。

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2020年01月05日

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「12の月のおくりもの」という絵本を、
読み聞かせボランティアの反省会で紹介したら…

「森は生きている」と、同じ話ね~ミュージカルにもなっていますよね~

と、言う方がいたので、読んでみました。
「12の月のおくりもの」と、ちょっと違うかな?
まま母と娘とまま子、12の月の精が出てくるのは一緒だけど…
この話も、どこかで聞いたことはあるかな。

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2012年12月20日

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 初めて読んだのは、小学校低学年の頃です。なんとなく印象に残ったままだったので、再読しました。
 スラブ民話がベースとのこと。初めて読んだ時は、気にせず読んでいましたが、今回はスラブの文化を興味深く感じました。

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2024年06月06日

Posted by ブクログ

「四月、四月って!そんなこと、わたくしはもうききたくない」―女王さまのセリフより

――
女王さまは怖いけど、ドキンちゃんのようにどこか憎めないところがあります。

昔(たしか小学2年の頃…)、担任の女性の先生が教室で「森は生きている」をピアノで歌ってくれたのを思い出しました。
いい先生だったな…。

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2024年02月23日

Posted by ブクログ

保育園の時に森は生きているの劇をやったことがあるけれど結末を忘れてしまったので久しぶりに読んだ。ころがれころがれ指輪よ〜♪♪の歌が未だに忘れられない。

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2023年04月13日

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裕福で権威はあるが、心が貧しい女王
貧乏でいじめられながらも、心豊かなまま娘

心が豊かである。これが生きる上で本当に大切なことだと思った。

読み始めたときは驚いた。他の小説とは形式が異なるのだ。誰が話しているのかが記載され、風景や人物の行動まで書いてある。まるで台本を読んでいるかのようだった。最初は読みにくかったが、慣れると読書をしているような、舞台を見ているような、不思議な気分だった。

あらすじ
 まま娘は、まま母とその娘と暮らす。まま娘は、いじめられながらも、心優しく強く生きていた。
 ある日、強情な女王が、新年にマツユキソウ(春の花)を持ってくるよう命令する。周囲の役人が女王を諭しても、死刑にする、など言う。「自分は絶対」の考えが強い。そしてマツユキソウをもたらしたものには、銀貨を与えるという
 銀貨の欲しいまま母と娘は、まま娘を冬の寒空に送り出す。凍えかけたそのときに、偶然まま娘は、12ヶ月の神様に出会う。そしてマツユキソウと魔法の指輪を手に入れる。
 まま母と娘はマツユキソウを持ったまま娘に驚きながらも、マツユキソウと指輪を奪い、女王に献上しに出かける。しかし女王は共に他の植物を見に出かけたいと言い始める。困った彼女らは、正直に話し、まま娘に共に行くよう命令する。
 その後まま娘は、女王やまま母と共に出かける。しかしなんとしても12ヶ月の神様、マツユキソウを手に入れた方法は話さない。腹を立てた女王が指輪、まま娘を凍った湖に投げ捨てようとした。そのときまま娘は魔法のおまじないを唱える。すると12ヶ月の神が現れ、まま娘を助ける。まま娘は美しい洋服とそりを手に入れる。
 まま母と娘は犬になる。女王はまま娘に都まで送り届けるよう懇願する。
 まま娘は優しく承諾し、温かい服を渡す。
 

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2023年01月08日

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『ビブリア古書堂の事件手帖~扉子と不思議な客人たち~』から『雪の断章』、『雪の断章』から『森は生きている』に流れ着いた。戯曲作品ということで、場面の描写とセリフで物語は進行していく。

マツユキソウをとってきた者には、かご一杯の金貨を出すー。
幼く傲慢な女王の出したおふれに目が眩んだ老婆とむすめは、ままむすめに森へ行ってマツユキソウをとってくるよう命じる。
真冬に咲いているはずのない春の花を、ままむすめは不思議な出来事から摘んで帰るが、マツユキソウを持って行った老婆とむすめは、女王に森のその場所へ案内しろと迫られる。
ままむすめを騙し、老婆とむすめ、女王と側近たちは森へ行くが…。

児童文学らしい設定と展開。戒めや教訓もある。
登場人物(動物)も多くて賑々しいので、本よりも舞台劇として観れたらより楽しそうに思えた。

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2022年07月06日

Posted by ブクログ

戯曲

ままははとお姉さんにいじめられてる女の子

真冬に花をつみに森へ

そこで12の月の兄弟が焚き火をしている‥

ってあれ?
なんかこれ知ってるなぁ‥

マルーシカと12の月?とかいう絵本と同じだ!

じゃあこっちが元というか
原作といいか
そういうのか

読まなくていいかなと思ったけど、
かりやすくて面白くて
絵本よりは長いし
読んじゃった。

不幸な境遇に負けることなく
明るさと思いやりを失わない
勤勉な少女に幸福が!
ソビエトのシンデレラ物語
だそうです


原題は「十二月」だそうで
まぁシンプルすぎるけど
「森は生きている」はどうなのかな〜

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2011年10月03日

Posted by ブクログ

本の中の何曲かを読みながら
つい口ずさんでしまいます。

タイトルを見ただけでも
歌が頭の中で流れます。

いつか ミュージカルを見てみたい。

そして ピアノで弾けたら…。
憧れです☆

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2019年01月16日

「児童書」ランキング