あらすじ
13世紀末、現在のトルコ共和国の片隅で誕生したオスマン集団は、やがて三大陸をまたにかける大帝国となった。1453年ビザンツ帝国コンスタンティノープル陥落、1529年ウィーン包囲など、世界で最も強大な国家を築き上げ、イスラム世界の覇者として君臨した。世界史上稀にみる600年もの長きにわたる繁栄の理由は、さまざまな出自を持つ人々が活躍しえたことにあった――。優れた改革を推し進めたスルタン達、西洋列強に劣らぬ文化を確立した芸術家、そして政治に影響を与えた女性たちの活躍。多様な経歴の10の人生を通して、大国の興亡をひもとく一冊。
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3人のスルタン(オスマン1世・メフメト2世・マフムト2世)、ドラマの主人公になった2人の妃(ヒュッレム・キョセム)、女性革命家ハリデ・エディプ、3人の芸術家(ミマール・スィナン、レヴニー、オスマン・ハムディ)、オスマン帝国を解体したトルコ建国の父ムスタファ・ケマルの10人を軸に600年のオスマン帝国を記した一冊。著者のオスマン帝国の著作は何冊も読んだが、変わった切り口のオスマン帝国通史である本作も相変わらず面白い。小笠原先生のオスマン帝国本は外れがない。
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帝国600年の歴史の中から選ばれた十人の列伝。通史的な中ではあまり取り上げられない女性や芸術家たちが多く取り上げられていて興味深かった。最新の研究成果を踏まえつつ、現代における各々の位置付けまで言及されていて面白い。
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オスマン帝国の君主だけではなく、建築家、作家、画家など文化を担った人物も採り上げられている。建築はともかく、トルコの絵画や文章に触れることは、なかなか難しそうだ。
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江戸幕府250年、オスマン帝国600年、如何に存続させたか。やはり三世代までにしっかりとした基盤構築している。崩壊の理由も財政問題から怠慢政策から内部組織崩壊へと繋がっている。
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【読書】厚みがある割には分かりやすくサクサク読めた。オスマン帝国の歴史に詳しいわけではないので、この国の歴史の流れとそこに出てくる重要人物が丁度いい感じで出てきて、凄く分かり易かったな。この国の歴史もこうやって読むと面白そうだなって感じで更に知りたくなった感じかな。ホント面白かった。
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オスマン帝国の有名な人物10人を取り上げた列伝。
「オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~」というドラマが世界的にヒット。
私もこのドラマがすごく面白かったので、もう少し史実を知りたいと本を探して読んだものです。
中東で600年も栄えたオスマン・トルコ。
いかにして版図を拡大し、栄えたか。
政治だけの説明だと、飽きてしまうので、色々な角度から書かれている点が面白く、有難かったです。
ドラマにも出てきたスィナンや、ヒュッレムの後の時代の后妃の話なども。
後宮の制度にも、当時からヨーロッパの注目は集まっていたようです。
表紙にある絵は、ドラマの主人公である寵妃ヒュッレム。
今のウクライナあたりの生まれの美女で、陽気で聡明、最盛期を築いた第10代皇帝であるスレイマンとの間に何人も子をなし、正式な結婚をした正妻。
後宮の女性は皆、奴婢という建前だったので、これは異例でした。
ただし、絵は想像で描かれたもので、後宮の妃の顔を直に見るなど普通あり得ない、まして外国人の男性画家に許されるものではないのです。(ドラマの中では例外的に画家が会うシーンもありますが)
ヒュッレムの評価は、残念ながらトルコ国内では芳しくないようですが。まあそれはそれ?(笑)
スレイマンは優れた人物であったようだし、ヒュッレムは外国の要人に手紙を書くなど出来る女性だったので、釣り合ったのでしょう。
激しい権力争いは、後にさらに激化していくのですが。
後の世のドラマもそういえばあるので、いずれ見たいものです。
[追記:
「新・オスマン帝国外伝 ~影の女帝キョセム~」この4月から始まってます!]
Posted by ブクログ
青学史学科、東大文学博士
九大准教授
君主、女性(王室、革命家)、芸術家(建築含む)を取り上げる
●創始者オスマン一世 在位1299頃〜1324
・事跡やひととなりについて、確かなことはあまりわかっていない。
・二つの説
ルーム・セルジューク朝の後継者
ルーム・セルジューク朝の権威を認めず強引に独立
・ルーム・セルジューク朝のスルタン、アラエッティンには子がなかった。
・オスマン帝国の年代記は、建国から1世紀以上のち、15世紀に入ってからようやく書かれるようになった。
● コラム イスラム世界における奴隷
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奴隷はイスラム法(シャリーア)において一定の権利を保障されており、奴隷の所有者といえども、そのきまりを逸脱することは禁じられていた。
さらに、もし奴隷が君主など有力者を主人としているならば、一般人よりよほど強大な権力をふるうことができた。