あらすじ
作家・三浦しをんが「小説」を真正面から考えた――。「小説を書くのは自由な行い」。だがしかし、「ここを踏まえると、もっと自由に文章で表現できるようになるかもだぜ!」。長編・短編を問わず、小説を「書く人」「書きたい人」へ贈る小説の書きかた講座。人称、構成、推敲など基本のキから、タイトルのつけ方や取材方法まで、本書タイトルにあやかって「コース仕立て」でお届けする大充実の全二十四皿。
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Posted by ブクログ
「言葉を獲得することによって、深く考えることが可能になり、思考によって感情は育ち、周囲 のひととかかわった体験や書物などから得た知識によって味わった感情を、自分のなかで言語化してじっくり考える。この繰り返しを通して、想像力や感受性は鍛えられていくものなのではないでしょうか。」
ここで読書記録をつけ始める時にぼんやり抱いた動機的なものを見事に言語化してくれていて、そう、こういうこと!ってなった。作家になるため、とか大仰なものでなくても、こういう訓練が人生をより豊かなものにしてくれることを再確認し、ちょっと面倒…ってなっても、頑張って続けよう、と改めておもう。
人称の選択や人物の配置、情報提示のタイミングなど、小説を書く上でのヒントは、翻って、筆者の意図をくみ取る、味わうヒントでもあり、そういう意味で、読書を楽しむための指南書ともいえる。
Posted by ブクログ
小説家になりたいわけでも、趣味で小説を書いているわけでもないのに、つい買ってしまった三浦しをんの本。
でも読んでよかったです。
幼いことから本ばかりは沢山読んできて、中学生くらいまでは褒められましたが、高校生ともなると「作家になるわけでもないのに、本ばっかり読んで…」と言われたものです。
でも、私は本を読む才能はあったかもしれないけれど、本を書く才能は全くない自信があったので、作家になろうなどと思ったことは今に至るまでない。
この本を読んで、そんな考えがどれほど傲慢であったか思い知りました。
才能があるからと言って努力をしないわけじゃないんだ。
というか、多分才能があるからこそ、自己に恃む部分が多くなる分、書くことの苦しみが増すんだなあって。
三浦しをんといえば、いつも締め切りが守れないなどとエッセイに書いてあったり、自由にのびのび書いてあるような作風なので驚いたのだが、ちゃんと構想・構成をしっかり作り上げてから作品を書いているのだ。
手書きのノートの写しを見て、当たり前だが、行き当たりばったりで書いているわけではないのだなあ…と。
だから、「何でもかんでも伏線を重視する昨今の風潮には賛同しかねます」には納得した。
東京03の飯塚さんも言っていたが、「伏線なんてものは後からさかのぼって書き足していけばいいんだから、大したテクニックではない」のだそうだ。
それよりも見てほしい部分は他にある、と。
学生時代にゼミの先生に「ストーリーを追うだけではなく、プロットを見よ」と言われたのがまさにそれで、卒業して数十年、ようやく先生のおっしゃった意味が分かるお年頃になりました。←遅っ
小説家を目指さなくても、小説をよりよく読むために、この本は読んでよかったと思いました。
Posted by ブクログ
面白かった。
小説技巧を学ぶというよりかは、書く際の精神を学ぶ感じか。
繰り返されるハイなんちゃら、三代目 J Soul なんちゃら語りには辟易させらえたが、それを超えるタメになった感はあった。
Posted by ブクログ
身も蓋もないことを申せば、小説を書く際に要求されるのは「センス」です。でもそんなことを言ったら話が終わっちゃうし、「私にはセンスなんてない……」としょんぼりしてしまうかたもおられるでしょう。
早計だ! センスを才能(もっと言えば「天賦の才」)のことだと考えるのは、早計だ!
よろしいですか、みなさん!(自分で勝手に話題を振っておきながら、勝手に詰問口調になる)「あの人、ファションセンスあるねー」と言うじゃないですか。でもそのセンスって、生まれ持ったものでしょうか?
否! 服を着て生まれてくる赤子など一人もおらん! ファッションセンスがいいひとは、たぶん雑誌を眺めたり、直接お店に足を運んでいろんな服を見たり、失敗を重ねつつも果敢に服の組み合わせを試みたりしながら、自分に似合う装いを見いだしていったのだと思うのです。
つまり、センスっちゅうのは天賦の才などではない。向き不向きはちょっとはあるかもしれないし、天才もごく一握りはいますけど、センスの内実は、「後天的に獲得するもの」なのです。
小説を書くのも同じです。試行錯誤して後天的に身につけたセンスで書くのです。天賦の才で書くのだ、と勘違いして、努力も研究も読者への心くばりもせず、ボーッとしてる(ように思える)やつを見ると、あたしは胸ぐらをつかんでがくがく揺さぶり、「目ぇ覚ませ!」と言いたくなる。貴様は、鼻くそほじりながらパソコンに向かってれば、いつか傑作が書けるはず、なぜなら才能があるから、とか思ってんのか? 才能なんかだれにもねえよ! あるのは、たゆまずセンスを磨きつづけようとする意志だけだよ!
「この小説好きだなあ」「これが小説ってもんなのか、すごいなあ」と思えるような理想像と、読書を通して出会っているからこそ、「自分の書いたものには、なにがたりないのか」「どうしたら、斬新だったりおもしろかったりする小説を、自分なりに工夫して書けるのか」を、判断し実践していくことができるのです。
あせることはないので、「好きだな」「楽しいな」と感じる小説を、思うぞんぶん味わってください(小説にかぎらず、創作物全般で、ご自分の性に合うものでいいのです)。ときに、「どうして私はこれが好きなんだろう」「この小説の楽しさは、どこから醸しだされているものなんだろう」と、分析してみることも大切です。「分析」といっても、むずかしくとらえる必要はありません。「考えてみる」「言語化してみる」というぐらいの意味です。
創作物を味わい、考える、ということを繰り返していると、だんだん自分の好きなものや書きたいもの、自作に欠けていることなどが見えてくると思います。
基本的には、小説を書くうえで人生経験はさほど重要ではないと考えます。だってさぁ、「人殺しの小説を書くためには、人を殺した経験がなければならぬ」って理屈は、どう考えてもおかしいだろ。殺人を犯したことがなくても、人殺しの小説は書けます。なぜなら我々には、想像力が備わっているから!
では、想像力の源泉とはなんなのか考えてみると、他者への思いやり(共感力)と、なりきり力と、知識だと私は思います。そして、それらを統御し蓄積するための言語能力です。
好きな小説から影響を受けるのは当然で、影響を受けて「真似っこになっちゃったかな」と思っても、あなたの脳が生み出したものなのだから、それはあなただけの文章になってます。自信を持ってください。
でも「真似かも」って気にしちゃう気持ちもわからなくはないです。なぜなら小説は、言語だけで表現するものだから。
言語は、あなたや私が生み出したわけではないですよね。つまり、「オリジナル」ではなく、すでにあるものを使って表現しているということになる。それで不安になるのだと思います。
たとえば「漫画を描く」という行為は、より身体性が直に画面に出ます。それぞれの漫画家さんの筋力とか目のよさとかが、各人固有の「線」になって表れる。ほんの一コマ、いや、人物の体の一部を見ただけでも、「あ、これは◯◯さんの漫画だな」ってわかることはしばしばありますものね(ありますよね? 私が漫画オタクだからってだけじゃないですよね?)。
とはいえ、「この人は〇〇先生の漫画が大好きで、影響を受けたんだろうな」と推測されることはあるし、コマ割りなどの漫画文法から完全に解き放たれたら、それはもはや漫画ではなくなってしまう。漫画も、すべてがまったくの「オリジナル」ってわけではないのです。あらゆる創作物は、先人たちが築きあげてきたもののうえに成り立っているためです。
『風強』(と略す)は、構想と構成がほぼ同時に頭に浮かび、それをもとに取材を進めつつ、少しずつ書いていきました(これまた連載ではなく書き下ろしだったので、時間は充分に取れました)。
まず、「弱小チームががんばって、箱根駅伝出場を成し遂げる」という構想が浮かんだ。『がんばれ!ベアーズ』や『シン・ゴジラ』も、要約すれば同じタイプの話なので、まあ物語の常道ですよね。お話を思いついたとき、「ありがちかな」って悩みすぎなくてもいいということだと思います。「ありがち」な話が、なぜ「ありがち」なのかといえば、多くの人の胸を打つ「なにか」がそこにあるからです。
個人の感情面を掘り下げてみるのは大事で、まあぶっちゃければ、自分自身のなかにひそむルサンチマンとか怒りとか、あるいは喜びとか感動とか「こうなるといいな」という希望とか、そういった気持ちのなかに、物語のタネ、小説を書かずにはいられない原動力のようなものが眠っています。その意味では、感情型も悪いことばかりではなさそうです。ま、身近にいるひとにとってはまじで迷惑だろうから、ぷんぷんはなるべく控えたいですが。
もちろん感情面を取っかかりに発想するのが苦手なかたもおられるでしょう。その場合、やはり「考える」ことが大事だと思います。自分いついて、友だちや家族などの身近なひとについて、街でふと見かけた光景について、社会について、この世のありとあらゆることについて、気にするなることがあったらいろいろと思いめぐらし、調べ、考えつづけるのです。そこからきっと、「ああ、私はこういうことを書きたいんだな」という物語のタネが芽生えていくでしょう。
Posted by ブクログ
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小説執筆にまつわる全ての作業は、作品にこめた思いを、読者に的確に届けるためにあるのです。
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小説とは、言葉を使ったコミュニケーション
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ありがちな話=多くの人の胸を打つ「なにか」がそこにある
Posted by ブクログ
三浦さんの小説の書き方講座。
中級者向けなのかしら?結局考えて書く、ちゃんと設定を練る、みたいなことが書かれてた気がする。
著書のあらすじとかそうした理由とかも載っけてくれてるので、三浦しをんファン的には結構よかった。