あらすじ
織田信長の飽くなき渇望。家臣たちの終わりなき焦燥。
焼けつくような思考の交錯が、ある原理を浮かび上がらせ、
すべてが「本能寺の変」の真実へと集束してゆく――。
まだ見ぬ信長の内面を抉り出す、革命的歴史小説!
吉法師は母の愛情に恵まれず、いつも独り外で遊んでいた。長じて信長となった彼は、破竹の勢いで織田家の勢力を広げてゆく。だが、信長には幼少期から不思議に思い、苛立っていることがあった――どんなに兵団を鍛え上げても、能力を落とす者が必ず出てくる。そんな中、蟻の行列を見かけた信長は、ある試みを行う。結果、恐れていたことが実証された。神仏などいるはずもないが、確かに“この世を支配する何事かの原理”は存在する。そして、もし蟻も人も同じだとすれば……。やがて案の定、家臣で働きが鈍る者、織田家を裏切る者までが続出し始める。天下統一を目前にして、信長は改めて気づいた。いま最も良い働きを見せる羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益。あの法則によれば、最後にはこの五人からも一人、おれを裏切る者が出るはずだ――。
※ 本電子書籍は『信長の原理 上』『信長の原理 下』を1冊にまとめた合本版に、電子書籍版特典として、「小説 野性時代」2016年8月号掲載「垣根涼介×東山彰良 連載開始記念対談」を加えたものです。
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これは歴とした「歴史小説」…。
2023年10月読了。
『光秀の定理』で腰を抜かす程驚いたので、続巻(と云うより姉妹編?)が有ると知り、直ぐに読み始めた。
前作が「歴史小説の皮を被った現代小説」だったのに対して、本作は「歴とした歴史小説」であり、信長が拘った“原理”を中核として、非情なる采配の末に迎える最期まで、一気に駆け抜けた戦国物語だった。
尾張内部の統一から本能寺へ至るまで、彼の行動をかなり「歴史史料を読み込んで」迫力ある一編として書き上げた著者の筆力には敬服する。余り知られていない幼少期〜尾張平定までの過程は、正に“紙上再現”されているかのような気持ちで読めた。又、前作『光秀の定理』と同じく《主人と使用人の関係》《およそ所領と云うものは“主人から貸与”されたものに過ぎない》部分は一貫していて、これはこれで立派な歴史解釈として成り立つと思われる。
ただ前作と比べると、信長像に関して“かなり人間的なブレ”が大きく、到底同一人物とは思えなかった(勿論、それが本作の目的では無いのは承知だが…)。
ある意味で本作の方が「人間らしさ」を感じたが、その分だけ「“原理”に拘る信長」について、後半は説得力が減っており、己自身が“原理”から外れた言動を取っているのに気付かない信長が、かなり“分かり易い信長像”に成ってしまっていたのは、やや残念だった。
当然「本当の信長はこういう人だったんだ」と云う積もりで著者は書いていないのだろうが、今作に関しては“歴史小説として書くのなら“もっと「蟻の原理」に振り回されずに描くべきだったのでは、とも感じた。
こういう言い方が適切かは分からないが、様々な歴史史料や“原理”まで持ち出して描いた結果、司馬遼太郎氏の『国盗り物語』に描かれた信長、光秀像に「(両書の執筆された年数がかけ離れていたにも拘わらず)元に戻ってきてしまったなぁ」と云うのも、率直な思いだ。
更に話は変わるが、当時の仔細や各人の心中はどうあれ、「本能寺の変」という“歴史上の事件”の真相は、大方こんなものだったんじゃないかと云う気がした。
○○陰謀説等が沢山有るが、やはり“単独犯行”として解すのが、無理無く自然なのである。
正直、前作に驚き過ぎてしまった為、真っ当な歴史小説である本書が、かえって色褪せて感じてしまったのは、自分の読み違いであろう。
何にせよ、織田信長の“熱狂”と明智光秀の“憂鬱”のコントラストに酔える佳作だと思った。