あらすじ
虚無的な孤高の剣士「眠狂四郎」を生んだ苛烈な戦争体験、多彩な女性遍歴、師・佐藤春夫との交流――。
故郷出奔から直木賞受賞までの無頼の日々を豊富なエピソードとともに綴る回想録。
表題作のほか、私小説的短篇五篇を併録する。
新たに随筆「文壇登場時代」「わが生涯の中の空白」を増補。〈解説〉縄田一男
【目次】
わが青春無頼帖
色 身
蜃気楼
北の果から
落 花
先生と女と自分
〈巻末付録〉
文壇登場時代
わが生涯の中の空白
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私小説が大嫌いなはずの柴田錬三郎、その彼のハードボイルド調の青春自伝。岡山から上京した17歳から、眠狂四郎で大ブレークする39歳まで。人物のほとんどは実名で登場し、女性遍歴も詳しく書かれている。
九死に一生をえた戦地(海上)での体験は、さらりと書かれている。その文章に漂う虚無感は、その後の柴錬の作品に通底しているような気もする。
個人的におもしろかったのは、戦後すぐに子ども向けの名作や偉人伝のダイジェスト版を20冊ほど書きまくって糊口をしのいだというエピソード。その経験はのちに新聞や週刊誌の連載物を書きまくるのに役立ったという。
実名でここまで書いちゃっていいの?と心配になってしまうものもある。たとえば、ある女性をとりあうエピソードを書いた「先生と女と自分」。先生とは佐藤春夫のこと(ふたりとも奥さんがいたのにね)。でも、心配は無用。雑誌発表年は1965年、佐藤春夫は前年に他界していた。
Posted by ブクログ
『眠狂四郎無頼控』の作者による回想記。著者が戦後に復刊された『三田文学』で活躍したことは知っていたが、原民喜の自殺直後の場面を実見していたことは知らなかった。『デスマスク』で『三田文学』に登場した際の佐藤春夫とのやりとりも、くだらなくて面白い。
柴田は戦中に日本出版文化協会に入り、『日本読書新聞』にかかわっていたというのも貴重な情報。当時の出版課の課長は南條範夫、同期で入ったのが杉浦明平とのちに俳優になった神田隆だったという。
1943年には2度目の召集で広島宇品の暁部隊に衛生兵として勤務した。バシー海峡で乗り組んだ輸送船が潜水艦に撃沈され、夜の海を数時間漂流した末に救助されたエピソードは本書所収のエッセイでもくり返し語り直されている。