あらすじ
自閉症児者が方言をしゃべらないという噂は本当なのか? 方言の社会的機能説、意図理解、自閉症児者の言語習得、自閉症児者のコミュニケーションの特異性等、筆者の飽くなき探究心から見えてきた真相とは。
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Posted by ブクログ
ASDは方言を話さないのか
この疑問にとことん追求していく過程はまさしく研究論文を読んでいるようでした。
前半の様々な調査結果云々の話は正直もうわかったよとなるほどでしたが、著者がしっかりこの問題に根底から向き合おうとしている姿勢は良く感じられました。
自分は子育て中の親としてASDについては少し齧った程度の知識でしたが、方言は相手との心理的距離を埋める社会的役割があるが故に、そのような背景を理解するのが難しいASDの方が方言を使わないという主張は新しい視点だったので非常に興味深かったです。
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そもそも方言にはどういう社会的機能があるのか、でその機能こそが自閉症の苦手とする分野である、だから方言が話せないと。我が家は3.5の言語も常にあるので、そりゃー難しい。
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津軽地域で乳幼児検診にかかわる著者の奥さんの「(お母さんはバリバリの津軽弁なのに)自閉症のお子さんは標準語でしか喋らない」」との噂話に「じゃあちゃんと調べてやる」と宣言し、「自閉症と方言」について研究を行う。自閉症と方言は発音の問題(先行研究多数)と断じていたが、その結果は著者を驚かせるのに十分すぎるものだった。
まず、津軽地域での研究では、自閉症(以下ASD)児は方言を発する頻度が目立ったが、著者はそれを「ASDの発話にみられる独特のアクセントやイントネーションは、方言を多用される社会では方言を使わないという印象として捉えられるのか。それは現場感覚なものだろう。妻の言うことも一理あるかも」と、率直な感想を抱いた。
だが、著者は「津軽弁(方言)を話さない=自閉症」という誤った図式が定着してしまわないよう、丁寧に研究を進めている。
津軽(青森県から全にわたって研究を行うのであった。方言について、ASD児が方言を獲得する過程についても丁寧な研究が行われており、当事者や当事者家族のみならず、TD(定型発達)の方々にも一読してほしいと思った。有名な「サリーとアン」の実験も出てきます。心理的または社会的な障害とする論もあり、非常に興味深く拝読させていただいた。
本書のデータも内容も大変興味深いものだった。噂を噂で終わらせまいとする著者の熱意に痺れる。読むのに少し時間がかかったが、読み応えがあった。続編も出ているとの情報を得たが、直ぐには私のお粗末な脳髄で情報整理ができそうにないため、間を開けて取り組もうと思った。
難解な専門用語が出てくる(角川ソフィア文庫あるある)けれども、大体気合い(著者の)と文章力(著者の)でなんとかなります!
私自身、ASDの傾向もあると主治医に口頭で言われたことがある。また詳しく訊いてみようと思った。場合によってはnoteに書きます!
Posted by ブクログ
書店で最初の"発端"を読んでその文のおもしろさに惹かれ、購入して読み終わったあともいい本に出会ったなぁとしみじみ感じました。
自閉症の子どもがどうして方言を使用しない(覚えない?)のかという疑問を、地元の身近なところからもっと広い範囲へ、内容へと突き詰めていく過程がとてもおもしろかったです。
また要所要所で出てくるたとえ話が的確でわかりやすいのもよかった。
何気なく使っている日常の言葉にもいろいろなルールや特色があること、コミュニケーションをとる上で細やかな気遣いや心の機微で言葉が成り立ってることがよくわかる一冊でした。
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自閉スペクトラム症(ASD)の子が方言を話さないというのは、自身の息子の印象とも合っており興味深く読んだ。
息子は小1で三語文程度の発語はあるが、本書に書かれているようにビデオや本からその場に応じたセリフを抽出したような話し方をする。
そのような現象が、ASDが持つ意図理解の困難さに起因するという説が述べられていて、なるほどと思った。
本書の段階ではまだ仮説の段階のようだが、言語能力障害の原因の検証が進むことを願っている。そして、息子とのコミュニケーションがもっと取れるような日がくればうれしい。
次は本書の続編の「リターンズ」を読んでみる。
Posted by ブクログ
業界の中では以前から知られていることでも、実は体系的に証明も分析もされていないような、いわゆる暗黙知に取り組んだ物語として読んだ。
自閉症や方言についてだけでなく、色々な分野に当てはまる話だと思う。
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障害児教育に関わる国語科教員免許保有者としては、どの角度から見ても興味深い内容だった。
言葉のもつ役割、そこにある意図、意図のやりとり、その結果としてのコミュニケーション、その表層にある方言…
現場の経験値と研究の見地がいい形で交わった結果の産物。
もし「やっぱ自閉症って津軽弁しゃべんねんじゃね」が妻の発言じゃなかったら、筆者もここまでの(10年も!)研究に至らなかったのではないか?
言葉とコミュニケーションについても自閉スペクトラム症についても理解が深まる一冊。
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精神疾患と言語・方言の関係というユニークな研究。奥様とのやり取りから研究が始まるところがリアルというか、面白いというか、・・・うまく言語化できませんが、親しみが持てる本です。内容も勿論興味深いです。
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青森県津軽地方で教育学を研究している筆者が、妻から聞いたASDの子どもは地元の方言を話さないという噂を確かめるため、研究を始めた。
本書はまず筆者の実証研究が丁寧に紹介されており、どうやら噂は真実で他の地方でも見られることが確かめられた。
後半では、言語発達やこころの理論をもとに、その理論的背景について考察している。周囲の家族らからの言語習得が苦手で、テレビのセリフなどを教材に言語を獲得しているためと考えられている。
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終盤、方言の話から少し離れて(というかそこからさらに深まって)、「ASDの人に対して“ですます調”で行動指示をする」というシーンを発端に「意図」の話になっていったあたりからが特に面白かった。その部分に関してのみの感想を書き残しておく。
私の解釈による、ASDと「意図」について本書に書かれていたことのざっくりまとめは以下の通り。
・意図とは単なる欲求ではなく、成し遂げたいことに向けてプランを立てて調整しようとする心の働きのこと。人の行為は意図に基づいている(「心の理論」)。
・私もあなたも自由意思(意図)を持っている。相手になにかしてほしい行為があるときは、相手の意図に働きかけて意思決定してもらわないといけない。求められた行為をするかしないかは相手が決めること。説明、懇願、恫喝、媚態など戦略は様々。
・ASDは、自分が何をしたいという思いはあっても、それが相手の意図への働きかけによって達成されるということへの理解が弱いと思われる。
・ASDの方から、自分たちは人に気を遣っているという発言を聞くことがある。またASDの子を持つ保護者が、彼らは人の視線をとても気にしていると観察する声も聞く。だが筆者は、ASDの方たちの相手への気遣いや心の読みは自己完結的であると感じる。相手に尋ねてその理解(意図理解)が正しいか確かめたり(意図参照)、相手の意図変更を試みたり(意図調整)する行為が弱い、またはしていない、というふうに見える。
私は、特に最後のポチに挙げたような特徴は、ASDと診断されない人でも、心の安心や安全が欠けて勇気や元気が足りなくなって、人とのコミュニケーションに疲れているようなとき、普通に起こり得ることではないかと感じた。
私は自分がそうなったら、その状態を「調子悪い時期だな」「自分は今コミュニケーション不全に陥ってるな」と捉えると思うが、ASDというものがもし何かしら生来の脳の特性に起因するものなのだとしたら(※本書ではASDの原因には触れられていない)、私の捉え方によるとその人は「常に不調」ということになってしまう。でもそれがその人のありのままの姿だとすると、そのままでは生きづらいと感じさせてしまう社会のほうが、狭量で、バリアフリーでない、と言えるのかもしれない。
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「私の受け持った子たちの中にも、関西弁を話さない子がいる」(当方、教員。)
そう思ったのが、この本を手に取ったきっかけである。
(ある本でこの本が紹介されていたのもある。)
なぜ、自閉症は津軽弁(方言)を話さないのか、一つの納得できる解が見つかったと思っている。
あと、事例として、自閉症の子どもがビデオ(アニメ)から言語習得をしているというのは、興味深かった。
学校にいるあの子が、常に演じるように会話をしているのは、こういうことだったのかと腑に落ちた。
Posted by ブクログ
「パターン・シーカー」にあるように自閉症のシステム化マインドも人類にとって大事なものだったわけだが、一方で共感性や社会性を苦手とする為に彼らは方言を話さない
大なり小なり誰にでも自閉症マインドはあるのかも
スペクトラムなんだし
面白かった!
Posted by ブクログ
著者は教育心理学者。著者の妻は臨床発達心理士として現場で働いている。
2人は弘前に住む。
著者は博多生まれだが、妻は津軽生まれ。津軽弁に関しては妻がネイティブである。
ある日、仕事から帰ってきた妻が、何気なく「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」という。著者は、「それは津軽弁をしゃべらないのではなく、自閉症児の音声的特徴が方言らしく聞こえないということでは?」と反論する。自閉症の人は一本調子の独特の話し方をするのだ。
そこで収まるかと思うと、妻は気色ばんで、いや、そういうことではない、と言い返す。
お互い、専門家同士の意地もあって、思わぬ口論になってしまう。
一呼吸おいて、著者は考える。
「じゃあ、ちゃんと調べてやる」
そこからこの研究が始まる。
「自閉症児は津軽弁を話さない」は本当なのか。妻によれば、現場では共通認識なのだという。
著者はまず、周囲への聞き取りから始める。どうやらそういう認識はあるらしい。
ではアンケートを取ってみる。まずは青森県で。そして秋田県で。
著者は途中までは、この話を根拠のない噂と捉えていたが、調査を進めていくにつれ、徐々にどうやら本当らしいことが見えてくる。
しかも、当初著者が考えていたような、自閉症者特有のイントネーションのせいではなく、方言特有の語彙も自閉症者では使われないようだ。
ではそれは、津軽あるいは北東北のみで見られることなのか。
調査対象を全国にしてみる。
方言が特徴的である京都・舞鶴・高知・北九州・大分・鹿児島をピックアップする。そして自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の子ども、知的障害(ID)の子ども、地域の子ども一般で、方言使用に差があるかどうかに関して、特別支援学校の先生を対象にアンケートを取る。子どもの発現を直接調査するのではなく、先生の印象調査としたのは、比較のペア形成が困難であることや、方言であるかどうかを判断する評定者の確保が難しいことなど、いくつか理由がある。地元の先生であれば方言の判別は簡単だし、ある程度の傾向は見えてくるはずだ。
結果として、全国各地で、IDの子ども・地域の子どもに比較してASDでは方言使用が少ないことが見えてきた。
この結果を学会発表してみると、反応は大きく2種類だった。
1つは、美しい興味深い結果だというもの。もう1つは、そんなことは当たり前でわかりきったことだというもの。
しかし、著者以前にこうした研究を体系的に行ったものはなかった。
現象がわかっていて、それが「当たり前」で放置しておいてそれでよいものだろうか。
著者はさらに、歩を進める。
ASDが方言を使わない傾向があるとして、その原因は何か。
そこから話は、方言というものの特性、使用されるシチュエーション、そしてASD自体の特徴へと移っていく。
方言が語られる状況というのは、改まった場よりも、家庭の中や近所の気心の知れた人、つまり、親密さを現す場が多い。一方で、ASDの人は他人の感情を推し量るといったことが苦手だ。相手がどう思っているかを感じ取り、それに合わせて自分の態度を変化させることが不得意なのだ。
そうなると、あまり感情が入り込まない公の場で話される言葉の方が、なじみやすく模倣もしやすい。テレビやビデオなどで(特に「繰り返し」)提示されるものを吸収する傾向があるのではないか。
そこから派生して、ではASDでも方言をまったく話さないわけではないがそれはどういうことか、ASDの子ども相手に何かを教示する場合、「~して」や「~しなさい」より「~します」「~です」を使うことが多いがそれはどういうことか、といった話題も盛り込まれる。
結論としては、どうやら、夫婦喧嘩は妻に軍配が上がったようである。
「自閉症は津軽弁を話さない」は本当だった。
だが、そこは著者も専門家、転んでもタダでは起きない。実はこの命題は、当初の印象以上に、ASDへの理解や、方言と標準語の使われ方の違い、ひいては人のコミュニケーションの根底にあるものといった、奥深い洞察へと続くものだったようである。
心理学の調査・研究というのはこのように組み立てられていくのか、というのも興味深い。
ちょっと疑問なのは、標準語という概念がないような昔、よその地域との交流も稀だったころ、そしてテレビやビデオなどなかったころでも、ASDの人というのはいたのだろうし、そうした人はどうだったのだろうかという点だ。そしてまた、標準語というのは、元は関東の一地方の「方言」であるわけで、そうした地域ではどうなのかということ。明確ではなくても、何らかの「差」は出るのか。
この研究はさらに続いていくのだろうし、今後の展開が発表されることがあるのであれば、楽しみにしたい。
Posted by ブクログ
結論部分はよくわからなかったが、言語の習得過程が異なるということか。
方言を話さないということや言語の習得過程など新たな知識が得られて面白い。
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「自閉症の子は津軽弁を話さない」という妻の言葉から始まった、自閉スペクトラムと方言についての全国調査と、その結果から確かめられた自閉スペクトラムの子供は定型発達の子に比べて明確に方言を話さない傾向があるという事実に対する考察をまとめたもの。そのような話があるとはまったく知らなかったので驚くとともにとても興味深い話であった。この本にあるようにASDの子の言語獲得にテレビやラジオといった(主に共通語が使用される)メディアの影響があるとするならば、そのようなメディアが存在しない過去においてASDの言葉がどのようなものだったのか気になる。
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自閉症は方言を話さない。この現象に「なぜ」をぶつけて検証した記録。ASDは他者の意図理解が困難であることがポイント。意図理解の弱さと自然言語習得の困難さの関連。家族が話す方言は生活の中の行動で意図の読み取りや理解が必要で,それを模倣したり取り入れたりすることが難しい。一方で,テレビ等の言葉は生きている世界からの脱文脈(独立した文脈)で話されており,それを真似したり学習(再現)することはできる。共同注意や心の理論が関わる。この本の続きもあるようだ。読んでみよう。
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自閉症の子供は津軽弁を話さないという夫婦の何気ない話題を、しっかりと地に足のついた調査に発展させていて興味深い。
まず調査したこととしては、本当に津軽弁話さないのか?ということ。臨床心理士の妻の言葉を否定するため?の調査であったが、調べてみると津軽弁どころか、方言そのものを話さない傾向が見えてくる。
ではなぜ方言を話さないのか?
なぜ共通語で話すのか?
そうした小さな疑問に仮説を作りながら、筆者なりの解答を得ていく、そのプロセスが丁寧に語られる。
すこし回りくどく感じる人もいるかも知れないが、地に足のついた答えに辿り着くためには、このくらい地道に答えを積み上げていくことが大切なのだと思う。
研究の方法も理解できるため、なかなか面白い。
自閉症者が苦手とすることも、この調査で少し見えてきた。
方言の役割、言葉の習得にまで話は及び、言語学の面白さだけではなく、発達についても考えさせられる。
それにしても、メディアが言葉の発達に一躍買っているとすれば、昔の自閉症者はどのように言語を学んでいたのだろう。
昔は今ほど自閉症者がいなかったのだろうか。
この本を読んで、気になることも増えた。
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ASDの子供が津軽弁を話さない、という噂から調査研究した内容が纏められている著書
当初はASDの発話特徴として平坦さがあるために津軽弁と認識されにくいのではないか?との仮説で調べるが、方言の単語も使われない傾向が確認される
そこから言語習得の過程から特徴があるのではないかと、研究の進んでいく様は興味深く読めた
研究結果としては津軽弁に限らずASDは方言を話さない傾向がある
その要因としてはASDの特徴である意図理解の弱さが挙げられている
会話などの自然言語は意味だけで成り立ってはおらず、関係性を含む使用状況から汲み取れる意図が重要となる
方言の使用は地域コミュニティの関係性を意味するところもあるがASDの方は対人的・社会的コミュニケーションに障害を有しており、それも一因となり方言を使わない傾向があるとのこと
では標準語圏だと如何なのか?という疑問もあるだろうが、これは発話内容は一緒でも意図にギャップを有していることに変わりはない
ウィトゲンシュタインの言語ゲームに通じる部分もありおもしろい
Posted by ブクログ
途中から少し方向性に迷いを感じたが、さまざまな調査の方法は勉強になった。方言を話すというコミュニケーションが困難なのだと思う。言語習得は自然言語と学習言語のふた通りある。
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テーマは明快なのに、難しくて読み終えるのに一か月以上かかってしまった。
ASDの人の特質を、うちの息子と対比させながら考えてみたが、やっぱりよくわからない。
Posted by ブクログ
題名を見て「たしかにそうかもしれない」と思って、どうしてそうなんだろうと思って読みました。
読み終わった今、分かったような分からないような。
学習言語には方言が少ない。日常会話から言語を学ぶのは難しいというのは、例えば私自身の英語学習とかが、同じ感じなのかな。
多分私の話す英語にはスラングや慣用句的な言い回しはほとんどないし、地方独特のイントネーションや発音はないと思う(ジャパニーズイングリッシュではあるでしょうけど)。
そして、リスニングも、教材として作られているものは聞き取れるけど、日常会話はなかなか難しく感じる。
それと同じような困難があるのかなあというのが私の印象でした。
Posted by ブクログ
途中までワクワクしながら読んだのだが、最終的には隔靴掻痒の感強し。
非常に面白かったのは、とりわけ前半の緻密な調査の部分。
自閉スペクトラム症(ASD)の人達が幼い頃から方言を使わない、という気づきからその現象が全国的に見られるのか、どのような原因が背景にあると考えられるのかを炙り出すため、質問内容やその対象の選び方などがさまざまな角度から考えられており、周到な調査の手法には興味をひかれた。また、ASDの人たちの思考様式を考えることで、自分達の認識方法がより整理される点は面白かった。
しかし、結局ASDの人たちの実態がよく描かれておらず、しりすぼみな感じが否めなかった。この分析はASDの専門家向けゆえ、ASDに関する記述はこの程度で済むのかもしれないが、一般の素人としては、この現象を切り口に、ASDがどんな症状なのか、その分析はどのような切り口でなされ、療育はどのようになされているのかについて読みたかった。
個人的な記憶の話。幼い頃I君というASDの人が身近におり、不思議な、そして奇妙な存在として深く記憶に刻まれている。全く個人的な欲望として、あの奇妙さ不思議さがどこからくるのかを私は理解したいのかもしれない。
Posted by ブクログ
「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」と、妻がなにげなく一言。筆者は弘前大学の教授で、奥さんは臨床心理士。そして、10年にわたる自閉症と方言の研究が始まった。
学者の調査研究の方法がよくわかる。そして「学者魂」というべきもの垣間見られる。ことばと心の関係が平易に書かれており、非常に読みやすかった。