【感想・ネタバレ】ぼくは挑戦人のレビュー

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Posted by ブクログ

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「異文化理解」について大学で学んでいる私。自宅近くのこじんまりした書店でたまたま見つけたこの一冊はきっと運命だと思う。最後の最後にタイトルの本当の意味がわかります。

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2021年04月24日

Posted by ブクログ

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僕は挑戦人

著者:ちゃんへん.
構成:木村元彦(ゆきひこ)
発行:2020年8月21日
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やっと順番が回ってきた人気本。久々に「あー面白かった」と読後に発した本だった。タイトルの「挑戦人」という当て字というかひねりだけ、ちょっと無理がある(しっくりこない)感じだったけど、中身はとても優れた本だった。

著者は京都府宇治市のウトロ地区で生まれ育った在日コリアン。1985年生まれ。父親を幼い頃になくし、クラブを経営する母親と祖父母に育てられた。小3の時にクラスメートから言われるまで、自分が在日であることや外国人と日本人との違いすら知らなかった。4年生になると上級生からひどいいじめを連日受け、殴る蹴るはもちろん、彫刻刀で腕をえぐられるまでに。それでもいじめられていることは誰にも言わず、自殺まで考えていた。おかしいと思った先生が後をつけると、命にも関わりかねないいじめを受けている現場を捉えた。しかし、校長室に現れた彼の母親は、「いじめは子供にとって面白いからなくならへん。お前、学校のトップやったらいじめよりおもろいこと教えたれや!」と校長をどなりつけて帰った。

中学に入るとハイパーヨーヨーに夢中になって名人となり、さらにジャグリングと出会って、ハイパーヨーヨーとディアボロを組み合わせたパフォーマンスを作り上げて腕を上げる。そして、中3の時、ある人から教えられたアメリカで行われる大会に出場したいとダメ元で母親に言うとOKが出た。現地で、レベルの高いパフォーマンスを見てとてもかなわないと思ったが、なぜか予選を通過、さらには、なんと優勝してしまった。すると、さすがはアメリカ、それを見ていた人物から仕事が来るようになる。

スポーツクラスが出来て2年目の高校に進学し、プロのパフォーマーを目指したが、高1の時に仕事で呼ばれた先のニューヨークで、9.11テロに遭遇、恐怖体験をする。その1ヶ月後、今度はヨルダンのアンマンで仕事。9.11関連のニュースを放送していると、喜んだりガッツポーズをしたりする人を見かけ、恐くなった。ところが、2003年、3年生になり、再び行ったアンマンで今度はイラク戦争の報道。人々はとても悲しそう、悔しそう。フセインという独裁者がいなくなれば、隣国ヨルダンの人々にとってもいいのではないかと思っていたのに、この反応。日本のテレビでは、逆にイラクの人々の歓喜シーンが次々に流れていた。9.11では悲劇を悲しむ映像がこれでもかと使われていたのに。
「アラブ系、中東系、イスラム教徒は恐い」というのが偏見だったことを思い知る。

大道芸ワールドカップin静岡2002に参加、「ヤジウマ人気投票」で1位になり、以後は、高額なギャラで仕事が来るように。いったんは大学に進学するも、北野武のアドバイスで退学。プロのパフォーマーとして飛躍を目指すとともに、イラク戦争の一件で社会問題にも目が向く。ピースボートでステージに上がってくれと誘われるも、交通費は出るが出演料は出ないと言われて断るものの、スラム街でステージが出来るならOKだと言うと、ケニアから南アフリカまで乗ることになった。ところが、一人で入国したケニアの空港で3人組の強盗に襲われ車に乗せられ、拉致される。身ぐるみ剥がされかけている時、ディアボロが出てきて説明させられる。俺たちの街(スラム街)に来て子供に見せてやってくれないかと言われ、乗り換え飛行機の時間に間に合うように送ってくれるなら、という条件付きでOKする。

ケニアのスラム街でのパフォーマンス、子供たちの英雄になれた。そして、ピースボートが設定してくれた南アフリカのスラム街・ソウェト地区でも、同じだった。
同じ年、再び南アフリカへ。アパルトヘイト撤廃10周年の席に招かれた。同じステージに立ったある老人に声をかけられる。ノーベル平和賞を受賞しているデズモンド・ムピロ・ツツ牧師だった。本人は全くしらなかった。そして、マイケル・ジャクソンのそっくりさんがステージで踊った。その人も紹介された。ところが、彼は本物のマイケル・ジャクソンだったことを知る。マイケルはこっそりとこういうステージに上がることがよくあるらしい。

彼は、パレスチナの難民キャンプでも何度かパフォーマンスし、子供たちの英雄になるなか、自らのアイデンティティにも目が向き始める。板門店は、韓国側と北朝鮮側と、両方から行った。なお、彼自身は中学の時の渡航でパスポートを申請する際に韓国籍を選んでいる。また、2012年には金日成生誕100周年に招かれてステージにあがった。ステージ後、応接室で金正恩次期委員長(当時)を紹介された。「わが同胞よ!」とか言われるかと思ったら、「ああいう技は、私にもできるようになるのですか?」と聞かれたという。答えは、「毎日こつこつやれば、必ずできるようになります」だった。

日本で増えてきているヘイトスピーチについては、自分とは関係ないと思っていた。そんなの朝鮮人に対する問題であって、朝鮮人の問題ではない、日本の問題だ、と。ところが、2016年、フランスでのある大会でドイツ人ジャグラーに「あれでいいわけがない」と指摘され、目覚める。ヘイトスピーチは一部の人に向けられたもので自分には関係ない、と思っていたが、ドイツ人の彼には、在日コリアン全体に向けられているように映る。

「自分の役割」に目覚めて活動をし始めて以後は、学校での講演(パフォーマンスと自分の体験談)の依頼がどんどん増えた。中には、父親がネット右翼になってしまった生徒がその講演に父親を連れてきて聞かせ、父親はネットでの書き込みをやめたということもあった。仕事はこのご時世で厳しいが、著者は目覚めと役割認識を繰り返しながら活動を続けているようだ。

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いじめを受けている時期、「自分は生きていたらあかん人間なんや」「自分は生きているだけで人に迷惑をかけてしまうんや」となぜか思えてきた。
(DVを受けている女性が「自分が悪い」と思い込むのに似ている?)

大道芸ワールドカップでヤジウマ人気投票1位を取った直後、2002年12月~2004年1月の1年間で47都道府県を全て営業で回る。当時の出演料の相場は10~20万円が当たり前で、高校3年生の夏休みだけで月収200万円だった。大手企業のプロモーションイベントでは3分間で300万円の出演料。

韓国側の板門店では、国連軍は「北は敵だ。敵の脅威から国を守らなければならない」というスタンスだった。一方、北側の人民軍は「南の同胞のために、自主的に統一しなければならない」というスタンスだった。

芸歴5年未満の時期は特に大事で、安請け合いをしてしまうと、依頼主や業界内で「あの人は高い出演料を設定しているけど、交渉すればもう少し安く仕事を引き受けてくれる」という噂が回ってしまう。
(全くの同感、自分自身の仕事でも若い頃に決して安売りをしなかった。安売りをしたフリーランスは以後も安いままだった)

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2021年03月30日

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